<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

暴れ馬の手綱をとってくれていた者があった

2015年09月20日 19時54分01秒 | Weblog

どうしてだか分からない。何故そんなことぐらいで腹が煮えくりかえるのかと言いたくなるその一方で、大空が澄み渡った、そんなことくらいできょとんと穏やかになっている。だから、人間は分からない。筋書き通りには行かない。理屈ではない。今は後者だ。なぜそんなことくらいで穏やかになっているのか。訳が分からない。訳は分からなくともいい。穏やかになっている方がいい。そしてそれから随分と時間が経過してから、かくせしめた者のことが気に掛かり出す。暴れ馬さぶろうの手綱を取ってくれていた者が、すなわち、事実あったということなのだ。この世の番狂わせが起こったのだ。腹は煮えくりかかることはなかった。さぶろうは平然として穏やかだった。奇っ怪なことがおこるものだ。それでともかく今このときをさぶろうは穏やかにしていられたのだった。おかしいことがあるものだ。自分でも狐につまされたようなのだ。

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安上がりなさぶろうはすぐにもとろとろになった

2015年09月20日 19時39分28秒 | Weblog

久しぶりでワインを飲んだ。赤ワイン。できるだけ間をおいてだけど、こっくんこっくんこっくん。縦割り茄子の煮物料理とオクラの鰹節まぶしとろとろ。これを肴にして飲んだ。それでまあ、酔ってしまった。安上がりな男だ、さぶろうは。もう寝る。沸かしてはもらったが、入るだけのゆとりがない。なにしろ、もうオクラのとろとろのように、とろとろとろだ。正体がない。さぶろうをこれだけいい気にさせたのは? 夕方の農作業とサイクリング。この二つが犯人だ。満ちて満ちて満ちてすっかり潤った。ただの種蒔きとたった5・4kmの自転車乗りがどうしてこれだけ彼の身心を酩酊させたのだろう。

 

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野っ原に寝ていたらいいだろうな

2015年09月20日 09時47分21秒 | Weblog

野っぱらに寝ていたらいいだろうな。仰向きになって青い大空を眺めていたらいいだろうな。小さい頃のようにそこに茣蓙を敷いて。のどかなピクニック気分で。サンドイッチとお菓子を食べて。蜻蛉がすいすい頭上を飛び交って。ラジオからはバッハの音楽が流れてきて。いいだろうな。そうしていたらいいだろうな。

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今日は空き缶拾いの日

2015年09月20日 09時23分14秒 | Weblog

今日は聚落挙げての空き缶拾いの日。朝7時から短時間で。子供クラブ・老人クラブが後押しする。元気なこどもたちの声がこだましていた。我が家もこれに参加をした。

さぶろうが川土手をサイクリングするときに、目を覆いたくなることがある。夏草がすっかり刈り取られて、枯れ草に火が点けられて燃やされてしまったあとに、夥しいほどの空き缶類が見付かるからだ。弁当殻、ビニール袋、肥料袋などの塵も散らかっている。古くなった掃除機も捨ててあった。これにはぎょっとした。誰かに拾わせるために捨てたのだろうか。

今日はこうした不道徳が聚落の人の手によって一掃されたはずである。ものを投げ捨てて省みないというおとなたちの不道徳の現場(大人たちばかりではないかもしれないが)を、こどもたちはどう思ったことであろう。

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恥じらいを含んだ神さま

2015年09月20日 09時05分22秒 | Weblog

朝食の前に畑に出た。日差しが誘ってきたからだ。60日白菜と80日白菜のどちらももうかなりの大きさに育っている。でも、人口過密だ。これじゃ互が互を疎んじてしまう。根を損なわないようにして、間間を間引いて植え替えてやることにした。これが楽しかった。なにしろ、この間はさぶろうは神さまになっているのだ。伸び伸びと生きていける新天地を若いいのちの彼らに与えてやっているのだ。いのちの活躍を保証して上げたのだ。これは神さまのなさる仕事に違いなかった。穴を掘ってそこに根株を差し込んで土を被せて埋めてやる。これだけのことだったのに、彼らはみな葉っぱの両手を合わせて、小さなシャベルを手にした神さまに律儀なお辞儀をした。恥じらいを含んだ神さまもまたたっぷりの水撒きをしてこれに応えた。

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助けられたことを忘れない

2015年09月20日 08時35分15秒 | Weblog

立派ななりをしている。毛並みがいい。性格がいい。血統書付きかもしれない。黒い犬が2匹。かなりでかい。何という種類なのかは、さぶろうには読めない。犬好きではないからだ。サイクリングをしているさぶろうに吠えついたりはしない。あんまり立派な犬なので立ち止まって眺めて、近づいてみた。飼い主とはこれで何度かの話をすることになる。ということは、何度かこうやってこの立派な黒犬に心牽かれていたということだ。もちろん繋いである。一時間は散歩をさせるらしい。散歩の時間が来たら散歩をねだるらしい。その時間がいつも定刻なので、犬は時計の針が読めるかと疑ったと飼い主は言う。1匹は10歳。形(なり)も一回りでかいし、堂々としている。もう1匹は8歳くらいで、これは捨て犬されていたところを拾って来て育てたものらしい。「この犬がね、それを恩義に思って忠義を見せるんですよ。もう一匹は飼われていることが当然の顔をしているが、こっちはそうではない。いつも飼い主の顔色を覗っては愛嬌の尻尾を振ってくるんですよ。助けられたことを知っていて忘れないようです」自慢そうだった。それから幾つかの質問をしてみた。犬嫌いが興味を抱いたからだ。犬と飼い主の間に信頼が交わされているのだと思った。「お引き留めしました。散歩をお楽しみください」「あなたもサイクリングをお楽しみください」互いに挨拶を交わして別れた。

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「人間を喰ってやろう」とはふてぶてしい

2015年09月20日 08時21分43秒 | Weblog

蚊。ぷ~~~んと羽音を聞いたらもう喰われていた。奴は忍者だ。首ねっこをかかれていた。パチンと叩いたときにはもう遅い。逃げ去っている。人間なんかには負けるもんか。不敵な笑いを残して。さぶろうは蚊からすると巨人の国に住むガリバー・ジャイアントである。体重だって脳味噌だって何百倍もある。それがこのざまだ。あっという間に勝負が付いている。奴は、小さくても知恵者だ。「人間を喰ってやろう」このふてぶてしい構想を立ててこれを実行したのだから、勇者だ。勇気がある。さぶろうはこうはいかない。自分より百倍もでかい相手を相手としてかかることはない。相手の血を吸うことなどはましてない。蚊よ汝は逞しい。果敢だ。めそめそがお得意のさぶろうよ、お前もちったあ真似をしたらどうだい。

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恵まれていい分量を超えて恵まれている

2015年09月20日 08時08分09秒 | Weblog

いい朝だ。こんなにいい朝を迎えていいだろうかと思えるくらいにいい朝だ。空がいい。澄んだ青い秋空。われわれの暮らす地上をこうしてやさしく愛情で包み込んでいる。しかもお仕着せではなく。わざとらしくもなく。すんなりすらりと。雀が耳敏くこの愛情たっぷりの空を見つけて、瓦屋根ではしゃいでいる。こんなにいい朝を迎えていいさぶろう。さぶろうは凄い男だ。恵まれていい分量を超えて恵まれている。どんなに欲しがったって、どんなにねだったって、こうはうまく行かなかっただろう。

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