ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

閖上での活動と石巻311奉納

2020-05-11 18:38:22 | 能楽の心と癒しプロジェクト
引き続きまして遅ればせのご報告です。。

■2019年

去年の3月11日の震災の日の奉納は、前日10日に名取市の閖上地区での神社への奉納と、新築なった公民館でのワークショップ上演から始まりました。

閖上での活動は2015年の旧閖上中学校(撤去済み)と、2018年3月11日の日和山での奉納に引き続き3回目になります。その2度目の活動のとき偶然現地で出会った新宮夕海さんのご紹介でこちらでの活動が実現しました。

新宮さんは能楽写真家なのですが、この日が初対面でした。新宮さんは閖上と岩手県の大槌町との支援活動を続けておられるそうで、ぬえは新宮さん自身もその活動もこの日に初めてそれを知りましたが、一方新宮さんも我々の活動をご存じなかったようです。狭い能楽界ですが、ご縁がないと知らないこともあるんですね~。しかし新宮さんはその後積極的に ぬえらプロジェクトの活動をサポートくださり、その年の夏には新宮さんのコーディネートで大槌町での初めての活動が実現しましたし、この3月11日の閖上での活動もすべて新宮さんにご尽力頂いて実現したものです。(この記事の画像はすべて新宮さんに撮影・提供いただいた物です)

この日の閖上でまず行ったのは閖上湊神社での奉納舞囃子「高砂」でした。海の近くにあった閖上地区は震災でかなりひどい被害を受けたのですが、やや内陸に近い区域のかさ上げした地域に8年かけて街を再建したばかりで、ようやく自治会が発足したところで、湊神社も移転されてここに鎮座しました。こういうことを「高台移転」と表現しますが、当地の方々によればそうではなく「現地再建」と言ってほしいとのこと。なるほど、何度も閖上を訪れている ぬえが見ても復興工事のために行くたびに街並みから道路も何もかも変わってはいますが、新しく築かれた閖上の住宅街はかつてのその場所と ほんの少ししか移動していません。「高台移転」と「現地再建」。同じく再建ではありながら、現地の住民さんにとっては故郷を捨てたのではなく踏みとどまったのだ、という自負があり、この2つの言葉は大きな違いです。



さて湊神社ですが、ご神体が鎮座するのは。。「祠」というべき小さなものでした。しかし、それに不釣り合いな(失礼。。)ほどの大きな鳥居と神輿蔵に圧倒されます。

事情を伺ってさらにびっくり。なんとこの鳥居は伊勢神宮から寄贈されたものだそうです(!)。数年前の伊勢神宮の式年遷宮のとき取り替えられた旧鳥居が贈られたとのことで、それではもう10年以上前、ぬえが「道成寺」を披くときに参拝した、そのときの鳥居との再会なのですね。。

また巨大な神輿蔵も、内部をのぞき見ると、なるほどこれほどの蔵がなければ収蔵できない大きなお神輿が。これも寄贈されたものだそうです。神社の再建はまだ途上で、これから本殿や社務所の造営が計画されています。





神前での舞囃子は砂利の上で難しかったですが、ぬえたちは奉納のときは遠方への旅行で荷物になっても必ず着用する裃で「高砂」を奉納させて頂きました。

午後からは新築の公民館での上演+ワークショップです。準備を整えて海辺の物産商店街「メイプル館」で海鮮丼の昼食。



自治会が発足してその活動拠点となる公民館も新築なったばかりで、とても明るい建物でした。ここでは能「羽衣」を上演してから恒例の住民さんの体験教室を行いました。









終了後、閖上地区の震災のメモリアル施設「閖上の記憶」に立ち寄りました。以前は違う場所にありましたが、メイプル館の奥まった場所に移転していました。撮影することはとてもできなかったけれど、児童が作った紙粘土細工による。。彼らが目撃した津波の様子の再現に心打たれました。伺えば心理学の専門家の指導で、子どもたちには津波の被害だけでなく、震災前の街並みや、また彼らが思い描く未来の故郷の模型も同時に作らせているそうで、そうして心のケアを図っておられるそうです。



こうして閖上での活動を終え、新宮さんとここにてお別れし、ぬえたちは石巻に向かいました。

翌日の3.11は大雨。。
石巻の日和山の鹿島御児神社さまでの奉納は社務所内で行うこととなりました。
このときから8年前、震災の年の夏にプロジェクトは鹿島御児神社さまで奉納させて頂きたい旨お願いしたことがありますが、この時はとても受け入れができる状況ではない、とお断りされてしまいました。

それから月日は流れ、あるとき ぬえはなぜか思い立って鹿島御児神社さまにふたたび奉納のお願いをしたところ、神社さまもかつて奉納をお断りされた事をずっと気にしておられた、とのことで、この度の奉納を快諾頂きました。

加えてこの前年にワキ方宝生流の吉田祐一氏と親しく話す機会があって、なんと氏が石巻の荻浦のご出身で、震災当時荻浦のご両親は避難されて無事だったながら、ご実家は津波により全壊の被害を受けられたことを知りました。氏も我々プロジェクトが震災以来ずっと石巻をはじめ被災した各地で活動していることをご存じなく、ぜひ協力したいと仰って頂いて、この日の鹿島御児神社さまでの奉納ではじめてプロジェクトの活動に参加されたのでした。

さらにはこれまで何度となくプロジェクトの活動に参加くださっている太鼓の大川典良氏もこの日の奉納から参加。前日の閖上での活動では笛の寺井宏明さんと二人きりだったのが、3.11奉納では一気に能楽師4人が参加して賑やかになりました。。のに大雨。

そんなわけで翌年になる今年(2020年)の3.11は鹿島御児神社さまにお願いして再度の奉納を、同じメンバーで行いました。今回は快晴!