テレビ神奈川(TVK)の番組「キンシオ」のDVDが発売されたと放送していたのでインターネットで調べていたら、偶然「かながわの景勝50選」に選ばれた石垣山(いしがきやま)を見つけました。JR早川駅から徒歩で約40分、景色も良さそうなので行って見ることにしました。
JR早川駅は小田原駅の一つ先の駅ですが、小田急ロマンスカーに乗れば小田原駅にはアッと言う間に着いてしまいます。
大した下調べもしないで小田原市HPの観光からダウンロードしたパンフレットを片手に出発しました。このパンフレットに依れば、石垣山一夜城歴史公園には早川駅から国道135号に出て少し小田原方面に戻り、東海道本線を潜り関白農道を歩いて行けば案外簡単に着けそうでした。
早川駅に着いたのは10時頃で、駅前の観光案内地図でルートを再確認しましたが問題なさそうです。
<道標>
東海道本線を潜って暫く歩くと<石垣山一夜城歴史公園2,070m>の道標を見つけ一安心です。余裕も出来たので真福寺(370m)と久翁寺(180m)にも立ち寄って見ることにしました。
<真福寺(しんぷくじ)>
JR早川駅のホームから見えたお寺さんで俗に早川観音と呼ばれているようですが、御本尊の聖観世音菩薩立像(中央に黒くぼんやりと写っていますが?)は上手く撮れていませんでした。
<久翁寺(きゅうおうじ)>
このお寺さんは介護老人ホームの奥にあったので門からはお寺さんがあるのかどうか分かりませんでした(同じ敷地内にあるのですかね?)。
ところで、介護老人ホームの奥にお寺さんがあるとは心憎いですね!?
<魚籃観音(ぎょらいかんのん)の後姿>
早川駅前の観光案内地図では、関白農道は魚籃観音を右に見ながら進むようになっていました。
昔、魚籃観音に来た時は写真を撮らなかったので今日は良い機会なので撮ろうと思い魚籃観音の後からの出入口を探したのですが見つかりませんでした(隣家の庭先を通れば行けそうだったのですが・・・)。
そのような訳で魚籃観音の後姿しか撮れませんでした。
<背後に素晴らしい景色が!>
早川駅から歩き出して30分位経つと背後に素晴らしい景色が見えるようになります。両側にミカン畑がある急な関白農道を更に登って行くと遮るものがない所ではご覧のように相模湾が一望できます。
ついでに西湘バイパスと小田原漁港をアップで撮ってみました。手前の家の先に白く尖がって見えているのが魚籃観音です。
<見事な眼下の景色>
関白農道を大分登って来たので眼下の景色も見事です。
<関白農道と夏ミカン>
石垣が積まれた関白農道の脇にはご覧のようなミカンの木が沢山ありました。作業をしている農家の人に聞いたら今生っているミカンは夏ミカンだと言っていました。この時期あまり美味しくないので鳥も食べないみたいですね?
関白農道を跨いで架かっているミカン運搬用のモノレール(?)があったので珍しいので撮ってみました。
<道標で悩む>
早川駅から歩き出して約1時間が過ぎました。パンフレットには徒歩約40分で石垣山に着けるとなっていたので少し不安になっていましたがやっと<石垣山一夜城歴史公園1,720m、休憩所830m>の道標が出ていたのでホッとしました。
しかし、ここはご覧のような三叉路になっていてこの道標では直進するのか左折するのか分かりません。左右の道路は二車線でトラックが通るような道路で関白農道は直進するような感じがしましたが・・・
結局、830m歩いて休憩所が無ければここに戻って来ることにして左折してトラックが通る道路を進むことにしました。
<トラック道路から素晴らしい景色が>
トラック道路を歩くのは少し不安だったのですが景色があまりにも素晴らしかったので思わず撮ってしまいました。
<休憩所に到着>
トラック道路を20分程歩くと休憩所に着いたので一安心しました。やっと石垣山一夜城歴史公園まで890mのところに着きました。
<関白農道の石垣>
ここから再度、両側が石垣で囲まれた関白農道を登ります。この石垣を見ると桃山時代に豊臣秀吉が城壁に使った石垣がそのまま残されているような感じがしますね(もしそうなら感動ものですね!)?
