明日は、季節を楽しむ会になりそうです。
そんなこともあり、里芋を掘り、畑の隅に残ったニンジンも確保。
ついでに、交雑していて正体がよくわかりませんが、菜花も摘んだし、小川に生えていたセリや石ころだらけの土手でノビルもゲット!
おお~~っ!ツクシもたくさん生えていました。
そんな自然の姿、ありのままの自然をこよなく愛したであろう南方熊楠、あれだけの博覧強記でありながら、現場に徹する姿勢は驚く他ありません。
改めて現場に徹する生き方を鑑にしたいと思いました。
(^^;; いきなり、全く違った話題で失礼します。
勉強が大好きで学校が大嫌いだった熊楠
先日、南方熊楠展を見に行くんだからと開いた鶴見和子著「南方熊楠」を読み終えましたが、鶴見さんの熊楠像と科学博物館の熊楠像はちょっと違うのかなあ?って。
きっと、見方が浅いと思いますが、僕は、鶴見和子さんが描いた熊楠評価の方が好きだなあ。
一番は、勉強が大好きで学校が大嫌いだった熊楠の評価。
彼は、大学予備門(東京帝大の前身)に入学したものの、学校を休んでは上野図書館に通い、「思うままに和漢洋の書を読」んだり、フランス人教師が気に入らず体育の授業は全休して成績ゼロ。
予備門は中退、渡米して入学した農学校からも訳あって脱走。
学会に入ることも学位を受けることも良しとせず、権威に頼ることなく現場を中心に自分の眼で確かめる実証主義。
“勉強が大好きで学校が大嫌い”、結果、熊楠の全体像に比べると学術的な評価は驚くほど低いと鶴見和子さんは書いていました。
評価のことは置くとして、国の機関が“勉強が大好きで学校が大嫌い”を肯定的に大きく扱うのもできることじゃないかもしれませんね。
墓の下の熊楠は、そんな世間など一笑に付しているんだろうと思えます。
何を残したかではなく、どう生きたか、熊楠はそんなことを教えてくれているのかもしれませんね。
人生、心から楽しんで生きたいものです。
彼は、大学予備門(東京帝大の前身)に入学したものの、学校を休んでは上野図書館に通い、「思うままに和漢洋の書を読」んだり、フランス人教師が気に入らず体育の授業は全休して成績ゼロ。
予備門は中退、渡米して入学した農学校からも訳あって脱走。
学会に入ることも学位を受けることも良しとせず、権威に頼ることなく現場を中心に自分の眼で確かめる実証主義。
“勉強が大好きで学校が大嫌い”、結果、熊楠の全体像に比べると学術的な評価は驚くほど低いと鶴見和子さんは書いていました。
評価のことは置くとして、国の機関が“勉強が大好きで学校が大嫌い”を肯定的に大きく扱うのもできることじゃないかもしれませんね。
墓の下の熊楠は、そんな世間など一笑に付しているんだろうと思えます。
何を残したかではなく、どう生きたか、熊楠はそんなことを教えてくれているのかもしれませんね。
人生、心から楽しんで生きたいものです。
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