昨日の午後、お墓参りに行ってきました。
例年は初詣⇒お墓⇒お寺と回っていますが、
今年は初詣の後、神社の近くも散策したりで時間がかかったので、
神社だけで、だけで帰ってきました。
それに古いお札を納めてくるのに忘れてしまったのですが、
翌2日は【お的の日】見物がてらと思っていたのですが、
正月の晴れ晴れした場所に足を向ける気にならず、
夕方近くにひっそり お札を納めて、お寺に回りました。
毎年のその年の法要の札が上がります。それを確認します。
我が家は無し(は、解ってはいるのですが)
親戚4件がありました。故人を偲び、月日の経つのは早いもの、、と感じます。
ようやく昨日になって、お墓参り
水持ちの良い、高野槇・若葉(ユズリハ)・葉ボタンが健在でした。
我が家のお墓、
他と違う上が四角すいになってる墓石、戦没者である夫の叔父のものです。
こちらのお墓でこの形のものは全て戦没者のものです。
他では知りませんが、私の実家では無かったと思います。
というか、一世帯に1基しかないから、、
そして小さいのは、若くして(未婚で)亡くなった叔母の墓石。
他は夫婦の毎の墓石です。
そして先祖累代と刻まれてるのは、チチ(舅)がこれ以上増やせないと、
言うことで、
義父の兄の墓はどれかわかっていますけど
あとのは全然わかりません義父も義理兄も無くなったので多分もうわからないと思います
戦没者そうなんですね
家の葉大きな石です
各地によって違うのですかね?
うちは とにかく古いお墓がすごく多くて 父が亡くなったときはいる場所がなかったので
先祖代々墓に建て替え 多くのお墓の 台座は持ち帰り 上の部分だけを一か所にまとめて
寄せてもらいました。
その寄せたお墓の戒名を読むと うちのお仏壇の奥の棚に沢山寄せてあるお位牌と
同じ名前が読み取れて ちょっと感慨深いです。
戸籍簿のない時代の先祖ですから。
戦死された方の石塔は上が違うんですね
初めて知りました
家の墓地は新しい墓地ですのでそういう石塔はみかけませんね
石碑には○○家となっています
戦死者など形が違う初めて目にします
ことらでは墓じまいをしていく家が多くなってきています
どちらがいいかどうかは分かりませんが
時代と共に先祖を祀る方法にも変化していきますね
戦没者のお墓 此方ではそんなの見ないな~
ただ私が知らないだけかもです
実家の墓も母が「先祖代々の墓」にして一まとめにしました
最近は墓仕舞いする方が多いようですね
こちらのお墓も全部がそうではないのかもしれません。
こちらの墓地は比較的新しく区画整理されたのですが、夫から4代先まででで
それ以前はどうだったのか?
夫の祖父母のものしか見当たらなくって
聞く相手もいなくなり、
まぁ~法事も50回忌まで、祖母たち私が見知ってる人たちだけになりました。
息子たちも祖母の記憶はあると思うのですが、
嫁は祖母もチチ(舅)も会ったことすらなくって
まぁ~お墓参りで
この人たちと繋がってるのだと感じてくれれば、
ここに来て驚きました。区画整理され、広い敷地を貰ってるのですが、
限りがありますからいずれ考えなくては、です。
以前は分譲希望が多く、条件を付けて制限してたようですが、
今、墓仕舞いされ空いた墓地が見られます。
それに遠くで管理できないまま放置された墓地もあります。
草に覆われた区画を見るのは寂しいものです。
ウォーキングに丁度良い。海が見える高台にあります。
やっぱり、戦没者の墓が別仕様なのは珍しいのですね。
墓仕舞いも多いようです。
お母様、きちんと始末されて良かったですね。
チチ(舅)も先祖代々とするなら、全部まとめてくれればいいものを
と、嫁は口にも出せず、心の中で呟いていました。(*´艸`*)