ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

師家所蔵 オープンリールテープのデジタル化大作戦!(その2)

2010-12-22 01:56:36 | 能楽
今回、師家所蔵のオープンリールテープをデジタル化する事になり、まずは師家よりお許しを得てテープを拝借し、リスト作りから取りかかりました。古いものは「昭和17年」という但し書きがついている先々代の師匠…初世の梅若万三郎の録音でしたが…これは不審。いくら録音機としてオープンリールテープが古いと言っても、まさか戦前に遡りはするまい。

それでも、その極端に古い録音を除けば、最も古い録音は昭和30年という事になるようです。中には収録の期日がリールやケースに記されていないものもあったので、あるいはこれより古い録音もあるかも知れませんが、とりあえず期日が記録されていて確認できるものとしては昭和30年が最も古いものでした。

…が、これは驚異的に古いのかも。というのも、その後調べたところ、オープンリール録音機が民間に普及したのはもう少し後のようだからです。昭和30年といえば、西暦では1955年ですが、SONYが日本で初めて磁気録音テープを発売したのは、これよりたった5年前の1950年の事なのだそう。当時まだSONYは「東京通信工業株式会社」という社名でした。発売初期のテープの素材は「紙」がベースだったようですし、ほぼ同時に発売された録音機そのものは受注生産でした(ものすごく高価だったのでしょう)。その後オープンリールテープレコーダーが普及したのは1960年代のことらしいです。機器やテープの価格がようやく下がってきたのでしょうね。

ですから昭和30年の能の録音は、相当な大金をかけて行われたことを意味しています。…でも ぬえ、その気持ちはよくわかるなあ。なんせ、オープンリールテープレコーダーというものは、はじめて個人が、自由に音源を記録して手元に置いておくことを可能にした機械なのですから。

今でこそ、録音といえばICレコーダーなどを使ってデジタル録音をして、PCに取り込んだりCDに焼く、などの方法でしょうし、さらに言えば音楽をネットでDLしてipodなどの機器に入れて、ポケットに入れて持ち歩く…なんて事の方がむしろ一般的かも。今はマイクやら、CDやDVDなどのメディアさえ目にしない時代になりつつあります。

ところがつい半世紀前には大きな録音機に磁気テープを装着して録音しなければならなかった…のですが、それ以前に、そもそも「録音」なんていう概念が個人のものでなかった時代を考えてみれば、これは革命的な技術の進歩だったのですね。そうしてそれは、能楽師…だけじゃなく、舞台芸術や音楽家の間では、天地がひっくり返るような大変な事件だったでしょう。

そりゃそうです。ぬえだって、デジタル時代に生まれたわけではないけれど、カセットテープぐらいは小学生時代からいじっていました。能の世界に飛び込んでから、謡や囃子は録音を聞きながら勉強したし、舞は自分の姿をビデオに撮って研究しました。その当時から「録音や録画が出来ない時代の人々はどうやって稽古していたんだろう…」という疑問がありました。いや、それは疑問というよりも、もっと切実な…同情みたいなものでしたね。

「同情」なんて言うと先人に対して無礼千万な言葉ではありますが…が、しかし「表現」した途端に 片っ端から消え去ってしまう宿命を根元的に持つ舞台人や音楽家にとって、ぬえと同じような、払拭しきれない不安…自分の芸の位置みたいなものは常に確認していたいものでしょう。「耳で盗む」と言われた昔の稽古法は、そうやって手に入れた技術を いざ自分が正確に再生できているのかの検証方法がないだけに ぬえには確実には思えないし、ましてや世阿弥の言う「離見の見」に至っては、当時の公演の頻度の低さ(=実際の舞台での経験の少なさ)から考えれば、哲学的な概念にさえ思えてしまう… こんな事を考えてしまうのが文明に感化されすぎた現代人の浅はかさかもしれませんが…

ともあれ、たとえば録音技術そのものは19世紀には発明されていましたし、日本でも戦前からSP盤のような形で記録された音源を再生することは一般的に普及していました。しかしそれらは成果となるSP盤などを販売するなど商業ベースで企画され、録音技師や機材なども大規模に準備されて録音されたもの。それに対してオープンリールは、はじめてパーソナルな使用を許す録音機でありました。つまり「現在」の自分を客観的に見つめる事ができる、舞台人にとって理想的…というより希求されていた欲求が現実のものとして自分の手に入る技術だったのです。これにお金を惜しむ事はできなかったでしょうね~