ぬえの能楽通信blog

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活動報告書(2014.03.10~11)

2014-05-07 08:42:34 | 能楽の心と癒しプロジェクト
能楽の心と癒やしプロジェクト
第20次被災地支援活動
(2014年03月10日~11日)


 〔活動報告書〕

【趣旨と活動の概要】

 東日本大震災被災地支援を目指す在京能楽師有志「能楽の心と癒やしプロジェクト」では、能楽の持つ邪気退散、寿福招来の精神を被災地に伝えるべく、2011年6月よりすでに19度に渡り岩手県釜石市、陸前高田市、宮城県石巻市、気仙沼市、南三陸町、女川町、東松島市、仙台市、大崎市、および福島県双葉町の住民が避難していた旧埼玉県立騎西高校避難所にて能楽を上演することによって被災者を支援する活動を行って参りましたが、このたびプロジェクトメンバーのうち能楽チームの八田、寺井は、去る03月10日~11日の2日間に渡り宮城県・気仙沼市にて短歌の朗読会への参加、ボランティアのパーティへの出演、および災害ラジオへの出演を行いました(※注2)。

今回の活動で特筆すべきは、もちろん3回目となる震災の日に活動を行ったことです。これまでプロジェクトでは震災の日には石巻市で活動をして参りましたが、今回ははじめて気仙沼市で震災の日を迎えることとなりました。また石巻での震災の日はほとんど一日中上演会場にとどまっていましたが、今回ははじめて市内の様子を見ることができ、また市が主催する追悼会にも参列することができました。改めて震災を悼む日を被災地で過ごすことが出来、有意義な活動であったと思います。

反面、震災の日の前後にはおよそ能楽の上演ができる雰囲気ではなく、実際の活動には受け入れ先が見つかるか心配ではありました。が、気仙沼市民であり、プロジェクトの活動の良き理解者・協力者である村上緑さんの活躍によって、震災の日に気仙沼市では高名な「煙雲館」にて短歌の朗読会が開かれることがわかり、そこに出演させて頂くことができました。当日は韓国の歌人・李承信さんの朗読会も大変心動かされ、また終了後の懇親会も興味深いものであったのですが、煙雲館のご当主である鮎貝文子さまには大変親切にして頂き、この5月には能楽ワークショップを開催させて頂くお話しにまで発展することができました。

そのほか1年前の活動時からすれ違いが続いていた住民ボランティアの伊藤雄一郎さんが主催する音楽ボランティアさんたちのパーティにて上演させて頂いたことは、催しそれ自体はとても心温まるものであった反面、会場となった伊藤さん経営のワインバーが被災建物を改造したもので、いまだに震災のすさまじい状況を鮮明に伝えていることに衝撃を受けました。こちらでは伊藤さんの協力スタッフさんから、いま気仙沼で大変問題となっている防潮堤をめぐって、いろいろな暗部の話を伺ったことも心に残ります。また「けせんぬま災害FM」に出演させて頂いたことも特筆すべきで、これは石巻で2年前に出演させ頂いて以来のことでした。

3.11の震災の日には気仙沼市でも様々なイベントが行われていました。大規模なものとしては光の柱を空に向けて立ち上げる「3月11日からのヒカリ」プロジェクトが、これは震災の1年後から毎年行われているものです。これを見ることは念願でありましたが、このたびようやく実現することができました。またやはり住民ボランティアの杉浦恵一さんの「ともしびプロジェクト」が気仙沼女子高で行ったイベントを見たり、さらに震災の日に合わせて放送された震災時の再現テレビドラマを当事者の方の家で一緒に見たり。。自分たちの能の上演以外の面で、かつてないほど多くのイベントや行事に参加することになったのも印象深いことでありました。

なお、長らくプロジェクトでお預かりしていました義捐金を、今回ようやく気仙沼市のNPO団体「ネットワークオレンジ」さんに寄付することができました事も併せてご報告させて頂きます。

【出演者】
八田達弥、寺井宏明(能楽の心と癒やしプロジェクト)
【協力者】(敬称略)
 村上緑/伊藤雄一郎/鮎貝文子/けせんぬま災害FM
【主催】
 能楽の心と癒やしプロジェクト

【活動記録】(敬称略)
 3月10日(月)
八田・寺井早朝東京出発、午前中に気仙沼に到着し、村上緑さんをピックアップして、次回の活動の会場と決まった北野神社を下見。突然の訪問ながら宮司さまも在宅しておられ、打合せも済ますことができた。