<石垣山一夜城歴史公園に到着>
早川駅から歩き出して約1時間45分も掛かって石垣山一夜城歴史公園に到着しました。
公園には南曲輪、西曲輪、本城曲輪(本丸)、馬屋曲輪(二の丸)、井戸曲輪の五つの曲輪がありますが先ずは昼食が出来そうな余り風が吹いていない曲輪を探すことにしました。
ところで曲輪(くるわ)とは、城郭内にある一定区画を分割した区域で城郭の重要施設になっていたようです。そして、遊女屋が多く集まっている一定の区域も廓(くるわ)と言いましたよね!
<南曲輪下の石垣>
先ずは南曲輪に行って見ることにしました。南曲輪下の石垣を撮ってみましたが、ここには城郭の角に使う角石(かどいし)もありました。
<西曲輪>
次に西曲輪に行って見ました。ここは周囲が木で囲まれていて風を遮ってくれ陽当たりも良く、ベンチもあったのでここで昼食を取ることにしました。西曲輪跡の石碑もありました。
<ガスコンロの試運転>
実は今日は山登りやハイキングで使うガスコンロの試運転をするつもりで来ました。試運転なのでガスコンロでお湯を沸かしてインスタント味噌汁にお湯を注ぐだけですが、野外でどれだけ使えるか心配でした。
結局、ガスコンロの点火、ガスの調整は上手く出来ましたが、焦っていたせいか沸騰しない内に味噌汁にお湯を注いでしまい温めの味噌汁になってしまいました。
まあ、試運転としては上出来の部類ですね!
<天守台>
昼食も取って人心地付いたので西曲輪の上のある丘に登ってみました。そこは石垣山一夜城歴史公園で一番高い標高261.6mの天守台跡でした。
豊臣秀吉になったつもりで天守台跡から本丸・相模湾方面を撮ってみましたが残念ながら相模湾は上手く撮れていませんでした(余は不満足じゃ!)。
<本城曲輪(本丸)>
次に、天守台跡の先にある本丸跡に行ってみましたが、ここも石碑があるだけで昔の面影が感じられないのが残念です。
本丸跡にある説明版(「石垣山一夜城の構造」)には、『この城が一夜城と呼ばれるのは、豊臣秀吉が築城にあたり、山頂の林の中に塀や櫓の骨組みを造り、白紙を張って白壁のように見せかけ、一夜のうちに周囲の樹木を伐採して城が出現したと言う伝承から石垣山一夜城又は太閤一夜城と呼ばれるようになった。しかし、実際には延べ4万人が動員され、約80日間が費やされた。』と書いてありました。
本丸跡の東外れに「物見台」があったのですが、来る時に早川駅で見かけた聾者の団体さんが屯していたので行くのは諦めました。
本丸跡からの眺めが素晴らしい相模湾を撮ってから手前の馬屋曲輪(二の丸)に行くことにしました。馬屋曲輪(二の丸)にあるドウダンツツジのオブジェは豊臣秀吉の馬印である瓢箪ですかね?
<馬屋曲輪(二の丸)>
本丸跡から二の丸跡に行く途中の坂道にあった本城曲輪下の石垣です。『危険! 石垣が崩れ落ちる恐れがあります。』の立札がありました。
二の丸跡は他の曲輪に比べて手入れが行き届いていて大変気持ちのよい曲輪です(余は満足じゃ!)。
ここにも瓢箪の道標<先 展望台、右 井戸曲輪跡>がありました。道標に従って、展望台に行ってから井戸曲輪跡に行くことにしました。
<展望台>
展望台からは西に聳えている駒ヶ岳、神山、明神ヶ岳等の丹沢山系が一望できます。ご覧のように案内板には山の名前の他に、「稲葉氏一族の墓所」と「長興山しだれ桜」の宣伝も載っていました。
「長興山招太寺のしだれ桜」は、小田原市の指定天然記念物で「かながわの名木100選」にも選ばれているようです。桜の咲く頃(3月下旬~4月上旬)には出掛けてみたくなりました。
<井戸曲輪>
淀殿も使ったと言われる化粧井戸がありました。説明板には「淀君の化粧井戸」、又は「さざゑの井戸」と呼ばれていると書いてありました。又、『今でも湧き出る水を見ることが出来る』と書いてあったので下まで行って覗いてみたのですが残念ながら水は湧き出ていませんでした(ガックリ!)。
これで全ての曲輪を見たので石垣山一夜城歴史公園の入口まで戻り、公園前にある農場型レストラン(一夜城ヨロイヅカファーム)で休憩することにしました。
<一夜城ヨロイヅカファーム>
一夜城ヨロイヅカファームの庭には木で造った素晴らしい動物のオブジェが置いてありました。
売店・レストランに入ろうと思ったのですがレストランは待ち行列が出来ていて、しかも地元で作ったパンやケーキを売っている売店も人でごった返していたので入るのは諦め早々に退散しました。
ここの庭は相模湾が一望できるビューポイントなので取り敢えず写真だけは撮りました。
外に出ると建物(トイレ?)の外に石垣山一夜城のパンフレットが置いてありました。良く読んで見ると、石垣山一夜城歴史公園へのアクセスはJR早川駅から石垣山農道を経て約50分と書いてありました。しかも途中には「石垣山に参陣した武将たち」の説明板があると記されていました(アチャ!)。
どうやら石垣山一夜城歴史公園に行くには幾つかのルートがあって最近は石垣山農道で行くのがメジャーとなったみたいですよ!
