ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

Dくんと飲んだ(続)

2007-10-06 00:59:59 | 能楽
で、このたびDくんと飲む約束をしたのは、最近彼が手に入れた小さ刀をぜひ ぬえに見せたい、という希望があったからで、それと ぬえも今年の狩野川薪能の『一角仙人』のために自作した剣を以前から見せる約束をしていたので、それらの約束がようやく実現したのです。

小さ刀というのは能にも狂言にもよく使われる腰刀で、能ではもっぱら直面で直垂を着ている役に使います。直垂とはよく似ていながら、能では素袍を着る役にはこの小さ刀は使わない事になっていますが、お狂言の方ではもっと幅広く使われているようですね。

しかしこの小さ刀、じつはそれほど簡単に入手できる品物ではありません。その長さがもっとも問題で、全長として脇差よりは短く、短刀よりは長い、というあたりが理想なのです。なかなかこういう刀の拵(こしらえ=刀の外装。柄とか鞘とか)はありませんね。古美術としての刀の分類では「寸延び短刀」というものがこの小さ刀にうまく合致するようですが、これとても刀の寸法の中では異端なのです。かつては脇差を着けて舞台に出ていたのかもしれませんが、装束を着付けた上に着けるとなると、やはり脇差ではやや長すぎるのです。

また骨董には「茶差し」というものもあります。これは茶道の時に身につける刀で、やはり小型の脇差といった寸法で、長さとしては小さ刀にはちょうど良いのです。茶道の点前に臨むときに刀を身につけるのは本来許されず、刀は茶室の外にある刀掛けに置いて、丸腰で茶室に入る。帯刀していては茶室に入れないように、という意味が躙り口の大きさには込められている、と我々は知っているわけですが、現実に「茶差し」というものがあります。どうやら千利休らの「侘び茶」に対して「武家茶」というものもあったようで、現代でも伝統を継いでおられるお流儀があるようです。この「武家茶」では、さすがに現代ではそうしないまでも、かつては帯刀したままの点前という事があったとか。

ぬえも茶道については詳しくないのですが、こういう流れの中で「茶差し」というものが生まれたのでしょうか。ちなみに「茶差し」はすべて竹光で、それどころか一本の木から脇差の拵の形に削りだしただけ、要するに抜けないものも多くあります。能では小さ刀を抜くことはまずなく(『望月』ぐらいなものでしょうか。。?)、こうなると「武家茶」とはいいながら本当に武士が腰にして点前に臨んだものかは大いに疑問で、あるいは「武家茶」を嗜んだ町人がアクセサリー感覚で身につけたのかもしれませんね。

ただ、ぬえが見てきた限り、「茶差し」というものには名品がありません。なんだか貧弱なものが多い。金具も何にも使っていなくて、ただ木を削り出しただけ、というものもしばしばお目に掛かります。どうも「リッチな商人が武家茶を習うのに、帯刀は許されないけれども武家の気分でアクセサリーとして造らせた」という ぬえが持つイメージとはほど遠い。「茶差し」とは呼ばれるけれど、本当は茶道のために造られたものではないのでしょうか? それとも たまたま ぬえが見たものが貧弱なものばかりだったのかなあ。ご存じの方があればご教示願えれば幸甚です。。

また逆に、寸法こそやや長すぎるけれど、江戸末期頃の脇差の拵には美しいものが多くありますね。金象眼とか津軽塗り風の美しい梨地の鞘とか。面白いな、と思うのは、こういう品の柄頭とか鍔とかに象眼されている文様が貴族趣味なことで、『源氏物語』をモチーフにしていたり、和歌が念頭に置かれていたり。これまた武士らしい質実剛健さとはちょっと趣を異にしています。江戸時代という時代はいろんな意味で、現代の我々が考えているよりも、もっと大らかで活発、しかも爛熟していたのかなあ、なんて、小さ刀を見ながら考えたりするのでした。