その後松岩の「けせんぬま災害FM」スタジオへ移動

◎けせんぬま災害FM「にじなま」出演
14:00 ~ 謡と笛の実演「松風」 出演(八田・寺井)トークには村上緑さんも出演
スタジオは防音設備もない個人のお宅の一室ながら、プロジェクトの活動の宣伝もして頂き、大変ありがたい活動となりました。

その後煙雲館に移動、翌日の朗読会の打合せ。夕方より伊藤雄一郎さん主催のライブに出演

◎ボランティア グループのパーティへの出演
18:00 ~ 能「羽衣」 出演(八田・寺井)
会場「WINE BAR風の広場」は被災建物の2階の一部を改装したもの。外観も震災当時のままで、電気も一部しか通じていない状態で、真っ暗な控室が楽屋となりました。参加者は若者の音楽ボランティアさんのグループで、大船渡などで活動を行い、この日が打ち上げパーティーを兼ねたライブ。プロジェクトとしては被災者ではなくボランティアさんたちを対象としたねぎらいの意味での上演でありました。参加者は若者ばかり10数名ながら熱心に能を見てくださいました。その後スタッフさんから防潮堤の問題やそれにまつわる暗部の話を聞き、複雑な思いでした。

 3月11日(火)

◎李承信さん短歌朗読会への参加 13:00
能「羽衣」 出演(八田・寺井)
李承信さんは韓国で唯一の歌人で、同じく歌人だった母の影響による親日家。震災を受けて日本を悼む歌を出版し、気仙沼市内でこれまで朗読会を開き、この日は落合直文の生家で、庭園が気仙沼市の文化財指定を受けている煙雲館にて朗読会を開かれるとのことで、村上緑さんの交渉によりこのたびプロジェクトとしても朗読会に華を添えることができました。参加者50名ほど。

終了後、ちょうど震災の時間2:46となり、参加者全員にて黙祷を捧げました。その後懇親会となり、列席しておられた気仙沼のユニセフ団体の先代の会長さんの老婦人がかつて謡の稽古をしておられたとのことで、一緒に「羽衣」「猩々」の謡を同吟するなど、思いがけない出会いもありました。

その後リアス・アーク美術館で今後の活動についての相談をし、美術館の隣の総合体育館・ケー・ウェーブにて気仙沼市が主催する「東日本大震災追悼式」に参列。式典は2:46に合わせて開かれていたので、このときはすでに終わっていたものの、献花だけは夕刻まで可能とのことで、そこにのみ参列しました。さらに杉浦恵一さんの「ともしびプロジェクト」が廃校が決まった気仙沼女子高で開いた、生徒が校舎に感謝を捧げるイベントにも参加。
そのイベントが行われた気仙沼女子高の3階教室から「3月11日からのヒカリ」の投射を見、それから以前にもお世話になった市民の協力者の方のご自宅にてNHKによる震災の再現ドラマを鑑賞。この協力者の方は、ドラマの原拠となった事件の直接の当事者で、当時の状況をこと細かに教えて頂きました。

3月12日(水)

笛のTさんは東京の舞台出演の都合により早朝に気仙沼を出発、午前中、気仙沼のNPO団体「ネットワークオレンジ」事務所を訪問し、募金としてお預かりしていた義捐金を寄付しました。午後、気仙沼のシンボルのような存在の安波山に車で上り活動を終了、深夜に東京に帰着しました。


【収入・支出】

プロジェクトの活動は基本的に募金によって行われております。震災から3年が経ち、現在ではほとんど新規の募金が集まらなくなり、活動資金は大変厳しい状況にあります。

募金は基本的にプロジェクトのボランティア活動資金(以下「ボラ」)として使わせて頂きますが、とくに被災地への直接支援を目的にプロジェクトに寄せられた義援金(以下「ギエ」)はプロジェクトとして支援するのに然るべき団体。。被災地に拠点を置き、直接被災者の支援活動に従事することを目的とした、非営利で公明正大な活動が長期に渡って期待できる、信頼すべき団体に寄付させて頂くこととしてお預かりさせて頂いておりました。このたびギエの残金32,500円は気仙沼市で活動するNPO団体「ネットワークオレンジ」さんへ寄付させて頂き、これを以てすべての義捐金の配布が終了しました。

プロジェクトの活動資金としては、前回活動繰越金として 138,998円(内訳:ギエ106,498円ギエ32,500円)があり、また銀行の利息として13円の収入がありました。これによって今回の活動資金の総額は139,011円となります。

