「湯河原:城山ハイキング(城山上り編)」から続く。
<ピクニックランドに向かう>

「城山山頂」で一休みしてから、ご覧のような山道を下って「ピクニックランド」に向かいました。



この山道の所々に、ご覧のような躑躅が咲いていたので撮ってみました。

素晴らしい紅葉の下に、ご覧のような躑躅が咲いていたので撮ってみました。

取り敢えず、色合いが素晴らしい紅葉をアップで撮ってみました。


山道を下っていると、白色の躑躅が咲いていたのでアップで撮ってみました。


又、山道から、赤橙色の躑躅が見えたのでアップで撮ってみました。

「城山山頂」から山道を10分程下ると、ご覧のような開けた場所に着きました。


山道に、ご覧のような高木があったので上の方を撮ってみましたが、松と紅葉のようでした。


暫く進むと、ご覧のような高木があったのでアップで撮ってみましたが、名前は分かりません。


今度は、手前に松、奥に紅葉の高木があったので撮ってみました。

見事な紅葉だったのでアップで撮ってみました。
<ピクニックランド>

「城山山頂」から15分程で、ご覧のような「ピクニックランド」に着きました。

朽ちた東屋(?)があったので撮ってみました。

奥に、見晴らしの良さそうな場所があったので行ってみましたが、木々が生い茂っていてダメでした。

更に、下に行くと、ご覧のようなバイオトイレのある道路に出ました。

近の道標<宮下林道経由 城堀林道経由>で確認すると、どちらからでも湯河原駅には着けそうでした。


取り敢えず、ご覧のようなバイオトイレに入ってみましたが、トイレ臭さはしませんでした。


見晴らしが良さそうなので、道路から真鶴半島と湯河原海岸を撮ってみました。
湯河原駅へは、城堀林道経由で行くので、道路で行っても良かったのですが、山道に戻ることにしました。
<浅間神社に向かう>

ピクニックランドを通って山道に戻ると、ご覧のような朽ちた施設跡があったので撮ってみました。



所々に、ご覧のような躑躅が咲いている山道を下ります。

山道を暫く下ると、素晴らしい躑躅が咲いていたので撮ってみました。

折角なので、アップでも撮ってみました。

山道を10分程下ると、ピクニックランド下の道路に出ました。



ご覧のような道路を下っていると、見晴らしが良さそうな場所があったので行ってみました。

ご覧のような原っぱになっていましたが、草木が生い茂っていて見晴らしは良くありませんでした。

道路に出て10分程下ると、源頼朝が運試しに投げた石と言われている「立石」の説明案内板がありました。

説明案内板に「↓80mほど山下る」と出ていたので下りてみました。


ご覧のような、かなり急な山道を下ります。

山道を5分程下ると、斜面に垂直に立っている「立石」があって、高さは2m以上ありました。

「立石」を別角度から撮って、「立石」を一回りして山道を上って道路に戻りました。



ご覧のような道路を15分程下ると、「兜石」の説明案内板がありました。

説明案内板には、『源頼朝が石橋山の合戦に敗れ、山中を逃げる途中、休息を取るために、かぶとを脱いで置いたと言われています。石の形そのものが、かぶとに似ています。』と書いてありました。
説明案内板に「↑70mほど坂道登る」と出ていたので行ってみました。


ご覧のような山道を5分程登ると、横幅が2m以上ありそうな「兜石」がありました。

取り敢えず、アップで撮ってみましたが、兜には見えませんでした(すいません)。



再び、道路に戻って歩いていると、正面にご覧のような畑が見えたので撮ってみました。

又、道路の右側に、大蛇のような蔓(?)があったのでアップで撮ってみました。

道路を暫く下ると、ご覧のような道標<湯河原駅1,800m>があって道が分かれていました。

取り敢えず、ご覧のような急な道の方に行ってみました。

道なりに暫く進むと、最後は合流(近道と回り道の差)していました。


ご覧のような道路を下りますが、道路の両側には竹林がありました。

竹林の道路を抜けると、海(相模湾)が見えたので撮ってみました。


道路を暫く下ると、山側に藤が咲いていたのでアップで撮ってみました。

更に、先に進むと、ご覧のような藤が咲いていたので撮ってみました。


折角なので、アップでも撮ってみました。
<浅間神社(せんげんじんじゃ)>

「兜石」から30分程で、浅間神社の参道に着きました。
尚、ピクニックランドからは90分程掛かっていましが、「立石」と「兜石」に寄り道したからですね!