そう言えは関白農道では一人のハイカーにも出会いませんでした。
<「石垣山に参陣した武将たち」を探しながら石垣山農道を下ります>
「石垣山に参陣した武将たち」を探しながら石垣山農道を下りました。最初にあったのは”豊臣秀吉”で、下の説明板には残り7人の武将達の名前が載っていました。
淀殿は武将でもないのに「石垣山に参陣した武将たち」に載っていました(変なの?)。
誰もが知っている千利休も武将ではありませんよね(ブツブツ)!
「石垣山に参陣した武将たち」として最後に堀秀政の名前がありましたが、他の7人と比べると有名人ではありませんよね!
説明板によると、『小田原包囲陣中で病死し、福井の長慶寺に葬られ、海蔵寺にもお墓がある』と書いてあったのでその関係で人選されたのですかね? ⇒ 人選は市教育委員会?
<海蔵寺>
石垣山農道を下り始めて約40分位で海蔵寺に着きました。海蔵寺は農道から少し外れているので分かりずらいのですが石碑があったので助かりました。
石垣山農道はトラックも通る道路なので少し怖かったのですが無事ここまで来れました。取り敢えずお詣りしてからJR早川駅に向かいました。
今日の石垣山一夜城ハイキングは、行きは関白農道から石垣山一夜城歴史公園に入り、そして五つの曲輪を散策してから、行きとは別の石垣山農道から帰ることが出来て大変満足しています。
今日は未だ明るかったので乗換駅の小田原で軽く一杯遣って帰りました。万歩計は21,000歩を超えていました。
JR早川駅は小田原駅の一つ先の駅ですが、小田急ロマンスカーに乗れば小田原駅にはアッと言う間に着いてしまいます。
大した下調べもしないで小田原市HPの観光からダウンロードしたパンフレットを片手に出発しました。このパンフレットに依れば、石垣山一夜城歴史公園には早川駅から国道135号に出て少し小田原方面に戻り、東海道本線を潜り関白農道を歩いて行けば案外簡単に着けそうでした。
早川駅に着いたのは10時頃で、駅前の観光案内地図でルートを再確認しましたが問題なさそうです。
<道標>
東海道本線を潜って暫く歩くと<石垣山一夜城歴史公園2,070m>の道標を見つけ一安心です。余裕も出来たので真福寺(370m)と久翁寺(180m)にも立ち寄って見ることにしました。
<真福寺(しんぷくじ)>
JR早川駅のホームから見えたお寺さんで俗に早川観音と呼ばれているようですが、御本尊の聖観世音菩薩立像(中央に黒くぼんやりと写っていますが?)は上手く撮れていませんでした。
<久翁寺(きゅうおうじ)>
このお寺さんは介護老人ホームの奥にあったので門からはお寺さんがあるのかどうか分かりませんでした(同じ敷地内にあるのですかね?)。
ところで、介護老人ホームの奥にお寺さんがあるとは心憎いですね!?
<魚籃観音(ぎょらいかんのん)の後姿>
早川駅前の観光案内地図では、関白農道は魚籃観音を右に見ながら進むようになっていました。
昔、魚籃観音に来た時は写真を撮らなかったので今日は良い機会なので撮ろうと思い魚籃観音の後からの出入口を探したのですが見つかりませんでした(隣家の庭先を通れば行けそうだったのですが・・・)。
そのような訳で魚籃観音の後姿しか撮れませんでした。
<背後に素晴らしい景色が!>
早川駅から歩き出して30分位経つと背後に素晴らしい景色が見えるようになります。両側にミカン畑がある急な関白農道を更に登って行くと遮るものがない所ではご覧のように相模湾が一望できます。
ついでに西湘バイパスと小田原漁港をアップで撮ってみました。手前の家の先に白く尖がって見えているのが魚籃観音です。
<見事な眼下の景色>
関白農道を大分登って来たので眼下の景色も見事です。
<関白農道と夏ミカン>
石垣が積まれた関白農道の脇にはご覧のようなミカンの木が沢山ありました。作業をしている農家の人に聞いたら今生っているミカンは夏ミカンだと言っていました。この時期あまり美味しくないので鳥も食べないみたいですね?
