ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

震災から1年~追悼集会に参加(その2)

2012-04-01 10:38:37 | 能楽の心と癒しプロジェクト
昨年9月、3度目の石巻訪問を計画していた ぬえは連日胃痛に襲われていました。なんせ出発の数日前になっても、公演はただの1カ所しか決まっていなかったのです。それも最初に一人で石巻を訪れた際に避難所の掃除をしたご縁からお近づきになったボランティア団体「チーム神戸」のお計らいによって、その掃除をした避難所・湊小学校での公演をお許し頂いた、それだけ。あとは東京からいろいろと調べて、メールを出したり、電話をしたりして能楽の慰問公演の受け入れについてお願いしていました。

…ところがこれが見事に不発でして。。メールには返信が来ない、電話をしても断られる。。当時、どうも石巻はイベント疲れしている印象を受けました。これもどうかとも思いますが、石巻は当時「便利な被災地」と呼ばれていることを後で知りました。仙台から1時間で行ける、東京から日帰りでも行くことができる、そのうえ町村合併して巨大な面積を持つ石巻市は、宮城県内でも最も甚大な被害を受けた街。。こうして ありとあらゆる人々が石巻を目指したのでした。ボランティアはもちろん、ぬえたちのような慰問を目的とするアーティスト、タレント。。これも段々と分かってきたことですが、石巻に比して全く誰も足を運ばないような被災地も現実にあって、その格差はとんでもないものだったと思います。

ぬえが最初に石巻でボランティア活動をしたのは偶然ではありましたが、その街で次に訪れるにも、まったく狭い場所、前回訪れた避難所から1歩も外に出て活動できない事は大変な心労でした。8月に湊小学校避難所ではじめて能楽公演を行った手応えから、この9月には能楽と狂言の両方の上演を計画し、数日に渡るスケジュールを確保して。いわば「満を持して」石巻に向かう予定でありましたから。それほど当時の石巻ではあちこちでコンサートや演劇、また支援物資を携えたタレントがたくさんのイベントを開いていまして、能楽はかなりマイナーな存在だったのかもしれません。

それほどみんなが注目する被災地に、石巻は当時からなっていました。でも、ぬえも先ほど石巻に至ったのは偶然、と書きましたが、仙台方面から海岸線を北上して行くと石巻はまず最初に目の前に現れる激甚災害地であって、それを見た衝撃が大きかったこと、またそれまで せいぜい1度しか訪れていないこの地方で、震災後にすぐに耳に入った地名であったことを考えれば、ぬえが石巻で足を止めてボランティア活動を始めたのも偶然とは言い切れないかもしれませんね。

とはいえ、ぬえらの活動は単なる慰問イベントではなく、邪気退散や寿福をもたらす目的も自負していましたから、9月に東京から訪問公演を石巻の各施設や団体に打診して、それがことごとく断られる(あるいは黙殺される)状況は、ぬえにとってあまりに心労でした。あの頃。。迫ってくる出発の日を目前にして、ひたすらメールを打ち、電話を掛け。。眠る間もなく、お風呂も2日に1回しか入れなかった事を思い出します。このまま石巻に行って、なにもする事がないまま避難所に宿泊させてもらうのか? ほかのボランティアさんに対してどんな顔をしていれば良いのか。それとも公演はやめて泥掻きのお手伝いをするか。。

こんな中、たまたまスケジュールに余裕のあった笛のTさんがひと足先に石巻に入ってくれまして、あちこちの関係者に直接会って交渉してくれました。すると。。何人かの団体関係者から「公演場所をどこか当たってみましょう」というお返事を頂くことができたそうです(!) やっぱり。。足を使うのが一番なんですね。顔を見せてから物事は動き始める。。そういう事もあります。

ようやく光明が見えてきた訪問公演で、ぬえも急いで石巻に向かいました。狂言チームはスケジュールの都合により、さらに遅れての到着の予定でしたので、現地で次々と交渉を進めるTさんに合流して、まずは能チーム二人だけで公演を行うことにしました。

こんな中で観光協会にTさんと二人で飛び込んだ ぬえ。「すみませ~ん、ここで能をやらせてくださ~い」