数日前の地元紙に「86万ショック 処方箋あるか」という大きな見出しが躍っていました。
翌日の夜、学校の先生をやめてカレー屋を始めた若者の話を聞き、行ってきたとブログを書きましたが、実は、この二つ通底しているなあと思いました。
ブログにコメントがあり、「先生になって2年の若者に早々に見切られてしまうほど、閉塞感が覆う我が国の教育の現状かもしれません」と返事を書き込み、「それは、政治も行政も同じかな?制度疲労の極みかもしれません」とも。
コロナ禍の中、ダブルワーク、トリプルワークで子育てしているシングルマザーの仕事がなくなり、困窮にあえいでいるのに対策がない。
そもそもシングルマザーがダブルワーク、トリプルワークしなくちゃならない社会なんですよね(涙)
生き延びるためのリテラシー
内田樹の「街場の文体論」、やっと2/3くらいまで読んできたところですが、深く同意するところに出会いました。
「生き延びるためのリテラシー」という節に少子化の話が出てきて~2012年上梓~、2006年から始まった人口減少はもう止まらないだろうと書いています。
それは、子どもを産み育てることが「金の話」になり、「子どもを産むのは得か損か」という形で出生問題を考えるようになっていると。
そりゃあ、費用対効果で考えれば「生まないほうとりあえず経費はかからない」となる。
現役時代、愛着形成のためにも「至高の出産、至高の育児」を経験して欲しいと思い、出産育児にかかわる問題に取り組んだことがありました。
出産育児はさまざまな発見があり、親の人間的成熟に資する「愉快な経験」なんですよね。
多くの場合、その肝心要な部分が抜け落ちていますが、多子家庭の親の多くはその「愉快な経験」を積極的に楽しんでいるように思います。
こういう親は、「生き延びるためのリテラシーが高い」のかな?
大きく時代が変わろうとし先が見通せない中に生まれ育っている若者たちは、我々のようなエスカレーター世代と違い、総じて生き延びるためのリテラシーが高い。
先生をやめてカレー屋を始めた彼はその典型かもしれませんし、特に若い女性を中心に生き延びるためのリテラシーが高い方が多いように思います。
そんな時代にあっても、金の話や損得で人生を生きる人が多数派ではあるんでしょうね。
ちょっぴり寂しいですけどね。