いわゆる日ユ同祖論に言語面から論駁できるように、検証・分析を始めている。論文の形でなく、軽く課題に取り組む程度であるが、まとめておきたいと希望している。
- よくあげられる言葉から 2. 短い表現、それに 3. やや長い表現までそれぞれ若干の例を取り上げたいと思っている。一部リストを紹介すると、次の通りである。
1 よくあげられる言葉
1) 祇園 / シオン
2) 相撲 / シュモー
3) 太秦(うずまさ) / イシュ・マシャ
4) 帝(みかど) / ミカドル
5) 大和(やまと) / ヤ・ウマト
2 短い表現(句)
1) ありがとう / ALI・GD 私に(とって)幸運です
2) さようなら / SYR・NYRH サイール・ニアラー 悪魔は追い払われた
など
3 その他、長い表現など
1) じゃん、けん、ぽん / 隠して、準備して、来い
2) はっけよい、のこった / 「撃て、やっつけろ、打ち破れ」
3) どっこいしょ / ドケイシュ(退かすので、神よ助けたまえ)
など
専門家に言わせれば時間の無駄と言われるかもしれないが、私にできる小さな仕事(言語学の復習)かもしれないと思っている。類似の言葉とされる例や意見があれば、ご意見を寄せてください。
ところで以下のようなページを存じておるのですが・・・
--------------------------------------------
佐倉様
初めまして、沼野ともうします。聖書の間違いの項目を拝見し(まだ創世の2つ の伝承の矛盾だけですが)、しっかりした展開をしておられると思いました。
唐突なメールで失礼かと存じますが、しばしばキリスト教徒や特にモルモン教徒 の間で、日猶同祖論が、(しかも外国人の間で)期待感を持って語られることが あるようです。これにも反論を展開されたことがございましたら、加えていただ ければ是非参考に読ませていただきたいと希望致します。もしまだでしたら、佐 倉様の健筆を期待致したいと思っています。
徳山大学 英語担当教師 沼野治郎
--------------------------------------------
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/bible/bible54.html
NJさんは日ユ同祖論に否定的な立場なのでしょうか?
-------------------------------
ただのこじつけです。歴史的に全然関係ない言語でも、5% は似たような単語があると言われます。まして、「ヘブライ語でこうなる」と言って出されるものは、全くヘブライ語になっていません。
万葉集が古代朝鮮語で書かれたというのも根強く主張されますが、すでに金田一京助が「あんたと同じような方法でやったら、万葉集がもともと英語なのを証明できちゃいました!」という論文を書いて、その無意味さを皮肉っています。
-------------------------------
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12127268027
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12127268027
この人が、あんたかよ ?
それとも、コピペ ?
ちょっと、ググったらでてきたからさー
「ベストアンサー率」39%なら、まあまあじゃん(笑い)
ちなみにわしは、49%だがね
https://chiebukuro.yahoo.co.jp/blog/2020/10/12-01.html
残念、わずかに遅かったよ(笑い)
知恵袋の機能が変更されたばかりだ。2020/10/12に変更とは
以前は、「過去の回答」をみることができたのに
さては、お前さんが手を回したな
何を恐れているのだ (笑い)
ミ・ガド(我々はがど族です)が帝(ミカド)になったとか。
それが証拠に仁徳天皇陵を初め日本に点在する前方後円墳は
持ち手があり、ガド族の紋章「マナの壺)の形になっている!!
日ユ同祖論はファンタジー的な夢があって良いですね。
歴史的な側面から言えばインドを源流とする仏教が根付いたように、
古代ユダヤ教がヤマトの国へ根付いたというのがホントのことではないでしょうか?
・神社の構造はタバナクルやソロモン神殿の、それに共通点が多い。
・ユダヤ教徒は祈りの際に黒い小箱を額に結びつけ羊の角笛ショーファールを吹くが、
山伏も黒い小箱(頭襟)を額に結びつけ角笛に似た形の法螺貝を吹く
・御神輿はアークそのもの。
などなど、古代ユダヤ教と日本の神道が偶然の産物とは言えないでしょう。
だとすれば、言葉の影響を受けていて当然だと思います。
https://www.gentosha.jp/article/8094/
コマル(困る)―コマル(困る)
スワル(座る)―スワル(休む)
イム(忌む)―イム(ひどい)
ハラウ(払う)―ハーラー(遠くへ捨てる)
ヤスム(休む)―ヤスブ(座る)
カバウ(庇う)―カバァ(隠す)
ホシク(欲しく﹇なる﹈)―ホシュク(欲する)
ツライ(辛い)―ツァラー(恨み、災難)
ダメ(駄目)―タメ(駄目、汚れている)
イツ(何時)―イツ(何時)
アリガトウ(ありがとう)―アリ・ガド(私にとって幸運です)
Wikimediaに大量の反論が書かれているので、取り敢えずそれを読め!って感じです。
日ユ同祖論みたいな「実はこの民族は古代ユダヤの血をひいている」伝承は世界各地にあるんですねぇ~。ま、その最たるものが、空想三文小説「モルモン書」なワケです。
○○ユダヤ同祖論の背景には「失われた十支族」と言う言葉に対する誤解が根底にあると思います。これはユダヤ人の部族がどこか遠くに移住したことだ、っていう思い込みね。
諏訪大社には本殿が無く、背後の守屋山が御神体です。この“もりや”という名称に惹かれ、イスラエルの十支族帰還運動組織、アミシャブのトップであるアビハイル氏なども訪れて祈りを捧げています。ということは、この守屋山は、旧約の創世記で主がアブラハムに息子イサクを犠牲として捧げるよう命じた“モリヤの地”の象徴なのでしょうか?
