ぬえの能楽通信blog

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『朝長』について(その32=懺法について その2)

2006-06-16 01:56:40 | 能楽
では「懺法」の催し当日の進行を順を追ってご紹介すると。。

当日、楽屋の鏡の間に屏風を引き回し立てて「太鼓の間」を作り、太鼓方は用意の全てを秘します。

「鏡の間」というのは見所から見れば橋掛りの最も奥にある五色の幕の内側のスペースで、巨大な姿見が備え付けられていることからそう呼ばれています。「装束の間」で装束を着けたシテは舞台に登場する前の最後の時間をこの「鏡の間」で、床几に掛かり鏡に向かって過ごします。シテと鏡の間に小さな机を置いてそこに面を据え、シテは面と対話してお役を勤める心を作り上げ、やがて面を掛けるのです。およそ15分間ほどでしょうか、シテが面と対峙して過ごしていると、お囃子方、おワキが鏡の間に集まってきて、互いにご挨拶を交わし、お囃子方は「お調べ」を始めます。こうして一番の能は開演を迎えます。このようにシテにとって面と対話する大切な場所ですから、鏡の間は楽屋の中でもっとも神聖な場所とされていて、シテが面を掛ける、囃子方が「お調べ」を演奏する、という以外にこの「鏡の間」が使われる事はありません。ほんの少しの例外を除いては。。

それが『翁』の際に「鏡の間」に祭壇を設ける「翁飾り」と、この「懺法」の「太鼓の間」なのです。ぬえが考える限り「例外」はこの二つだけだと思います。見落としがなければ。。

さてこの「太鼓の間」の中では太鼓の本役と主後見のふたりで太鼓の最後の調整を行います。やがておシテが装束を着けて準備が整い、おワキやお囃子方が参集して「お調べ」が始まりますが、この時太鼓は「お調べ」を演奏しません。あくまで調子を秘するための措置ですが、舞台に出る前のお囃子方が「お調べ」に参加しない。。これもこの「懺法」の小書だけに見られる例外中の例外でしょう。

やがてお囃子方は片幕を揚げて舞台に登場し、地謡も着座します。ところがここで太鼓方が橋掛りを歩む際に持って出ている太鼓は「懺法太鼓」ではないのです。本物の「懺法太鼓」はいまだ「太鼓の間」の中にあって主後見が番をして守っていて、太鼓方が舞台上でその傍らに置いている太鼓は、最後までついに打たれる事がなく、「懺法太鼓」が楽屋に控えている間に舞台上に出してお客さまに見せるために用意された道具=「見せ皮」=なのです。。

さてお囃子方と地謡が舞台に登場すると、ワキが「真ノ名乗」で登場します(常は「行」あるいは「草」。またワキの流儀によっては「懺法」の時も「真ノ名乗」で登場はするが心は行の名宣にて致すべし、という教えもある由)(このへんうろ覚えなのですが、たしか囃子方のお流儀では「名宣リ笛」の前に「修羅置鼓」という、『朝長』の「懺法」だけに奏される置鼓があったような気がします。。)。

ついでシテ・ツレ・トモの三人が、これは常の通り「次第」の囃子で登場します。前シテは通常は右手に数珠を持ち、左手に木の葉、あるいは水桶を持って出るのですが、「懺法」の場合は左手には何も持たず、数珠だけになる、との事。ぬえが先日拝見した「懺法」はまさにこれでしたが、記憶に拠れば水桶を持った「懺法」も拝見した記憶はあるように思います。。シテの工夫による事もあるでしょうし、これは真偽はなかなかわかりにくいでしょう。「懺法」の場合、総じて前場は演出上とくに大きな変化はありませんが、以前にもお話したように、型は減る傾向にあるようです。総じて地味に、沈鬱に演じるように図られているのかもしれませんね。これまた ぬえには真偽は不明なのですが。。

【おことわり】
この稿のポリシーについては→ 『朝長』について(その31=懺法について その1)をご参照ください。



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