ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

第21次支援活動<登米市・気仙沼市>(その5)~気仙沼・北野神社奉納

2014-05-26 03:12:15 | 能楽の心と癒しプロジェクト
【4月28日(月)】

朝、追分温泉で朝食まで頂いて、さて気仙沼に向けて出発。ここで笛のTさんの生徒さん。。東北ではなく東京の教室の生徒さんらしいですが、若い女の子が同乗することに。どうやら横山不動尊さまでの我々の能の上演を見るために わざわざお出でになったらしい。横山から気仙沼まで、また活動終了後は東京まで行動を一緒にすることになりました。当然気仙沼での活動はいろいろと手となり足となり手伝ってはもらいましたが、さすが若手。キビキビと動いて、なかなかの有能ぶりを見せてくれ、ずいぶん助かりました。



聞けば彼女は被災地に来るのは初めてだそうで、それならばというわけで横山から気仙沼に向かう途中に志津川の防災対策庁舎に立ち寄りました。いわゆる震災遺構を見せてあげようと思ったのですが、気仙沼には共徳丸が撤去されて以来、すでに遺構として見るべき場所は残されていません。難しい問題ですが、こうして震災から3年を経て、はじめて被災地にやって来る人はまだいるのです。こうした人に震災の恐ろしさを感じてもらい、東北から帰ってから周囲にそれを伝えてもらうためには、この日遺構に立ち寄ることは是非とも必要なことでした。

人命の被害が出た建物を遺構として保存するのは遺族には大変な心労を強いることになり、実際に地元の住民さんの意見によって「震災遺構」は次々と姿を消しているわけですが。。そうして ぬえの気持ちも、保存には反対であったのですが。共徳丸がなくなり、これから先は言葉だけで震災を伝えることになった時、ぬえは初めて気持ちを翻すことになりました。百聞は一見に如かず。やはり津波の破壊力を、そしてこの地で人々がどんな恐ろしい体験をしたのかを肌で感じるのに、遺構はあまりに雄弁です。よそ者だから言えることなのかも知れませんが、これらの遺構を残してほしい、と ぬえもいまは思っています。今から思えば石巻の木の屋さんの「鯨缶」。。あれは人命の被害もなかった遺構だから、なんとか残してほしかった。

やがて気仙沼に到着、昼食のコンビニ弁当を買って、奉納上演会場である北野神社に行きました。宮司さまにご挨拶してからすぐに神楽殿に楽屋入りをし、さて支度の目途もついたところでお祓いを受けました。書き忘れましたが前日の横山不動尊でも上演前にお願いしてご祈祷を受けさせて頂いております。

新築なったばかりの木の香りのする神楽殿は広々としてとても気持ちが良い舞台でした。しかも舞台の後方には鏡板のような老松の図の横断幕も用意してあって、これを垂らすことによって神楽殿は能舞台のような趣になります! ただ、ここはお客さまが見ている場所から見るととても高く、見上げるような形になってしまいます。それでここでも上演中に舞台を下りてみることにしました。う~ん、ただ、こちらの舞台の下には ほんの1m弱の奥行きの土台部分があるだけで。。面を掛けている ぬえが恐怖心を起こさずにここを下れるかしら。。?

結局 宮司さまが木製の低い簀の子を用意してくださり、これを所作台のように舞台下の土台に置くことによって、まずは舞台下の凹凸をなくし、かつ舞台から下りる段差をすこし軽減することができました。

やがて奉納の時刻となり、さきほどまで少々降っていた小雨もほとんどあがり、絶好のコンディションです。お客さまも。。あれ、この画像を見る限り70名ほどもいらっしゃったのではないかしら!





あ、一番手前に「ともしびプロジェクト」の杉浦さん一家が (^◇^;)



予定通り舞台からちょっとだけ下りることもできて、まずは良い上演だったと思います。この日も上演曲は『羽衣』。「南無帰命月天子」とシテが合掌するところは右横の方向に当たる本堂に向けて型をしました。





終了後、突然の思いつきで能楽ワークショップを行いました。なんせ広々とした神楽殿で、参詣のお客さまが舞台に上っても装束を広げたりするのに十分なスペースがあると思ったからで、能装束に触れられるこの機会はなかなか好評だったようです。お客さまからは活動資金として募金も頂戴し、大変ありがたいことでした。






それどころか、終演後に片づけをしていると宮司さまが頻りに「片づいたら社務所の方へ。。」と促されます。社務所に伺うと、なんとお食事を用意してくださっていて。。大変ありがたいことでした。。ぬえは例によって遠慮はまったくない人なのでバクバク頂戴してしまいました~ すんませ~ん。

これにて今回の活動は終了。まだ日も高いのでどこかに寄りたいなー、と 鹿折マルシェでおみやげなど買い込みましたが、あまり遅くなって深夜に東京に到着すのだとTさんの生徒さんが自宅に帰れない、ということもあって早々に一関に向かい、一路東北道を南下して東京に帰りました。時刻はかなり遅くなったのですが、新橋に到着できれば終電に間に合う、ということで、そこで解散。みなさんお疲れさまでしたー。

(この項 了。今回の上演の画像は吉田晶子さまがfacebookにアップしたものを拝借致しました)