ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

震災から1年~追悼集会に参加(その6=石巻3.11市民追悼の会)

2012-04-12 02:42:19 | 能楽の心と癒しプロジェクト
翌3月11日。ついにこの日がやって来ました。震災から1年目のその日。

ところが事前には市内の至る所でそれぞれのボランティア団体が主催して追悼行事を行っていて、市内は大渋滞。。を予想していたのですが、意外にも ぬえの耳に入ってきたのは市が主催する公式の追悼行事のほかには、ほんの2~3だけしかありませんでした。なぜだろう。。ぬえの探し方が悪いのかな。。でも、石巻駅の周辺では、それこそ久しぶりに全国から集まったのであろうボランティアの若者たちの姿が多く見かけられ、その一部はこれまた久しぶりに見たボランティアの所属を表すゼッケンを着けて歩いていました。なんだか半年前に戻ったかのような風景。

ぬえは早朝に起床して(ま。。いつものことですが)7時には石巻駅に到着し、夜行バスでこの日到着する笛のTさんと太鼓のKくんを出迎えました。まずは佐藤さん宅に戻って着替えなど公演に不要の荷物を置かせて頂き、朝食をご馳走になって、いざ湊小に向かいましたが、まだ時間もあるので、被災地に初めて足を運ぶKくんのために、まずは被災地域の視察から始めました。中瀬・門脇・南浜。。そうそう、昨日石巻駅前の観光物産館で買ったのですが、巨大な鯨肉の缶詰を模したタンクが流された「木の屋水産」は立派に復興の歩を進めていて、鯨缶詰が売り出されていました!(後日東京のドンキでも販売されているのを確認!)









(ここまで撮影:ぬえ)

湊小では飾り付けの最終仕上げもいよいよ完了して、ぬえらは緞帳を下ろした体育館ステージの上を楽屋にさせて頂くことになっていましたので、そこで装束などの準備を始めました。朝9時。チーム神戸の金田さんが中心となって当日のお手伝いに駆けつけたボランティアたちのミーティングが行われました。正直、ぬえもチーム中津川やフランス人協会の方々はチーム神戸の活動を通じて団体の存在だけは知っていましたがお会いするのは昨日の飾り付けのときが初めて。それでも同じ志を持った“仲間”ですからすぐにうち解けることができました。これらのグループが金田さんによって紹介されましたが、とくにチーム中津川のみなさんの活動には敬服しましたね~。これまでも泥掻きなど重労働のボランティアを進めてきたようでしたが、この日も駐車場の担当をするなど、ともかく目立たない裏方の活動を黙々と、それでも明らかに熱意を込めて行っておられる。。ぬえらのような慰問活動では計り知れない苦労をこの方々は進んで引き受けておられます。

さて湊小体育館では住民さんの実行委員会主催、チーム神戸事務局により「石巻3.11市民追悼の会」が開かれたわけですが、前もって聞かされていた内容はこんなものでした。午前10時~午後5時まで、延々と行われる。それは避難所時代の湊小に関わった地域住民が集うのに、各家庭でも犠牲者の追悼が行われる事情に配慮して、空いた時間にいつでも湊小に来れるように緩い時間設定をしたもの。住民さんに限らず、湊小避難所に携わったすべての人々が再び集い、追悼をするのが催しの目的。。

こういう緩い進行が設定されていましたから、ぬえらの能楽の公演も、とくに上演時間を決めず、集会に人が集まったら随時自分たちの判断で上演してほしい、と金田さんに任されていました。ぬえの予想では、これほど長時間に設定された集会では、集まる住民さんも ちらほら。。と寂しい進行と思いこんでいたのですが。

ところが!朝10時を前にして、すでに湊小体育館は大勢の方が集まっておられました。まずは避難所時代の湊小にずっと安置されていて、住民さんの心の拠り所となっていた観音像に向かって法要が行われました。このときの法要は ぬえらとも一緒に活動して頂いている曹洞宗庄内青年会が中心となって導師をお招きして行われたのですが、このとき初めて いつもご一緒しているお坊さん方の声明を聞きました。それが。。あまりに美しく、荘厳で、ぬえは絶句。。ぬえらも読経の流れる中焼香をしまして、それから2月に気仙沼の地福寺で手向けさせて頂いた独謡一管『江口』を笛のTさんとともに勤めることにしていたのですが、すでに ぬえの涙腺は極限状態で、まともに謡えるか自信がない。。


(これはぬえ撮影)


(これ以降撮影:加藤昌人氏。タイトル画像も同)

まあ。。なんとか『江口』を勤めてから、すぐに装束の着付けを始めて、30分ほど経ってからダイジェスト版の能『葛城』を勤めさせて頂きました。