この諏訪大社では、御柱祭に代表されるような、数々の奇祭が行われます。中でも、毎年4月15日に上社の前宮で行われる御頭祭は異彩を放っています。
現在の御頭祭では、約1.5メートルの御贄柱(おにえばしら)という木の柱と、剥製の鹿の頭が3頭供えられる以外は、一般的な神事と何ら変わりはありませんが、明治時代までは、かなり変わった神事が行われていました。
鹿の頭を75頭供え、その中には必ず、耳の裂けた鹿があったといいます。他の供え物としては、白鷺、白兎、雉子、山鳥、鯉、鰤、鮒などの肉、米、海老、魚など、数多くの獣類があります。
まずは、神官たちが供え物を下ろして食べ、酒を酌み交わします。その後、御贄柱を飾り立て、神の代わりともされる、紅の着物を着せられた御神(おんこう、おこう)という8歳ぐらいの子供がこの柱に縛り付けられます。神官がこの御神を小刀で刺そうとした瞬間、諏訪の国司の使者の乗った馬が登場してそれを止めさせ、御神は解放され、祭りは終わるのです。
日本の神道では、獣のような血に関わるものは“穢れ”とされていますから、このようなお祭りは奇怪です。ならば、“もりや”にあやかって、旧約を見てみましょう。ユダヤ教では、犠牲の仔羊の血を神殿に捧げたりしますよね?
前述のように、“もりや”という名称はアブラハムとイサクに関わっている可能性があります。旧約では、主はアブラハムの信仰心を試すため、息子のイサクを生贄として奉げるよう命じましたが、アブラハムが命じられる通りに行動したので、主の御使いが止めさせました。どうですか?この場面にそっくりではありませんか!
また、この時、木の茂みに1匹の雄羊が角を捉えられており、それを生贄として奉げました。これは、75頭供えられる鹿の中には必ず耳の割けたものがあった、ということで象徴されているのではないでしょうか?
しかし、これだけでは“75頭”の意味が説明できません。一説には、北イスラエル王国のサマリアにあるゲリジム山で子羊の生贄を行う際、75頭を屠っていたと伝えられています。申命記に依れば、ゲリジム山はシメオン、レビ、ユダ、イサカル、ヨセフ、ベニヤミンが民を祝福するために立った山で、サマリア人がこのゲリジム山に神殿を建てていたことが歴史家ヨセフスによって記録されており、エルサレムの神殿よりはるかに古いものです。サマリア人は今でも生贄をゲリジム山で屠ったりしており、ユダヤ教徒の祭儀よりも、より聖書に忠実と言えます。
他には、新約の使徒言行録に、ヨセフがヤコブと75人の親族一同を呼び寄せた場面がありますが、旧約の出エジプト記では、ヤコブから生まれた者の総数は70人、とあるので、数字に矛盾があります。
そこで、鹿に着目すると、鹿は神の使いとされ、ヨーロッパでは鹿の角はイエスが掛けられた十字架と見なされています。故に、王侯貴族は狩りで鹿を追い詰めることにより、イエスの受難を追体験すると考え、鹿狩りが盛んに行われました。
“75人の親族”と書かれているのは使徒言行録ですから、象徴的に“75”を“イエスの使徒”と見なしているとしたら、血が滴る鹿の頭は、十字架上で血を流していたイエス、という暗示なのかも知れません。
そうすると、御頭祭での鹿はユダヤ教由来ではなく、キリスト教由来なのでしょうか?諏訪湖では、冬に御神(おみ)渡りという現象が見られます。これは、諏訪大社上社の建御名方命(タケミナカタノミコト)が下社の八坂刀売命(ヤサカトメノミコト)に会いに行った足跡とも、土着神ミシャグチが通った跡とも言われています。新約では、イエスが湖の上を歩いたという記述があります。似ていますね!
」https://www.japan-pr.org/%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97/%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97/%E5%BE%A1%E9%A0%AD%E7%A5%AD/
御頭祭 イスラエル
https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E5%BE%A1%E9%A0%AD%E7%A5%AD%20%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB&ei=UTF-8
同時に、アメリカ人も中国人もみな同じ先祖からだと信じております。
そんな事は現代の遺伝子科学では当たり前の事です。
問題は、何故、「日本人とユダヤ人」だけに「同じ先祖」だと強調するのか?ですね。
それは、日ユ同祖論を主張する人たちが、日本人とユダヤ人は他民族より優れていると言う誤解を持ってるからにすぎません。
人種によって優劣が有るなどと言う幻想はヒトラーで最後にしたいものです。
言語についても同じように言えるかと思います。
そもそも、何をもって日本語と言うのか?それは、現在日本人が使っている言葉に過ぎません。
東京アラートは何語ですか?
ソーシャルディスタンスは日本語ですか?
祇園は日本語ですか?
言葉なんて、世界中混ざってるんじゃないですか?
あー、驚いた(笑い)
豚さんが、急に「真面目」になったから、びっくらこいたがや
まあ、それはともかく
「日ユ同祖」なんて当たり前だよな
日本だけではない、世界中の国が繋がっているはずだよ
「イスラエル」の存在理由を考えれば、当然のことだよ
言葉が共通しているとしても別な要因でしょうね。
だとしたら日ユ同祖論に言語面から論駁というのは難しいかと。
逆に言語面の繋がりが否定できないとなると、日ユ同祖論可能性大になるわですが、それも無。だと思われます。