裏山の八天山がうっすら雪化粧をしている。山の寝姿をした雪女が雪布団を着て眠っていて朝が着ているのにまだ寝覚めていない。ひゅうひゅう北風。昨夜は大きい丸い月が中天に上がっていた。
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聞観世音菩薩品自在之業普門示現神通力者当知是人功徳不少
観世音菩薩品の自在之業・普門示現の神通力を聞かん者は、当に知るべし是の人の功徳は少なからず ・・・A案
昨夜、目が覚めて、この部分をこんなふうに読み替えて遊んでみた。
観世音菩薩品の自在之業を聞いて、普門へ神通力を示現する者は、当に知るべし是の人の功徳は少なからず ・・・B案
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A案とB案の違いはこうだ。
A案:普門示現の神通力を為す者は観世音菩薩だ。従って是の人の功徳は、拝受する功徳である。受容一辺倒と言うことになる。したがって観念的だ。
B案:神通力を示現する者は衆生だ。だから功徳はこの人が放つ功徳ということになる。積極性・実効性を帯びてくる。観世音菩薩の自在の業(ハタラキ)が衆生にまで動いてきている。
菩薩が神通力を保持しているのはこれは当然のことである。それを衆生に感電させて働かせてくるところにこそ自在の業が通達していることになるのではないか。神通力とは仏の眼を授かることである。仏の智慧を授かることである。仏を真似ることである。
普門とは「普くどの人にも」「平等に」「菩薩と等しく」ということである。示現とは実行に移して現実化させることである。
菩薩は苦悩する衆生を苦悩から救出して仏になさしめんとして働いている。ハタラキは実践である。衆生利益をして動かすことである。
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帰依して受容に徹するのが浄土門の考え方である。浄土門はしたがって修行を否定している。修行は無理だとしている。
これに対して実践を強調する傾向にあるのが法華門である。実践するには従って己もまた修行をせねばならない。
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寺の石の門には片方に「上求菩提 じょうぐぼだい」と刻まれている。菩提=仏の悟りを求めて寺の山門を潜ることだ。これは自力に力点を置いての仏道修行だから、自力の工夫が要る。片方には「下化衆生 げげしゅじょう」と刻まれている。山を下りた後は衆生を利益する実践へ繋げていかねばならない。「化」とは「働きかけること、利他すること」の謂だ。ここにこそ活動の場を設けたのが大乗の教えである。
救済の受容にあたたまってばかりいないで汝自らもまた動き出せ、と。受容する功徳も大事だが、それと同時に己から放出させる功徳、示現する功徳も大事なことではないか。
功徳とは両面ある。受ける功徳と放つ功徳だ。卵を割って雛が生まれてくるように、長期にわたり仏の慈悲と智慧を受け取ってきた者がいよいよ活躍の場を求めて動き出す、これも功徳の一面であろう。門を開くとそこにも功徳の大道が広がっている。