参道を暫く進むと、ご覧のような石段があって、上には鳥居がありました。

取り敢えず、扁額「浅間神社」が掛かっている鳥居を撮ってみました。

鳥居の先は、ご覧のような急勾配の石段がありました。

石段の上の方が見えるようになったので、再度、急勾配の石段を撮ってみました。


無事、本殿(女浅間?)の前に着いたので、ここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


お参りをしてから、ご覧のような急勾配の石段を注意深く下りました。
下に着くと地元の人がいて、「女浅間」の後の山道を登ると「男浅間」があると教えてくれました(もっと早く言ってよね~)。

浅間神社を後に、ご覧のような道路を下って城願寺に向かいました。
<城願寺(じょうがんじ)>

道路を20分程下ると、右側に城願寺が見えたので行ってみました。
取り敢えず、本堂を撮って、ここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りをしました。

お参りしてから本堂に掲げられている扁額「護国殿」を撮ってみました。


本堂の左手に、文殊堂があったので撮ってみました。

文殊堂の横に、石橋山の合戦に敗れた源頼朝の逃亡を手助けした案内<土肥一族墓所>が出ていたので行ってみました。
尚、土肥一族墓所は、神奈川県の史跡に指定されています。



墓所に着くと、説明案内板があったので撮ってみました。
この説明案内板には、土肥次郎実平と鎌倉幕府や城願寺(菩提寺)との関係が書かれていました。

正面4基の五輪塔の内、左から2番目が土肥次郎実平の供養塔みたいです。

尚、江戸時代に精巧な日本地図を作製した伊能忠敬も土肥氏墓を参拝したようです。

境内に戻ると、大樹の「なぎの木」と柏槙(ビャクシン)があったので撮ってみました。


近くに行って、縁結びの樹「なぎの木」を撮ってみました。

奥にあった、文部省指定天然記念物に指定されている柏槙の傍に行ってみました。

取り敢えず、別角度からアップで撮ってみました。

ついでに、上の方も撮ってみました。


柏槙の近くに、七騎堂があったので、由来板と一緒に撮ってみました。
七騎堂は、石橋山の合戦に敗れた源頼朝が、漁船に乗って房州に落ち延びる際に、頼朝以下主従七騎が同船しことを称えて建立したものです。
尚、堂内には七騎落七武者の像があるみたいです。

釣鐘堂の方に行ってみると、七騎堂が見えたので柏槙と一緒に撮ってみました。

「ビャクシンPower」があったので、ビャクシンと一緒に撮ってみました。

ついでに、釣鐘堂も撮ってみました。

釣鐘堂の近くに、ご覧のような「源頼朝腰掛け石」があったので撮ってみました。

取り敢えず、境内を散策したので、ご覧のような参道を下りることにしました。

山門まで下りて来たので、山門に掲げてある山号「萬年山」を撮ってみました。

山門の下には、ご覧のような階段が未だ続いていました。

折角なので、参道入口を撮って城願寺を後にしました。
<湯河原駅に向かう>

元の道路に戻って、坂道を下っていると、素晴らしいピンク色の花が咲いていました。

アップで撮ってみましたが、名前は分かりません。


東海道本線のガード(城願寺暗渠)をくぐると、案内「城山ハイキングコース」があって、現在いる場所がやっと分かりました。
マンションを右に見ながら道なりに進むと、湯河原駅に着いてしまいました。
時間は16時を過ぎたばっかりだったので、地元の居酒屋は遣ってなさそうでした。
仕方がないので、小田原駅まで行ってロマンスカーの時間調整を兼ねて、馴染みの居酒屋で飲みました。
今回の「湯河原:城山ハイキング」は、予定していた所だけでなく、「立石」や「兜石」も回れたので良かったです。
尚、万歩計はそれなりに歩いたので18,000歩を超えていました。
<ピクニックランドに向かう>

