ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

岐阜県・海津市にて浦田保利師追善の素謡会

2010-04-14 01:56:41 | 能楽

一昨日になりますが、岐阜県・海津市というところで素謡会がありまして、ぬえも地謡にて出演して参りました~

これは ぬえが尊敬する故・浦田保利師の一周忌追善の催しで、会主は保利師の弟子であるF師…海外公演で ぬえも何度もご一緒し、また ぬえが米国の大学で教えた際にも2度に渡りご同行をお願いした方…ぬえとは親子ほども歳が離れているけれども、また東京と京都で離れて住んでいるから滅多に会う機会もない方ですが、それでも ぬえとはとっても仲の良い、と言ったら大先輩に向かって失礼ですが、そんな信頼で結ばれている方…の催しでした。出演したのはF師のお弟子さんたちでしたが、大熱演で楽しい会でした。

またF師のご友人の能楽師が大勢 地謡で出演されるのですが、いずれも関西の方ですんで、東京の田舎者は ぬえ一人~。この日に地謡で出演された能楽師の方々は、もう何度もお目に掛かっている…けれども普段はなかなかお会いしないので旧交を温めた、という感じの方もあり、また初めてお目に掛かった方もあり、けれども皆さん気さくな方ばかりで、楽屋でも楽しい時間を過ごさせて頂きました。こういう交友関係もF師の人徳に依るところが大きいでしょうね~。ぬえはF師は本当に人格者だと思うし、また浦田家の同門の方も、技術的にも、人間性の面でも、ぬえから見ると見習わなきゃいけないことばかり… 

そうそう、この日は終演後に新幹線の岐阜羽島駅を利用して帰ったのですが、ご同門のK師とは話が尽きず、駅の蕎麦屋さんでビールを飲みながらかなり長く話し込んでしまいました。現代の能楽のこと、将来のこと、故・保利師の思い出話… K師はかなり鋭い視点で、古典芸能の役者として現代人にどう訴えかけるべきかを考えておられる方で、お目に掛かる度に ぬえは話し込んでしまいますね~。お互いに熱弁していながら、決して意見の違いから険悪なムードが漂ったり、ということはありません。K師に限らず舞台で技術的に刺激を受けることも多く、また楽屋では楽しい話題もあり、議論もできて、毎年お招き頂いて恐縮ですが、F師の催しは楽しみに参上しております。

さて今回の会場がまた、興味深いところでした。「海津市歴史民俗資料館」というのがそれ。タイトル画像を見て頂きたいですが、なんて立派な建物なのでしょう! それも近代的な博物館の屋上に純和風の屋敷があるとは…。

最初はこの御殿を見て、なぜ平地に建てなかったのかなあ? と不思議に思ったのですが、よくよく聞いてみると、ちゃあんと深い理由があったのでした。海津市は岐阜県の中では最南端に位置して、東は愛知県、西は三重県に接するところにあります。木曽三川と呼ばれる長良川・木曽川・揖斐川がちょうど合流する地点に当たっています。この地域、政治的にいえば江戸時代には松平氏が治め、尾張徳川家の分家のような立場にありました。そんなわけでこの御殿は松平氏の居城だった高須城の御殿を再現したものなのですね。

そうして御殿の中には本格的な能舞台も再現されています。ここが今回の会場となりました。



お城の御殿を再現したものなので、ちゃんと上段の間もあります。



こういうわけで、石垣の上に建つ城のイメージで建てられた御殿なのでしょうが、もう一つ、この高さに建てられた理由…というより石垣が再現された理由があったのでした。

それは、この石垣が付近を流れる木曽川や揖斐川の堤防の高さを表しているのです(!)。…じつはこの辺りは海抜ゼロメートル地帯でして、古来 三つの川の氾濫に苦しめられてきた土地なのだそうです。資料館には水と闘ってきた歴史や、その被害を軽減するために様々に工夫された結果生み出された、独特の生活様式の有様が展示されていて、とても興味深く思いました。集落をそのまま堤防で囲う「輪中(わじゅう)」が発達していたり、盛り土の上に田を開いて、水路で往復して農作業を行っていたことなど、ぬえには想像もつかない水との果てしない戦いの上に成り立っていた土地だったのですね。そういう意味もあって、現代では堤防も発達して水害への恐れは往時ほどではないにしても、水害の恐ろしさの戒めとして、自分たちの生活を守っている堤防の高さを表しているのでしょう。

しかしなんと言ってもこれ! 障子を開けたときの見晴らしの良さと言ったら!