今夜は寝るのが遅くなった。食事が済んで入浴してそれから久しぶりでテレビを見ていた。中村吉右衛門の鬼平犯科帳特別編2時間ものがたまたま放映になっていて、それに釘付けになってしまった。吉右衛門の鬼の平蔵には痺れる。池波正太郎の原作もいい。出演している悪役俳優(大泥棒役)もいい。緊張感が心地よい。演出が素晴らしい。音楽も効いている。劇が終わった後、最後の真っ赤なモミジの締めがこれまたなんとも味がある。かくは、べた褒めしたいほどの鬼平ファンである。(でも、あんまり見てはいないけど)
午後からJA上峰グリーン・ショップに出掛けて行った。お目当てはフカネギ(白葱)だった。苗がどっさり売りに出されていた。近所の農家が種から育てたもので、草丈40cmほどの立派な苗に育っていた。2種類x2束を買って来た。これを植え付けようとして、3時半から6時半まで畑に出て農作業に励んだ。でも、南側半分の草取りだけで全部の時間を費やしてしまった。夏草は思い切り繁茂していた。これが取り払えた。お陰で夏の畑が秋の畑に模様替えした。棒を立て網を張った胡瓜棚を崩すだけでも骨が折れた。植え付けは明日以降に延期になった。そろそろ暗くなろうとしていたが、それからサイクリングに出た。ライトを点けて走った。7時半に帰宅した。気温が割と高めだったので幾分か汗を掻いた。午前中にも2時間ほど畑に出たし、今日はよく働いた。さ、そろそろやすもう。
負けちまった。よおお。ワールドカップの日本男子バレーは。そりゃあそりゃ力一杯戦ったんだけど、イタリアに3対0でストレート負けだった。悔しかっただろうねえ。選手のみんな。前回はあれだけ強かったんだ。次の試合も負ける気がしなかったはず。世界の壁は厚かった。でも、お陰で僕みたいな老いぼれだってたくさんの元気と勇気をもらったんだ。選手の一途な、張り切った姿を見ていたら、こちらにまで張りが生まれたんだ。スポーツというのは力を宿しているんだなあ。凄いなあ。
高級そうな「蜜豆どら焼き」を食べているところ。三時のおやつに。この頃やたらと餡(あんこ)ものを欲しがる。おいしいからだろう。
おやつがすんだら外に出る。午前中に引き続いて。午前中に花壇の草取りをしたら夏の庭がそっくり秋の庭に変わった。これから畑の草取りをしてフカネギ苗を植えることにする。これが手に入ったのである。ラッキーだった。上等の新鮮な苗である。これは冬場のすき焼きの材料の白葱である。どっさり買い込んできたから明日までかかるかもしれない。畑は広いので、少しずつしか草取りもできない。
こういう人がいたんだなあ。
プロボクサーのフロイド・メイウエザー選手(5階級制覇王者)が49戦49勝して無敗のまま現役を退いた。
彼は先日WBA・WBC世界ウエルター級タイトルマッチ12回戦を戦った。判定3:0でアンドレ・ベルト選手(WBA暫定世界ウエルター級王者)を下して勝利した。これは試合後の彼のことばです。
「神に感謝します。この勝利は神のおかげ。来てくれたファン全員に感謝します。19年間、ファンがいなければ私のやってきたことは成し遂げられなかった。私はすべてを成し遂げてきて、もうこれ以上やることがないんです」
19年間戦って一度も敗れたことがなかった男がいたんだ。フロイト・メイウエザーという5階級制覇世界王者のボクサーが、無敗のまま現役引退した。このニュースはスポーツ音痴のさぶろうをも感動させた。
こういう人がいたんだなあ。
日本男子バレー、ワールドカップ第4戦の対カナダ戦は3:0のストレート勝ちだった。格上を相手に堂々たるものだった。いやあ、あんなに強くなっているとは! 安心して観戦できた。この日はスパイク決定率が100%と大活躍した山内晶大選手が光った。きらきら光った。キャプテンの清水選手、超新星の石川選手、強烈なアタッカーの柳田、鈴木選手も監督の高い信頼度そのままに得点を稼いだ。トスを上げていたセッター深津選手の見事な采配も見逃せなかった。あざやかだった。爽やかだった。今夜のイタリア戦も見逃せないぞ。
いつもどちらかに傾いている。どっちも相応の重さがあるからだ。自慢か僻みかのどっちかに。自慢ができなければ僻んでいる。僻むことで自慢ができないことの穴埋めをしている。どちらの重さも慢心という重さで、引き摺られて沈む。慢心は己のみをよしとするこころだ。
傾かないでいると穏やかになっている。平和(シャンテイ)が訪れる。自己抑制が働くと傾きが修正されてバランスがとれることになる。自己統御は難しい。己という馬は暴れ馬だからだ。これを乗りこなすにはやはり調練の術がいる。乗馬術がいる。己のみをよしとしないという乗馬術が。
さぶろうは、今朝はこんな事を考えた。一人の内で右へ左へ揺れる。傾く。重心がとれない。極端から極端へと傾く。このアンバランスにはほとほと閉口させられる。
あるところへ行った。やや遅れて行った。厳かに聴講する人の中にこっそり紛れ込んで、そわそわして聞いた。博学博識で威厳があって功績があって、著名人風で、それで巌のような力が全身に満ちている人が、所定の2時間を超えてたっぷり堂々の話をした。押して押して押して来る。聞いていて疲れてしまった。あんなに偉い人になるとこうなるんだ、と思った。結局、自分が正義の人だという結論で終わったようだった。そうかもしれないが、もういいと思った。そういう結論を聞くために聴講料を払ったんじゃなかったのになあと思った。次からは行かない。あんなに偉くなるとあんなに厚ぼったくなるんだったら、ひょろひょろの僕の薄っぺらの方が軽くていい。ものは考えよう。自由にとっていい。重々しい雰囲気から解放されて出て来た僕はそう考えた。帰ってくる土手道に彼岸花の列が見えた。吹いてくる風がなんともまあ涼しかった。
1
「おはよう」って言う。と、「おはよう」と返ってくる。と、いいな。
2
誰から?
3
誰からっていってもここには誰もいないよ。小鳥の声がしているだけで。
4
森なんだね、そこは?
5
そ。こころの中の森。若葉がして薄緑色の薄靄がかかっている。
6
そこに誰かを置いたらいいね。きみの大好きな人を。男の人でも女の人でも。そうすれば朝の挨拶だって交わせるんじゃない。
7
そうだね。誰かをここに置くとさみしくないかもしれないね。でも、このさみしさも悪くはないんだよ。
8
「おはよう」も自分。返してくる「おはよう」も自分。であっても?
9
うん。それしかないからね。もうどんなやさしい人の期待もしたいとは思わなくなっているんだ。
10
僕は今朝の朝をこんな僕にして過ごした。もっと違った僕でもよかったのだけれど。