「城山山頂」で一休みしてから、ご覧のような山道を下って「ピクニックランド」に向かいました。



この山道の所々に、ご覧のような躑躅が咲いていたので撮ってみました。

素晴らしい紅葉の下に、ご覧のような躑躅が咲いていたので撮ってみました。

取り敢えず、色合いが素晴らしい紅葉をアップで撮ってみました。


山道を下っていると、白色の躑躅が咲いていたのでアップで撮ってみました。


又、山道から、赤橙色の躑躅が見えたのでアップで撮ってみました。

「城山山頂」から山道を10分程下ると、ご覧のような開けた場所に着きました。


山道に、ご覧のような高木があったので上の方を撮ってみましたが、松と紅葉のようでした。


暫く進むと、ご覧のような高木があったのでアップで撮ってみましたが、名前は分かりません。


今度は、手前に松、奥に紅葉の高木があったので撮ってみました。

見事な紅葉だったのでアップで撮ってみました。
<ピクニックランド>

「城山山頂」から15分程で、ご覧のような「ピクニックランド」に着きました。

朽ちた東屋(?)があったので撮ってみました。

奥に、見晴らしの良さそうな場所があったので行ってみましたが、木々が生い茂っていてダメでした。

更に、下に行くと、ご覧のようなバイオトイレのある道路に出ました。

近の道標<宮下林道経由 城堀林道経由>で確認すると、どちらからでも湯河原駅には着けそうでした。


取り敢えず、ご覧のようなバイオトイレに入ってみましたが、トイレ臭さはしませんでした。


見晴らしが良さそうなので、道路から真鶴半島と湯河原海岸を撮ってみました。
湯河原駅へは、城堀林道経由で行くので、道路で行っても良かったのですが、山道に戻ることにしました。
<浅間神社に向かう>

ピクニックランドを通って山道に戻ると、ご覧のような朽ちた施設跡があったので撮ってみました。



所々に、ご覧のような躑躅が咲いている山道を下ります。

山道を暫く下ると、素晴らしい躑躅が咲いていたので撮ってみました。

折角なので、アップでも撮ってみました。

山道を10分程下ると、ピクニックランド下の道路に出ました。



ご覧のような道路を下っていると、見晴らしが良さそうな場所があったので行ってみました。

ご覧のような原っぱになっていましたが、草木が生い茂っていて見晴らしは良くありませんでした。

道路に出て10分程下ると、源頼朝が運試しに投げた石と言われている「立石」の説明案内板がありました。

説明案内板に「↓80mほど山下る」と出ていたので下りてみました。


ご覧のような、かなり急な山道を下ります。

山道を5分程下ると、斜面に垂直に立っている「立石」があって、高さは2m以上ありました。

「立石」を別角度から撮って、「立石」を一回りして山道を上って道路に戻りました。



ご覧のような道路を15分程下ると、「兜石」の説明案内板がありました。

説明案内板には、『源頼朝が石橋山の合戦に敗れ、山中を逃げる途中、休息を取るために、かぶとを脱いで置いたと言われています。石の形そのものが、かぶとに似ています。』と書いてありました。
説明案内板に「↑70mほど坂道登る」と出ていたので行ってみました。


ご覧のような山道を5分程登ると、横幅が2m以上ありそうな「兜石」がありました。

取り敢えず、アップで撮ってみましたが、兜には見えませんでした(すいません)。



再び、道路に戻って歩いていると、正面にご覧のような畑が見えたので撮ってみました。

又、道路の右側に、大蛇のような蔓(?)があったのでアップで撮ってみました。

道路を暫く下ると、ご覧のような道標<湯河原駅1,800m>があって道が分かれていました。

取り敢えず、ご覧のような急な道の方に行ってみました。

道なりに暫く進むと、最後は合流(近道と回り道の差)していました。


ご覧のような道路を下りますが、道路の両側には竹林がありました。

竹林の道路を抜けると、海(相模湾)が見えたので撮ってみました。


道路を暫く下ると、山側に藤が咲いていたのでアップで撮ってみました。

更に、先に進むと、ご覧のような藤が咲いていたので撮ってみました。


折角なので、アップでも撮ってみました。
<浅間神社(せんげんじんじゃ)>

「兜石」から30分程で、浅間神社の参道に着きました。
尚、ピクニックランドからは90分程掛かっていましが、「立石」と「兜石」に寄り道したからですね!


