ぬえの能楽通信blog

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『朝長』について(その31=懺法について その1)

2006-06-15 00:33:03 | 能楽
【おことわり】
この稿では『朝長』の重い習いの小書「懺法」について触れ、秘事の類についても触れている箇所がありますが、それらは書籍・能楽雑誌等で演者によりすでに公開されている情報だけを掲載しております。


『朝長』について語るとき、どうしても避けて通れない小書「懺法」。ぬえのような立場では一生勤めることもありませんが、この小書について少し触れておきたいと思います。

能『朝長』の中で、前シテが中入して、間狂言(女長者に仕える者)がワキと応対し、朝長の最期を語ります。先日の ぬえの『朝長』でこの間狂言を勤められた山本家では、かなり忠実に『平治物語』に書かれてある内容そのままを語られますね。もちろん能の脚本に合わせて、朝長は自害して果てた事に変更は加えられていますが。そして語り終えた間狂言は、ワキに夜もすがら朝長の供養を勧めます。

この時ワキは「生前の朝長が好んでいた」という理由で「観音懺法」をもって朝長を弔う事を宣言し、さらに間狂言に近在にもその由を触れるよう頼みます。すなわち、仏道に志のある人々は供養に臨席して経文を聴聞するよう勧めてほしい、というわけで、間狂言はこの由を承り、常座に立って人々に触れます。

これよりワキの待謡となり、通常の演出では太鼓が打ち出して登場音楽の「出端」の演奏となり、やがて後シテが登場するのですが、この後シテもやはり登場した第一声に「あら有難の懺法やな」と謡っています。

小書「懺法」はこの「出端」を極端に特殊にしたもので、諸役にとって重い習いであるのはもちろんですが、わけても太鼓方にとっては老女物につぐ重い習いとされています。ことに太鼓の観世家では「自分の主催する会でなければ勤めない」とされているようで、現・宗家の元信師が対談でそう語られています。ときにシテ方の観世宗家が勤められる時には太鼓の観世家もご出勤されていますが、この場合は太鼓の観世家では「本家のご所望であるので、分家としてお引き受けする」というお立場なのだそうです。この小書がいかに大切に扱われているかがうかがい知れるお言葉ですね。

さてその「懺法の出端」なのですが、シテの登場に30分近くを費やす、という大変なものです。そしてまず注目されるのが太鼓の調子(音程)。いつもの乾いた「テン!テン!」という音ではなく、ぐっと滅った(めった=抑えた)調子で「デーン、デーン」と響く音です。もちろんこれは太鼓の調べ(太鼓を締め上げている朱色の麻紐)をグズグズに緩めてあの調子を出しているのではなく、きちんと締め上げて、それでもあの調子になるよう、太鼓の本役の方は催しのずっと以前からお道具(楽器)と向き合って調子を作り上げておられるのです。

すなわち、催しのずっと以前からご自宅で太鼓を締め上げておいて、革がのびてきて自然に緩んでくる(調子が下がる)と再びそれを増し締めするのだそうです。これを繰り返していって、最終的にあの調子にもっていくのだそうです。簡単に言えばそういう事なのですが、なんせシテ方の門外漢の ぬえにはその程度しかわからない。。(--;) それでも太鼓方の目に見えないご苦労はご理解頂けるかと存じます。

しかし、このように催しの前からずうっと張りっぱなしであったその革はどうなっているのでしょうか。。じつは、普通の革ならば、すでに張力に耐えきれずに、締め上げている課程で破れてしまうのです。だから「懺法」に使える革は基本的には厚い革でなければならないそうです。しかしながら、何度も増し締めを繰り返される過酷な作業に耐え抜いた革であっても、そのすべてが「懺法」に使えるか、というと、そうはいかないのだそう。すなわち、「デーン」という調子になったとしても、公演が終わってみると。。たいがいの革は、もうベロベロに伸びきってしまって、使用不可となってしまう、つまり寿命を終えてしまうのです。「懺法」専用の革というものが太鼓の古いお家には伝わっていまして、増し締めにも耐え、なおかつ公演後には時間を掛けて次第に伸びきった革が収縮して、もとの状態に戻る。。こういった革が発見されると、その革は銘を付けられて、それぞれの家で大切に扱われるようになります。このような「懺法」の革としては観世家に伝わる「大菊」という銘の革などが有名ですね。

この太鼓の「調子」は太鼓方の秘事でして、舞台で「懺法の出端」が打たれるまで、楽屋でも誰一人その調子を耳にする事ができません。「懺法」の場合は太鼓の本役のほかに主・副ふたりの太鼓の後見が出勤して本役の(というより太鼓の、ですね)お世話をし、その人以外には楽屋内であっても調子を秘す。これほど厳重・厳格に管理されて、あの小書は演奏されることになります。


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