関白農道を跨いで架かっているミカン運搬用のモノレール(?)があったので珍しいので撮ってみました。
<道標で悩む>
早川駅から歩き出して約1時間が過ぎました。パンフレットには徒歩約40分で石垣山に着けるとなっていたので少し不安になっていましたがやっと<石垣山一夜城歴史公園1,720m、休憩所830m>の道標が出ていたのでホッとしました。
しかし、ここはご覧のような三叉路になっていてこの道標では直進するのか左折するのか分かりません。左右の道路は二車線でトラックが通るような道路で関白農道は直進するような感じがしましたが・・・
結局、830m歩いて休憩所が無ければここに戻って来ることにして左折してトラックが通る道路を進むことにしました。
<トラック道路から素晴らしい景色が>
トラック道路を歩くのは少し不安だったのですが景色があまりにも素晴らしかったので思わず撮ってしまいました。
<休憩所に到着>
トラック道路を20分程歩くと休憩所に着いたので一安心しました。やっと石垣山一夜城歴史公園まで890mのところに着きました。
<関白農道の石垣>
ここから再度、両側が石垣で囲まれた関白農道を登ります。この石垣を見ると桃山時代に豊臣秀吉が城壁に使った石垣がそのまま残されているような感じがしますね(もしそうなら感動ものですね!)?
<石垣山一夜城歴史公園に到着>
早川駅から歩き出して約1時間45分も掛かって石垣山一夜城歴史公園に到着しました。
公園には南曲輪、西曲輪、本城曲輪(本丸)、馬屋曲輪(二の丸)、井戸曲輪の五つの曲輪がありますが先ずは昼食が出来そうな余り風が吹いていない曲輪を探すことにしました。
ところで曲輪(くるわ)とは、城郭内にある一定区画を分割した区域で城郭の重要施設になっていたようです。そして、遊女屋が多く集まっている一定の区域も廓(くるわ)と言いましたよね!
<南曲輪下の石垣>
先ずは南曲輪に行って見ることにしました。南曲輪下の石垣を撮ってみましたが、ここには城郭の角に使う角石(かどいし)もありました。
<西曲輪>
次に西曲輪に行って見ました。ここは周囲が木で囲まれていて風を遮ってくれ陽当たりも良く、ベンチもあったのでここで昼食を取ることにしました。西曲輪跡の石碑もありました。
<ガスコンロの試運転>
実は今日は山登りやハイキングで使うガスコンロの試運転をするつもりで来ました。試運転なのでガスコンロでお湯を沸かしてインスタント味噌汁にお湯を注ぐだけですが、野外でどれだけ使えるか心配でした。
結局、ガスコンロの点火、ガスの調整は上手く出来ましたが、焦っていたせいか沸騰しない内に味噌汁にお湯を注いでしまい温めの味噌汁になってしまいました。
まあ、試運転としては上出来の部類ですね!
<天守台>
昼食も取って人心地付いたので西曲輪の上のある丘に登ってみました。そこは石垣山一夜城歴史公園で一番高い標高261.6mの天守台跡でした。
豊臣秀吉になったつもりで天守台跡から本丸・相模湾方面を撮ってみましたが残念ながら相模湾は上手く撮れていませんでした(余は不満足じゃ!)。
<本城曲輪(本丸)>
次に、天守台跡の先にある本丸跡に行ってみましたが、ここも石碑があるだけで昔の面影が感じられないのが残念です。
本丸跡にある説明版(「石垣山一夜城の構造」)には、『この城が一夜城と呼ばれるのは、豊臣秀吉が築城にあたり、山頂の林の中に塀や櫓の骨組みを造り、白紙を張って白壁のように見せかけ、一夜のうちに周囲の樹木を伐採して城が出現したと言う伝承から石垣山一夜城又は太閤一夜城と呼ばれるようになった。しかし、実際には延べ4万人が動員され、約80日間が費やされた。』と書いてありました。
本丸跡の東外れに「物見台」があったのですが、来る時に早川駅で見かけた聾者の団体さんが屯していたので行くのは諦めました。
本丸跡からの眺めが素晴らしい相模湾を撮ってから手前の馬屋曲輪(二の丸)に行くことにしました。馬屋曲輪(二の丸)にあるドウダンツツジのオブジェは豊臣秀吉の馬印である瓢箪ですかね?
