ぬえの能楽通信blog

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『一粒萬倍』ロサンゼルス公演(その5)

2017-02-06 02:43:41 | 能楽
アマテラスが天の岩戸から出てきたことで世界に光が戻り、さて騒乱を起こしたスサノオは高天原を追放されることになります。一人きりになったスサノオはオオケツヒメのもてなしを受けて食事を得ますが、それはオオケツヒメが鼻や口や尻から取り出した食材を調理して提供されたものでした。これを知ったスサノオは穢れた物を食べさせられた、と怒ってオオケツヒメを斬り殺してしまいます。







オオケツヒメ役はやはりロサンゼルス日舞チームの坂東秀十美さん。『一粒萬倍』で面白いのは、オオケツヒメはお酒を勧めたり、どうもスサノオを誘惑するイメージで描かれていることで、これは『古事記』や『日本書紀』には見えないので作者・松浦靖さんの創作でしょう。

が、二人が仲睦まじい場面があるからこそ、食物を体内から取り出したことを「穢れ」と見たスサノオの怒りが引き立って見えるのもたしかです。孤独になったスサノオをもてなす女神であれば、その程度の飛躍はかえって効果的かもしれません。

さてオオケツヒメの死骸からは頭に蚕、眼に稲種、耳に粟、鼻に小豆、陰部に麦、尻に大豆が生い出でました。カミムスビの神(天地開闢のとき天御中主〈アメノミナカヌシ〉に続いて2番目に生まれた神)はこれを取って種としました。これが五穀のはじまり。。すなわち農業の起源とされています。




カミムスビの神は再び登場の優艶ちゃん。 かわゆい。



。。ところで。アメリカでの公演で『古事記』の物語を上演するとき、本当に原典にある通り「口や鼻や尻から食物を取り出した」と、これをそのまま言うことは正しいやり方かなあ? と ぬえは考えます。身体を張って働くときの尻っ端折り。ここぞという時にもろ肌脱ぎ。ソバは音立ててすする。小鼓は鳴らすために唾をつけて湿気を与える。これらは日本の文化だから。

身体から出るものを「不潔」と日本人は必ずしも考えませんね。身体は神様からもらった賜物だから。。というのは どちらかといえば西洋的な発想の現代的すぎる捉え方で、それよりはむしろ、日本人が言霊(ことだま)というものを信じてきたからだと思います。万物に霊が宿ると信じていた日本人にとって、身体はいずれ空しくなる物体だけれど、そこから様々に形を変えて生じる物は霊力を持っていたり、その残滓だと考えてきました。身体から出て相手の心に影響を与える言葉の神秘は、まさに体内にある霊がなせる技と思えたでしょう。ところがスサノオがオオケツヒメに「穢れ」を感じたのは、彼女が体内から出した物が自分に供された食物だったからであり、彼が言霊に思いをいたさない粗暴な人物(。。神物、か。)だったからでしょう。

でもこの日本人の感性をそのまま外国人のお客さまに提示するのは ちょっと厳しいかなあ。グロテスクに思われてしまったら神話に共感を持って頂けなくなり、劇のストーリーにもついて来て頂けなくなるから。「身体の中から取り出した」。。くらいに表現をやわらげても良かったかも。

さて舞台はこれより『古事記』に描かれた世界を再現するのではなく、そのイメージをふくらませてゆきます。この辺りは舞台芸術が本領を発揮するところでしょう。

舞台には華道の専門家・本庄さんが巨大な「投げ入れ」の生け花を作っていきます。ほどよく形になってきたところで さきほど影絵でシルエットを見せたアマテラス。。 Baliasiのモモちゃんが登場、稲穂を本庄さんに渡して、これを加えることで生け花が完成。



モモちゃん、中学生なのにこの気品はなんだろう。







この場面、すなわち巨大な生け花が オオケツヒメの死骸から生い出た五穀をカミムスビの神が採取し、これをアマテラスが孫のニニギを葦原中国に下すときに与えたことにより農業が始まり、長い年月を経て大きく豊穣を見ることになった、という意味です。

ニニギのひ孫が神武天皇であり、ニニギが地上に降り立ったことを「天孫降臨」と言います(つまり『古事記』はそういう意図を持って書かれた書だということ)。『日本書紀』にこのときアマテラスがニニギに稲穂を伝えた、とあり、すなわち神が人類に農業を伝えたのですね。