私がこちらに来た翌年、私の厄年と姑(ハハ) の還暦が同時でした。
私も還暦を経て、私が見てきた姑(ハハ) の齢を重ね始めています。
あの時の姑(ハハ) はどうだったろう?そんな事を考えることがあります。
姑(ハハ) は、「子養いが済んだら、(私のように)太ってくるよ。」って、言っていました。
舅(チチ)は、「あれら(息子たち)出て行ったら、お前も(姑(ハハ) と同じように)泣いて暮らすやろ」
なんて言っていました。
その頃、祖母も健在で離れに居て食事は一緒にでした。
お祭りには食べきれないほどの料理を作り、
葬儀や法事の料理は家でしましたから、そんな采配を振るい、
地域の活動への参加も熱心でした。
姑(ハハ) たちは、よく喧嘩する夫婦でした。
一度、舅(チチ)と喧嘩して我家に駆け込んだ姑(ハハ) は、「もう帰らない 」と、
何とか説得して帰るように、、と思ったのですが、
義妹宅で数日を過ごす、なんてこともありました。
息子たちが、家を出て行く年頃になり、
里の母は姑(ハハ) と同じ位、ふくよかですが、私は父似のようです。
二人の暮らしになっても、泣く事はありませんでした。
でも、今まで気にならなかった、気がつかなかった、ソラジのあれこれが気になりだして、
これはいけない どうする
人って、それぞれ考えも思いも感じ方も違うんですよねー
すべてを理解できないし、すべてを認めさせられない。
愚痴ってばかりじゃ何も始まらない。いがみ合っての毎日なんて嫌
姑(ハハ) に勝るものがあるとしたら、穏やかな老夫婦でいる事、
って、言ったら、「それはソラジのおかげ」って言うでしょうけど、
でも、そうなのかも、
私は自分を変える努力をしました。私が変わっただけで、穏やかな老後を過ごせています。
少し見方・考えを変えただけで(↑ちょっと違います、あまり変わっていません。加筆・修正しました。)
って、喧嘩は私の所為、