これに対して今回の活動による支出の内訳は別紙決算報告書にある通りで、今回の活動終了時の残額は 55,601円(ボラのみ)となりました。大変心細い金額で、年末年始の19次活動の際に期待していた企業さまからの補助金が受けられなかったため、資金の予定が大幅に狂った事は否めません。しかしながらこれらは今回の活動繰越金として計上し次回活動の資金として有効に使わせて頂きます。また多方面からの助言もあり、今後は被災地での活動もイベント系の催しに関しては少額の入場料を頂いたり、募金箱を設置するなどの方法も視野に入れて検討しております。

仮設住宅における活動については今後も入場無料を堅持する方針ですが、かつて活動資金の枯渇のために撤退したボランティア団体は数多くあり、活動資金の調達は息の長い運営のための大きな課題のひとつだと思います。

プロジェクトの訪問公演の支出につきましては節約を旨としております。交通費節約のため、できるだけ深夜割引の制度を利用して終夜運転をして早朝に現地に到着するなど工夫はしておりますが、体力や公演スケジュールによって、必ずしも深夜走行ができない場合もあります。宿泊につきましては、従来は住民ボランティアさま等のご厚意により無料、または安価での宿泊ができましたが、街が落ち着きを取り戻しつつある昨今では旅館などに宿泊する機会も増えてきました。この場合にも宿泊費はおおよそ5,000円まで、素泊まりを旨としており、食費については酒食の区別がつきにくいため、すべて自己負担としております。

【成果と感想・今後の展望】
今回は3年目を迎えた震災の日を、今年も被災地で迎えられたことをまずは喜びたいと思います。被災地を巡る状況は刻一刻と変化を続けており、昨年まで震災の日に活動を行ってきた石巻の湊小学校は新年度からの再開に向けて工事が行われていたため使用不可となり、一時プロジェクトは活動の場を失ってしまいました。そこを気仙沼の各方面にお話しを繋いでくださったのが市民の村上緑さんで、お礼の申しようもありません。村上さんはその後も事実上プロジェクトの気仙沼現地事務所のような立場で活躍してくださり、プロジェクトの活動の場を開拓してくださっております。

このように市民との連携で活動を行えるようになったのはプロジェクトの活動のひとつの成果と言えるでしょう。石巻にも同じようにプロジェクトのために奔走してくださる方があり、また活動にお邪魔するたびに募金をくださる方もおられます。しかしながらプロジェクトの活動は2~3ヶ月に1度というペースで、なかなかいつも活動を心待ちにしてくださる方がおられる街でコンスタントに活動をすることが出来ず、不義理を続けている状況もあります。

一方、震災3年目を迎えてプロジェクトへの募金はほとんどなくなり、またこれまで我々プロジェクトの資金面の支援をしてくださったボランティア団体からの支援も途絶えてしまった厳しい現状もあります。今後は東京で支援頂ける企業などを探す一方、被災地でもイベントとしての催しは入場料制にするなど、運営の方法を模索して行かねばならないと痛感しております。

しかしながら、今回の活動では市指定文化財の庭園を持ち、伊達藩の家老職だった名門・鮎貝家の居宅であり、また歌人の落合直文の生家でもある「煙運館」で活動することができ、現ご当主の鮎貝文子さまには大変厚遇を頂きました。文子さまからはその後もご協力を頂き、この5月には煙雲館にて有料の能楽公演とワークショップを開かせて頂く予定になっております。

また石巻ではついに機会がなかった公式の追悼会に出席させて頂き、さらに3.11の日に催された他団体の催し。。伊藤雄一郎さん主催のボランティアさんのパーティーや「ともしびプロジェクト」の気仙沼女子高でのイベント、そして「3月11日からのヒカリ」に、それぞれ参加させて頂いたり拝見させて頂くことができたことも、被災地に寄り添う意味ではじめての生きた経験だったと思います。伊藤さんのスタッフさんや鹿折マルシェ、鮎貝さんなど、市民や関係者の方々から震災当時のことや気仙沼の現状について様々なお話しを伺うこともでき、これも印象深く、意義深い経験であったと思います。

震災3年目を迎え、仮設住宅や仮設商店街もいずれは解消されて、いずれは次の段階へと進んでいくことになりますが、我々の活動もその時々の状況に応じて形を変えていく事になります。息長い支援のために皆さまの変わらぬご支援をお願い申し上げる次第です。


平成26年5月7日







                             「能楽の心と癒やしプロジェクト」

                               代表   八田 達弥

                             (住所)
                             (電話)
                              E-mail: QYJ13065@nifty.com