吉備って、鬼が好きなんでしょうか?
気になっていた鬼ノ城に行ったついでに、磐座に行ってみました。
先ずは鬼ノ城、白村江の戦いで大敗したヤマトは、大陸からの攻撃に備え都を大津に移し、九州などを始め、都への要路にいくつもの山城を築いたと言われています。
総社の鬼城山に築かれた鬼ノ城もその一つではないかと言われています。
標高397mの鬼城山に築かれた山城で、8合目から9合目に作られた2.8Kmの城壁や構築物からなっていますが、防塁として意味のある場所なのか?首を傾げました。
権力を握るものの都合なのに、戦いの責任も取らず山城築城などに国家挙げてとも言えるようなエネルギーをつぎ込む。
一体どれだけの民百姓が使役され、どれだけの犠牲の上にできたものなのか、、、
ビジターセンタの展示を見ながらそんなことを思い、現場に足を運ぶのを断念。
近くの磐座を見に行ってきました。
子孫繁栄の願い
先ずは鬼の差し上げ岩、まさに!我が国の原初的な巨石・磐座信仰の場で、先祖たちが祈りに込めた子孫繁栄の願いが彷彿としました。
良質の鉄の産出地だった吉備、鉄鉱石を探して山を捜し歩いた人たちが見つけ、祈りの場として広まったのでしょうか?
そして、その近く、高梁川西岸にせり出した高さ約60mの奇岩!!
小さな石畳神社の御神体とされていますが、まるで鬼が積み木遊びのように石のブロックを積み上げたようです。
川岸に屹立としてそびえる石柱、やはり、子孫繁栄を願う象徴だったのかな?
鉄を通じて?出雲と深い関係にあったと言われる吉備、やはりお仲間!ですかねえ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます