ぬえの能楽通信blog

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『氷室』。。本格的な脇能(その8)

2008-09-09 02:40:43 | 能楽
ようやく問答も終盤になってきました。6月に勤めた『歌占』といい、最近は長い文句を覚えなきゃならない能が多いような。。

ワキ「げにげに翁の申す如く(正へ直し)。山も所も木深き蔭の。日影もさゝぬ深谷なれば。春夏までも雪氷の。消えぬも又は理なり。
シテ「いや所によりて氷の消えぬと承るは(ワキへ向き)。君の威光も無きに似たり。
ワキ「ただ世の常の雪氷は(正へ直し)。
シテ「一夜の間にも年越ゆれば。
ワキ「春立つ風には消ゆるものを。
シテ「されば歌にも(ワキへ向き)。
ワキ「貫之が(二足ツメ)。

このへんのシテの論理、ちょっと複雑でわかりにくいかも。時代によって様々な場所に氷室が設えられたけれども、いまはここ 丹波国桑田郡に氷室を定めたのだ、というシテの説明に対してワキは「なるほど、ここは山深くて日の光も射さない場所なので、春夏まで氷が消えないのも道理なのかもしれない」と納得したのです。ところがシテは「場所によって氷が消えない」というワキの言葉に異を唱えて「それでは君の威光もない、と言うにに等しい」と、やや語気を荒げて、さて以下、地謡の初同にかけてなぜ氷室の氷が溶けないのか、という説明になります。

地謡「袖ひぢて(正へ直し)。掬びし水の凍れるを(ツレは地謡座前に行き着座)。掬びし水の凍れるを。春立つ今日の(右ウケ)。風や解くらんと詠みたれば(正へ直し少し出)。夜の間に来る。春にだに氷は消ゆる習ひなり(ヒラキ)。ましてや(角へ行き)。春過ぎ夏たけて(正へ直し)。はや水無月になるまでも(左へ廻り)。消えぬ雪の薄氷。供御の力にあらでは。如何でか残る(シテ柱にてワキへサシ込)。雪ならん(ヒラキ)、いかでか残る雪ならん(中まで出下居)。

「初同」というのはその能の中で初めて地謡が謡う箇所を指します。「同」が地謡の事で、かつては地謡のことを「同吟」と呼んでいた名残です。もっとも「初同」として認識されるのは「下歌」「上歌」など小段と考えられる程度にまとまった分量のある拍子合の謡の部分で、「地取」とか「一セイ」の「二ノ句」を地謡が謡う場合でも、それは初同とは呼んでいません。

この「初同」は「上歌」ですが、脇能に限らず多くの能で初同の上歌に共通の型です。これまた定型なのです。ここまでくると『氷室』という曲の個性はどこにあるの? という感じですが、実際の上演ではそのようなワンパターンは一向に感じられないから不思議。

さてここで述べられるシテの論理というのはこういうものです。

紀貫之の歌に「袖ひぢて掬びし水の凍れるを 春立つ今日の風や解くらん」とあるように、春を迎えて消えてゆく氷は、深夜に年が変わり元日を迎えたとたんに溶け始める宿命が開始されるのだ。ところがこの氷は春どころか夏も盛りの水無月になっても、いまだに消えることがない。これは天皇に捧げ奉る供御になる氷であるから、その威光によってでなければ、今まで消えずに残っていようはずもない。

旧暦では元日と立春がほぼ重なっていて、だいたい現在の暦の2月6日頃(江戸後期からは2月4日頃)にそれはやってきました。そして立春から立夏の前日までを春とするので、元日のまだ氷の張る冷たい水を掬う手に「今日の立春の風がこの氷を解かすのだろうか」と詠んだのが『古今和歌集』巻一所収の貫之の前掲の歌です。まだ風も冷たいのに、立春を迎えて一抹の暖かさを期待する歌なのですが、能では元日から溶け始める氷が夏まで消えずに残っているのは、氷室という場所のせいではなく、帝の威光によるものなのだ、と説いている、というわけですね。

ところで余談ですが、この貫之の歌、『古今和歌集』巻一の巻頭、堂々第二首目を飾る歌です。『古今和歌集』は時系列に歌が並べられている和歌集で、巻一が「春歌上」なのも時系列の配本を意識していて、巻二が「春歌下」巻三が「夏歌」。。という順番ですし、たとえば恋の歌(巻十一~十五)も片思いから恋の成就、そして失恋。。と、恋の経過を追って歌を並べてあります。<さらに余談…巻十二「恋歌二」の冒頭には片思いをする小野小町が「夢」の中で彼に会う歌が三首連続して並べられています。これまた興味深い。。>

前述のように旧暦では立春と元日はほぼ重なっているのですが、それは「ほぼ」であって、実際には最大半月のズレがありました。では貫之の「袖ひぢて」の歌が巻一の冒頭を飾る歌ではなくて第二首目だとすると、晴れて一等賞を勝ち取ったのは誰の、何という歌なのかというと。。それはこの「ズレ」によって、まだ年が明けないうちに立春の日を迎えてしまった、いわゆる「年内立春」を詠んだ次の歌なのでした。

年の内に春はきにけりひとゝせを去年とやいはむ今年とやいはん(在原元方)

う~ん、序文まで書いた『古今和歌集』の有力編者だった貫之も、もう一つアイデアでは元方さんに及ばなかったか。。