私は大阪外国大学の中国語科生だった時、アラビア語の伴先生から1年間、アラビア語の学生たちに混じって、ヘブライ語の授業を取り教わった。今もその時のプリントとノートを持っている。ヘブライ語を学んだ最初であった。(1918生まれの伴先生は2012年他界されていた。)
大学卒数十年後、上本町の旧校舎を訪ねた時、偶然先生にお会いし挨拶したら、覚えていてくださった。中国語科の学生がひとり混じっていたので、先生の記憶に残っていたのだと思う。
伴先生は後にクルアーンの日本語訳に携わられた。2002年中央公論新社「コーラン I」(共同翻訳)。そして、私は思いもよらなかったアラビア語を同じ2002年から学び始めたのであった。(独習)。
と言っても、在籍していたのは、別の大学です。
ある時期サークル活動で、毎週のように、大阪外大の上本町に通ってました。
当時の大学は、どこの誰が入って来ても、文句を言われることも無く、自由に出入りしてました。
税金で運営されてる大学だから、今でもそれが当然だと思ってますけど。
面白いサイトを見つけましたので、貼っておきます。
大阪外大も、完全消滅するんですね。
https://ameblo.jp/ssasamamaru/entry-12040990904.html
大阪外大がすっかり影を失う形になるのは、やはり寂しいことです。(しかし、あきらめの速い私は案外平気です。)
確かに狭かったですね。
でも、都市の中心部に有って、交通の便が良かったので、勤労学生には有難い存在だったんです。
毎週通っていたサークルも、大阪府下の勤労学生の集まりでした。
やがて、郊外の大きな場所へ移転しましたが、それによって、勤労学生は通学が困難になりました。
金が無くても大学に行ける時代では無くなったようですね。
新しい貧困階級が生まれ、「貧乏人に学問は要らない」と言うのが、政府の方針なんでしょうね。