参道を暫く進むと、ご覧のような石段があって、上には鳥居がありました。

取り敢えず、扁額「浅間神社」が掛かっている鳥居を撮ってみました。

鳥居の先は、ご覧のような急勾配の石段がありました。

石段の上の方が見えるようになったので、再度、急勾配の石段を撮ってみました。


無事、本殿(女浅間?)の前に着いたので、ここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


お参りをしてから、ご覧のような急勾配の石段を注意深く下りました。
下に着くと地元の人がいて、「女浅間」の後の山道を登ると「男浅間」があると教えてくれました(もっと早く言ってよね~)。

浅間神社を後に、ご覧のような道路を下って城願寺に向かいました。
<城願寺(じょうがんじ)>

道路を20分程下ると、右側に城願寺が見えたので行ってみました。
取り敢えず、本堂を撮って、ここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りをしました。

お参りしてから本堂に掲げられている扁額「護国殿」を撮ってみました。


本堂の左手に、文殊堂があったので撮ってみました。

文殊堂の横に、石橋山の合戦に敗れた源頼朝の逃亡を手助けした案内<土肥一族墓所>が出ていたので行ってみました。
尚、土肥一族墓所は、神奈川県の史跡に指定されています。



墓所に着くと、説明案内板があったので撮ってみました。
この説明案内板には、土肥次郎実平と鎌倉幕府や城願寺(菩提寺)との関係が書かれていました。

正面4基の五輪塔の内、左から2番目が土肥次郎実平の供養塔みたいです。

尚、江戸時代に精巧な日本地図を作製した伊能忠敬も土肥氏墓を参拝したようです。

境内に戻ると、大樹の「なぎの木」と柏槙(ビャクシン)があったので撮ってみました。


近くに行って、縁結びの樹「なぎの木」を撮ってみました。

奥にあった、文部省指定天然記念物に指定されている柏槙の傍に行ってみました。

取り敢えず、別角度からアップで撮ってみました。

ついでに、上の方も撮ってみました。


柏槙の近くに、七騎堂があったので、由来板と一緒に撮ってみました。
七騎堂は、石橋山の合戦に敗れた源頼朝が、漁船に乗って房州に落ち延びる際に、頼朝以下主従七騎が同船しことを称えて建立したものです。
尚、堂内には七騎落七武者の像があるみたいです。

釣鐘堂の方に行ってみると、七騎堂が見えたので柏槙と一緒に撮ってみました。

「ビャクシンPower」があったので、ビャクシンと一緒に撮ってみました。

ついでに、釣鐘堂も撮ってみました。

釣鐘堂の近くに、ご覧のような「源頼朝腰掛け石」があったので撮ってみました。

取り敢えず、境内を散策したので、ご覧のような参道を下りることにしました。

山門まで下りて来たので、山門に掲げてある山号「萬年山」を撮ってみました。

山門の下には、ご覧のような階段が未だ続いていました。

折角なので、参道入口を撮って城願寺を後にしました。
<湯河原駅に向かう>

元の道路に戻って、坂道を下っていると、素晴らしいピンク色の花が咲いていました。

アップで撮ってみましたが、名前は分かりません。


東海道本線のガード(城願寺暗渠)をくぐると、案内「城山ハイキングコース」があって、現在いる場所がやっと分かりました。
マンションを右に見ながら道なりに進むと、湯河原駅に着いてしまいました。
時間は16時を過ぎたばっかりだったので、地元の居酒屋は遣ってなさそうでした。
仕方がないので、小田原駅まで行ってロマンスカーの時間調整を兼ねて、馴染みの居酒屋で飲みました。
今回の「湯河原:城山ハイキング」は、予定していた所だけでなく、「立石」や「兜石」も回れたので良かったです。
尚、万歩計はそれなりに歩いたので18,000歩を超えていました。
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