<馬屋曲輪(二の丸)>
本丸跡から二の丸跡に行く途中の坂道にあった本城曲輪下の石垣です。『危険! 石垣が崩れ落ちる恐れがあります。』の立札がありました。
二の丸跡は他の曲輪に比べて手入れが行き届いていて大変気持ちのよい曲輪です(余は満足じゃ!)。
ここにも瓢箪の道標<先 展望台、右 井戸曲輪跡>がありました。道標に従って、展望台に行ってから井戸曲輪跡に行くことにしました。
<展望台>
展望台からは西に聳えている駒ヶ岳、神山、明神ヶ岳等の丹沢山系が一望できます。ご覧のように案内板には山の名前の他に、「稲葉氏一族の墓所」と「長興山しだれ桜」の宣伝も載っていました。
「長興山招太寺のしだれ桜」は、小田原市の指定天然記念物で「かながわの名木100選」にも選ばれているようです。桜の咲く頃(3月下旬~4月上旬)には出掛けてみたくなりました。
<井戸曲輪>
淀殿も使ったと言われる化粧井戸がありました。説明板には「淀君の化粧井戸」、又は「さざゑの井戸」と呼ばれていると書いてありました。又、『今でも湧き出る水を見ることが出来る』と書いてあったので下まで行って覗いてみたのですが残念ながら水は湧き出ていませんでした(ガックリ!)。
これで全ての曲輪を見たので石垣山一夜城歴史公園の入口まで戻り、公園前にある農場型レストラン(一夜城ヨロイヅカファーム)で休憩することにしました。
<一夜城ヨロイヅカファーム>
一夜城ヨロイヅカファームの庭には木で造った素晴らしい動物のオブジェが置いてありました。
売店・レストランに入ろうと思ったのですがレストランは待ち行列が出来ていて、しかも地元で作ったパンやケーキを売っている売店も人でごった返していたので入るのは諦め早々に退散しました。
ここの庭は相模湾が一望できるビューポイントなので取り敢えず写真だけは撮りました。
外に出ると建物(トイレ?)の外に石垣山一夜城のパンフレットが置いてありました。良く読んで見ると、石垣山一夜城歴史公園へのアクセスはJR早川駅から石垣山農道を経て約50分と書いてありました。しかも途中には「石垣山に参陣した武将たち」の説明板があると記されていました(アチャ!)。
どうやら石垣山一夜城歴史公園に行くには幾つかのルートがあって最近は石垣山農道で行くのがメジャーとなったみたいですよ!
そう言えは関白農道では一人のハイカーにも出会いませんでした。
<「石垣山に参陣した武将たち」を探しながら石垣山農道を下ります>
「石垣山に参陣した武将たち」を探しながら石垣山農道を下りました。最初にあったのは”豊臣秀吉”で、下の説明板には残り7人の武将達の名前が載っていました。
淀殿は武将でもないのに「石垣山に参陣した武将たち」に載っていました(変なの?)。
誰もが知っている千利休も武将ではありませんよね(ブツブツ)!
「石垣山に参陣した武将たち」として最後に堀秀政の名前がありましたが、他の7人と比べると有名人ではありませんよね!
説明板によると、『小田原包囲陣中で病死し、福井の長慶寺に葬られ、海蔵寺にもお墓がある』と書いてあったのでその関係で人選されたのですかね? ⇒ 人選は市教育委員会?
<海蔵寺>
石垣山農道を下り始めて約40分位で海蔵寺に着きました。海蔵寺は農道から少し外れているので分かりずらいのですが石碑があったので助かりました。
石垣山農道はトラックも通る道路なので少し怖かったのですが無事ここまで来れました。取り敢えずお詣りしてからJR早川駅に向かいました。
今日の石垣山一夜城ハイキングは、行きは関白農道から石垣山一夜城歴史公園に入り、そして五つの曲輪を散策してから、行きとは別の石垣山農道から帰ることが出来て大変満足しています。
今日は未だ明るかったので乗換駅の小田原で軽く一杯遣って帰りました。万歩計は21,000歩を超えていました。
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