<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

それで美しい織物を織って

2015年09月21日 20時13分11秒 | Weblog

今日の鬼平犯科帳シリーズ第四作の殺し文句は、おかみさんにほのかな恋情を抱いている大泥棒が鬼平に捕まったときに「おかみさん、人は一つの顔を持っているんじゃありませんぜ」という台詞だった。大泥棒と人を誠実に愛する男の顔とが混在していたのだった。飲み屋のおかみさんには大女優山田五十鈴が扮していた。池波正太郎原作のこのドラマは幸不幸がいつも織り混ざっている。そこがいい。

なら、さぶろうも大泥棒の語調を借りてこんなしゃれた台詞を。「おかみさん、人は一つの人生を生きていながら、同時にたくさんの人生をも生きてるようですよ」「いい人生もそうでない人生も同時に。幸運な人生もそうでない人生も。苦難の人生もそうでない人生も同時に。幾つもが複雑に重なり合って。絡まり合って。それで美しい織物を織ってねえ」

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今日の最上級の贈り物

2015年09月21日 20時02分20秒 | Weblog

6時ちょっと前に出発してほぼ40分で戻って来た。今日のサイクリング。途中、川寄橋をまたぐところで西の山の端に日が落ちていった。入り日はどうしてこうも明々として大きく耀くのだろう。そこからちょっと行ったノコシ場で、釣り糸を垂れている人たちと出会った。日の出と日の入りは釣れる時間帯らしい。しばらく自転車を止めて見物した。釣れたところはあいにく見られなかった。水面(みずも)に赤い夕日が射して穏やかできれいだった。この風景が、さぶろうを贔屓にしてくれている<大いなるもの>からの、今日の最上級の贈り物のようだった。

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蟷螂

2015年09月21日 19時54分36秒 | Weblog

とうとう家の東脇(庭と花壇と畑が渾然一体)がきれいになった。まだ夏草を抜いただけだけど。でも、すっかりしたので、気持ちがいい。ひとりでいても「うっふっふ」と言いたいくらい。草を住み処にしていたカマキリさんが、蟷螂の斧を振りかざして、抗議に出て来た。「すまぬ、すまぬ」と詫びを入れた。どうしたんだろう、住み処を失った後。家族共々引っ越しをしたのだろうか。

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頂いている自分の心だけで暮らしていけたのだった

2015年09月21日 15時54分31秒 | Weblog

臨済宗妙心寺派の常用経典「宗門安心章」にこの偈を拾った。

自性霊妙、主人公惺々(せいせい)として覚めたれば、随所に主と為って、立処皆真なり。自ら自性を晦(くら)まして、他をして迷惑せしめんや。かくの如きの菩薩の大戒(だいかい)、当に尊重し珍敬(ちんぎょう)すべし。

己のこころは本来は仏のこころであった。ゆえに霊妙であった。無為にして常に主人公であり得た。濁ったりはしなかった。澄み切っていた。何処に居てもこうだった。やることなすことがおのずからに適(かな)っていた。その持ち前の自性の仏心である。これを晦(くら)ましてはならない。いわんや、晦まして他を惑わすようなことがあってはならない。これがここに菩薩として存在する者の菩薩行であった。   (さぶろう用のいい加減な解釈)

さぶろう、参りました。白旗を揚げて降参いたします。

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己を荒ぶらさず持て余さず愚の如く魯の如く

2015年09月21日 15時30分43秒 | Weblog

直心(じきしん)はこれ道場なり。行住坐臥に脚下を照顧し、愚の如く魯の如く、須(すべから)く潜行(せんこう)密用(みつゆう)すべし。     禅宗経典「宗門安心章」より

秋の大空のような率直なこころがそのはじめに誰にも平等に与えられていた。それが道場になった。ここで寝泊まりをした。そうして己を見つめ直していた。足下が浮いてしまわないようにした。常に魯鈍にしている愚者のようにして、己を荒ぶらさず持て余さないようにしてただひたすら一人の行いを慎んだ。   (さぶろう用のいい加減な解釈)

直心は道場である。非直心の自慢でなくともよかったのだった。直心とは大空の仏陀を映すことができるこころである。誰にでも備わっているこころである。もっと華やかなもの、誇りにできるものに憧れてそこを出てしまうことがあった。大空以外を映し出すようになると、大空が映らなくなった。

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置物がぴかぴかに光り出した

2015年09月21日 15時23分35秒 | Weblog

さぶろうをここに置いておく。すると大空が相手を買って出た。風もそうした。山もそうした。尾花も萩も竜胆も烏瓜もそうした。みんなが手の平で一撫でして行くので、さぶろうの置物がぴかぴかに光り出した。

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あっさり大空に同化させている

2015年09月21日 15時11分34秒 | Weblog

洗浄って洗い流してしまうことだよね。そうするとそこが清浄になっている。じゃ、これだな。秋の大空を見ている。するとこころが無意識でこれをしてもらっている。洗濯機がそうするようにごおおっごおおっという物音もしない。巧(たく)むことがない。恩を着せない。売り物買い物にしない。そして穢悪(えお)のさぶろうをひととききれいに洗い流して、あっさり己の大空に同化させている。

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見つめられ仰がれ敬われることもなく

2015年09月21日 14時57分45秒 | Weblog

1時間ほども昼寝を決め込んだ。とっぷりと深い充足だった。やっとここから抜け出てきた。ガラス戸の向こうはきらきらした青空だった。さぶろうのこの自堕落の間中、秋空はひとりこうも明るく清らかに耀いていたのだった。この間、さぶろうに見つめられ仰がれ敬われることもなく、ただ静かにそこに広がっていたのだった。

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弟は熱を出したらしい

2015年09月21日 13時29分02秒 | Weblog

弟は熱を出したらしい。で、急遽病院へ。検査を受けに行ったので、さぶろうとのデートはお預けになった。

お彼岸のおはぎをこしらえてもらったので、これを昼食とした。あまり甘くはしてなかったので食べやすかった。間引き菜の大根葉の一夜漬けが相棒を務めた。一番小さいのを選んで食べた。

サツマイモの蔓が長く延び延び(伸び伸び?)になっているので、適当に切断して来て、これを夕食に食べることにした。で、台所の床に座り込んで、蔓の筋剥きをして遊んだ。これがなかなか思うように行かない。葉の茎はほっそりしているので、筋がぷつんぷつんと切れてしまう。辛抱してやり遂げた。

眠くなった。とろりとろり。このとろりとろりはいい気持ちだ。きっと脳内で快感ホルモンのドーパミンが放出されているに違いない。

 

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惑わされずに見よ見よ見よ

2015年09月21日 10時13分45秒 | Weblog

「常楽我浄」 じょうらくがじょう (畢竟するに、わが生きべき世は悟りの世界であって)常にして楽にして我にして浄なり    「延命十句観音経」より

この悟りの世界は永遠に変わらないから「常」である。苦しみがないから「楽」である。他に拘束されないで生きられる主体性を持つから「我(が)」である。いかなる煩悩も煩悩たりえないから「浄」である。ここに悟りの世界があることを忘れてはならない。

不常を生き、不楽を生き、不我を生き、不浄を生きていると、それが我が世のすべてだと思ってしまうが、それは我が目が開かれていないからである。常楽我浄の世界が同時成立しているから、これを見よ。見よ。見よ。惑わされずに見よ。

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