次に最近頂いたのは これ! 今年8月に伊豆の『狩野川能』で ぬえが勤めた能『望月』の写真です。
撮影して下さったのは能楽写真家の山口宏子さん。こちらも考えてみれば、村上稔さんほどではないにしても、いつの間にか長いおつきあいになっているように思います。
最初は ぬえの舞台を撮影したい、とお申し出になられたのを ぬえが喜んでお願いしたのがはじまりですが、能楽写真家としては どちらかといえば遅いスタートだった山口さんですが、精力的にあちこちの舞台の撮影の申請をされたそうで、そんな中で ぬえも山口さんと出会ったのでした。
はじめは、まあ、一枚でも自分の舞台の記録写真が増えれば、という程度の気持ちでお願いしたのですが、出来上がってきた写真を見てビックリ! よくまあ、あれほど速い動きの中でこれほどのアップで写真が撮れるもんです。それも型の中途のところではなく、うまく型が止まった瞬間を狙って写真を捉えておられます。ん~~ ハンターだねえ!(^◇^;)
その後、山口さんのご好意に甘えてあまり予算に余裕のない地方の催しなどで多く山口さんに撮影をお願いするようなことばかりで、ぬえもまことに申し訳なく思っております。。
この『望月』では、山口さんは事前に「今回は後シテの“目”を撮影したいと思っています」とおっしゃっておられましたが、ぬえもなんとなく『望月』は覆面の下からのぞく「目」が大切なのかなあ、とは漠然と思っていましたが、その思いは山口さんのお言葉によって、はじめて確信に至りました。
ひょっとすると「目」で演技をする(と言っては言い過ぎかもしれませんが)曲は、能の中でこの『望月』ただ1曲かもしれませんですね。直面の曲は少なからずあるのですが、それらの曲を演じるときには「素顔を能面のように扱う」と言われていまして、表情を出すようなことは一切禁じられているのです。『望月』も前シテはその通りでして、自分が営む宿屋に泊まったのが宿敵の望月秋長と知る場面でも顔の表情を変えたりすることは一切ありません。
それなので、『望月』は後シテも覆面で顔を隠しているけれども、目だけはその下から直接お客さまの目に触れているので、ある種の「直面」であり、やはりその「目」は演技をする道具であってはならない、という考え方もあると思います。ところが、後シテは面こそ着けていないけれども、頭に戴く獅子頭はある意味で表情を動かしようのない面の代わりなのであって、一方獅子舞を舞いながら仇敵の隙を窺う心理描写はどこかで表現されなければならないはず。もとより『望月』の獅子舞はワキの望月秋長を油断させるための「面白い芸能」であるだけでなく、同時にその下には相手の隙を窺って、これの命を取ろうという魂胆があって、お客さまはそこを期待を込めてご覧になるわけですから、ワキに対してと、それからお客さまに対しての、二重の演技が行われてこそ『望月』の獅子舞ははじめて成立する、とも言えるのではないかと思います。
とすればワキの命を狙う「演技」は演者にとっては唯一その「目」でしか行うことができないでしょう。まあ、型にもワキの方に向けてグワッシをいくつもするとか、ワキが眠ったのを試みるために足拍子を強く踏む、などの具象的な動作もあるのですが、それは言うなれば「この相手を狙っているんだ」という意思表示のようなもので、もっとシテの心理の深い部分。。すなわち心から相手を憎んで生まれる殺意のようなものは型では演じられないものではないかと思います。そう考えると、やはり『望月』の後シテは、覆面で表情を隠すことができる立場になってから初めて露骨に殺意を現すことができるようになったわけで、それを表現するのは やはり「目」だと考えて間違いないでしょう。どこまでも特異な能ですね~、やっぱり『望月』は。
そういうわけで山口さんから頂いたのは大きく引き伸ばした後シテの写真。獅子頭の下から爛々と目がワキを狙っています。ああ、これはとても良い記念になりました! さっそく新宿の世界堂に行って額縁を買って。ちょっと変わった額縁を買っちゃったけれども。
山口宏子さん、毎度お気に掛けて頂いて深謝しております。今後ともよろしくです~(^^)V