ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

仮設住宅について

2020-05-18 13:44:13 | 能楽の心と癒しプロジェクト
ぬえたちプロジェクトの東日本大震災の被災地での活動は、能楽師有志によって能の上演をする」ことで癒やしをお届けすることにあります。それなので特別な装備や物資は必要なく、それでご厚志により頂いた募金を節約して使わせて頂くことで今日まで活動を続けてくることができました。

思えば9年間も募金だけで(最近は現地で頂いた謝礼もありますが)活動を続けて来られたのは、我ながら驚くべきことでしょう。たしか震災の翌年には他のボランティア団体から「いまだに募金で活動しているのはあなたたちだけでしょう」と驚かれた記憶が。。

活動に奉仕する能楽師有志はボランティア参加なのですべて無報酬なのは当たり前として、どうしても必要になるのが現地までの往復の交通費と宿泊費です。

交通費については当初は被災地での活動計画を示して行政から「災害派遣等従事車両証明書」というものを発行して頂くことで高速道路の料金が無料になりましたが、この制度は1年しないうちに廃止になりました。続いて高速道路の管理会社が夜間に走行すれば通行料金が半額になる、という割引制度を打ち出したのでこれを利用し、能楽師は深夜0時に集合して夜通し東北道を北上して明け方に被災地に到着、そのまま避難所や仮設住宅で活動する、なんてことをしていました。なんか、若かったなあ。。とも思う昨今。9年前ですもんね。その後この割引制度も廃止されてしまいました。

宿泊は。。ぬえたちは恵まれていたと思います。震災の年の当初は避難所となっている小学校の教室に寝袋を持ち込んで雑魚寝したり、ボランティア団体さんの事務所に泊めて頂いたり。当時は寝袋持参が当たり前でしたが、無料で泊めて頂けることが多かったのです。もっとも現地で知り合った個人ボランティアさんの中には半年間テントで寝泊まりしている、というすごい方もありましたが。その後現地の住民さんと知り合うにつれ、個人のお宅に泊めて頂いたことも。

震災から1年くらいが経過した頃から、避難所も閉鎖になり、住民さんの生活も落ち着いてきて、あいかわらずボランティア団体さんの事務所に泊めて頂くこともありましたが、段々と現地の旅館やビジネスホテルに泊まることも増えてきました。このときに頂いた募金を節約して使わせて頂くために、宿泊費はひとり1泊5千円程度まで、食費は個人負担、というルールを設けました。時々「朝食つき4,800円」なんていう旅館を発見して喜んだり。

それでも少しでも支出を節約するために、活動が決まると現地の関係者さんに無料の宿泊の心当たりがないかお願いはしてみます。そうした中、何度か仮設住宅に泊めて頂ける機会がありました。

仮設住宅は学校などの避難所が本来の役割を取り戻すために閉鎖されたあと、自治体によって建設される本格的な公営住宅ができるまでの間に被災者に一時的に提供される、文字通り「仮設の住宅」です。このため正式な名称として「応急仮設住宅」または「応急仮設団地」と入口に記されているのを多く見かけました。仮設住宅の家賃は基本的に無料ですが光熱費は自己負担、というのが一般的な形だと思います。被災者はここを足掛かりとして自立を目指すのですが、高齢などの理由で自立が不可能な場合には、その後建設されて安価な家賃に設定された「公営災害住宅」に移り住むことになり、現在では ほとんどの仮設住宅は撤去されました。

仮設住宅や公営災害住宅にもいろいろと問題はあるのですが、とりあえずそれは措いておいて。。 今回は報道などで読者のみなさんも聞く機会が多かったと思われる仮設住宅をご紹介したいと思います。

じつは、これまで仮設住宅のご紹介を控えていたのは、自治体にもよるのでしょうが、基本的にそこに部外者が宿泊することはできない決まりになっているからです。仮設住宅が自治体からの「貸与品」だからでしょう。が、これまで何回か、そこに住む住民さんのお宅に「同居する」という名目で泊めて頂いたことがあります。今はもう仮設住宅もほとんど撤去されたので、何かのご参考になればと思い、ご紹介させて頂くこととしました。



仮設住宅はご覧のようなプレハブの長屋形式の共同住宅ですが、自治体による違い、というか建設した業者の違いなのか、場所によってかなり異なった感じでした。



こちらは女川町の町営野球場に建設された仮設住宅です。たしか何かの賞を受けたはずですが、美しくて立派ですが、じつはこれは輸送用のコンテナを再利用したものです。

中心には交流スペースや仮設店舗の営業などが行われた大きなテントがあります。音楽家の坂本龍一さんの支援によって建てられたもので、「坂本龍一マルシェ」と呼ばれていました。これらの仮設住宅やマルシェも昨年に撤去されたそうです。





さてぬえたちが泊めて頂いた一般的なプレハブの仮設住宅内部はこんな感じ。場所は内緒にしておきます。入居される住民さんの家族の人数により部屋数の違いがあるそうですが、ここではふた間とキッチン、トイレ、バスルームがついていました。家電などの生活必需品も支給された物だと思います。













そして必需品といえば防災ラジオが必ず備え付けられていました。



仮設住宅といえば隣家の物音が筒抜けに聞こえるとか、結露がひどい、などとよく言われていますが、ある人が教えてくれたことによれば、もともと居心地が悪く作られているのだそうです。つまり住民さんに「こんな所から早く出たい」という気持ちを起こさせて自立を促すのだとか。。

とはいえ、いろいろな事情により自立できない方も多いわけで。。公営災害住宅の建設が遅れたこともあり、震災から9年を経た現在も、仮設住宅は完全に解消されたわけではありません。もともと仮設住宅というものは災害救助法の規定により2年間しか供用しないことになっていて、事情による特例措置として1年間の延長が認められることがあります。過去に阪神淡路大震災では5年まで延長された例がありますが、東日本大震災ではそれを遥かに超えた長期間の延長が繰り返されたのですね。ちなみに宮城県では昨年6月に10年目の「特定延長」が国から認められました。