遊 悠 素 敵

なんて事ない日々を、野の花や野菜の花とともに綴っています。

読書、車中にて ≪ショウジョウグサ≫

2011-11-13 16:29:48 | つれづれ

【もうひとつの熊野路】を里帰りの電車の中で読んでいました。

以前、仕事で南紀を回ったことがあります。和歌山県と三重県の境にある熊野川とても太い川です。
そこを渡って、飛び地の北山村に向かったとき道路標識が和歌山・三重・奈良の三県が入れ替わり入れ替わり現れて、
迷子?って、焦ったことがありました。
その当時も、道路工事があちこちであって、二車線の道ばかりじゃなく、狭い道をダンプカーとすれ違ったり、、、
対向車の無いまま、ひたすら走る山道。
ソラジと伊勢に向かって海岸線を走り、山道に入ってクネクネした坂道を上り下り
そんな風景を思い出しながら、読んでいました。

古い人力車の車輪は鉄で覆われたものだとの記述が有りました。現在のゴムのタイヤは、ずっと後になって振動を緩和する為の工夫。
そうか、、、時代劇の荷車だって車輪は木で出来てる。今、私たちが当然と思ってる便利な道具。
当たり前じゃないのよねー、、、
そして、、、ちょっとした悪路でも乗り物酔いをしてしまう私には乗れないなー
その前に、ごくごく平民には贅沢、ひたすら歩くしか、、、その足元だって、素足にワラジ。
昔の人たちの苦労を想う。
でも、一度は乗ってみたいなー人力車。と言えば、京都?
ソロソロ京都かな?


熊野川の川沿いの国道を走ってるとき、河川敷の広さに驚きます。こんなに広くなくっても、地元の人に言ったことがあります。
いったん増水したら、こんなのすぐに溢れますよ。そう仰いました。
その時、近道を探して「この道はどんな風ですか?」と尋ねました。
「知り合いの駐在さんの奥さんが、道を尋ねられたら、行かないようにって、お願いしてるそうですよ」
それほど、難所ということでしょう。
当時の架橋技術では、それに対抗できる橋は掛けられなかったようです。なので、ずっと渡し舟。
極最近まで、渡し舟があったそうです。

もっと、楽なルートは無いかしら?それについても、そこが一番。と言うお返事でした。
道路の拡張工事のダンプカーとすれ違いながら走った南紀の道。
この夏の台風で浸水した地域です。自然の脅威の前に、なんとも微力なのでしょう。
でも、微力ながらも対抗し防備することを諦めない人間の力のすばらしさも、


仕事をやめた後も、この景色のすばらしさを楽しみたいと思っていたのですが、、、、、まったく。

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