<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

おやすみなさい

2015年09月27日 21時56分16秒 | Weblog

やすみます。ブログにお付き合い下さって有り難うございました。

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たなびく雲を漏れて来る月光のさやけさ

2015年09月27日 21時26分09秒 | Weblog

秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ
左京大夫顕輔 『新古今集』秋・413

叙景歌。秋になって中空に風が渡って秋の雲が横に長く長く広がるようになった。月がゆっくり歩いて通ると、雲の切れ目切れ目に現れて来る。さっと漏れて来た光がなんともまあ透明感があって明るく美しいので、ついついいつまでも飽きもせずに眺めていたことであった。雲は名月を引き立てる立役者になっている。作者の本名は藤原顕輔(1090~1155)で左京大夫は昇進した官名。勅撰和歌集の撰者であった。

今夜は満月。ひとり外へ出て観月をしてきました。今夜は日本のあちらこちらで観月会が繰り広げられていることでしょう。京都大覚寺の観月会が有名だそうです。大沢の池には竜頭舟が浮かべられるとも。お月見には団子とススキと昔から決まっていますが、今はもうこの行事も廃れてしまったかもしれません。仲秋の名月は陰暦8月の満月。

「たなびく」は「横に長く引く」様子。「さやけさ」は「透明感のある明るさ」だろうか。「影」は「月光」のこと。

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「国民のために」は要注意である

2015年09月27日 20時57分07秒 | Weblog

「みんなのためにしてやった」と言いながら結局は「そのおれを見よ」「見ないやつはけしからん」などと大上段に構えて来る。立役者になるのは結構なことだけど、立役者になれなかった者を侮ってしまう。「みんなのためにしてやる」ってそんなに威張るべきことじゃなかったのに。「国民のために」「国にわたしのすべてを捧げるよう努力します」などと言うけど、実際になると人にそのスローガンを押しつけておいて、自分の栄誉を第一優先にしているリーダーは多い。「国民の幸福を奪うために」も「国民のために」に含まれている場合だってありうる。「誰々のために」は要注意である。自戒せねばならない。

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ぼんやり満月を見て楽しんで 悔いはない

2015年09月27日 20時07分45秒 | Weblog

「わたしでなくてはやれないこと」それがあればそれをわたしのためにやろう。人生は大切なわたしの時間。しゃしゃり出てわたしの存在感をことさらにアピールすることは止めにして、「わたしでなくともやれること」は人にまかせておこう。

じゃ、それってなあに?

うん、わたしはわたしのお昼寝をすること。わたしの自由な時間をいい気持ちで過ごすこと。そしてそうしていることを悔いないこと。もっと活動的なこと、有意義なこと、社会に役立つことをすべきだった、などと言って悔いないこと。そんな脅し文句にはちっとも耳を貸さないで、ぐうたらを決め込むこと。愉快を堪能すること。

これだったらできるよね。そしてわたしのお昼寝はわたしにしかできないよね。

だったら、いつもしていることじゃん。ああ、そうだったね。

これでよかったのである。悔いなし。悔いなしになれば、それでよかったのである。わたしの人生はわたしの大切な時間。あれをするべきだった、これをしておくべきだったなどの脅しには屈しないで、ぼんやり満月を見ていればよかったのである。今日は仲秋の名月。人生を悔いてはいけない。もったいない。名月の時には名月を見る。楽しむ。これでよかったのである。

でもこの小市民的生き様だったら明治維新や富国強兵や大東亜共栄圏建国時の愛国的リーダーにはなれないよね。そりゃ、なれないね。

愛国ってとっても勇ましいけど、とどのつまりは国民を戦争に駆り立てていくことになる場合がとっても多いものね。一つの正義を国民のみんなに押しつけて顧みない場合がとっても多かったものね。

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今日やるべき畑仕事はやり終えた

2015年09月27日 19時53分21秒 | Weblog

やるべきことはやった。といっても畑仕事のこと。なあんだ、でしょ。家の東脇の畑にいて、有機石灰、化学肥料を混ぜ、掘り起こし、土作りをした。そして秋野菜の種蒔きをした。第7次の。ホウレン草、キャベツ、80日白菜、山東菜、チンゲンサイ、20日大根(赤)などの種を蒔いた。防虫剤オルトランを散布し、最後に水遣りをした。それから今度は草取りをした。それから早すぎるけど里芋を収穫した。ためしに一株だけ。明日の味噌汁の材料になるだろう。6時40分には終了した。やるべきことはやった。といっても「僅かでも社会に役立つこと」ではないのだけれど。これが夕暮れ時の、一人の老人のささやかな暮らしだった。

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たはあ!

2015年09月27日 16時50分46秒 | Weblog

たはあ! もう5時。夕暮れるぞ。日が翳って来たぞ。よし、行動だ。外へ出よう。日没までに1時間半が残っている。畑に出てひとりにんまりしていよう。

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幸福の書を独り占めしているのは申し訳なくて

2015年09月27日 16時34分03秒 | Weblog

この幸福の書を独り占めにしていては申し訳がない。一人で抱え込んで一人でほくそ笑んでいるなんて申し訳がない。一人で幸福に浸ってにんまりしているなんて申し訳がない。なぜならこの幸福の書はさぶろうだけのために書き残されているわけではないからだ。全人類のために、全人類が幸福になるために、もっと正確度を増して言うなら全人類がいま幸福であることを正しく確認をするために、書き残されているからである。この幸福の書を、だから、さぶろうはちびりちびりだけど、ピックアップして、お祭りのお店に列べている。この書は仏陀の説法の書、すなわち経典である。「幸福はいいだろうだろう」「幸福を感じて暮らすのはいいだろう」「(仏陀の説法が聞こえて来る国に)生きているのはいいだろう」「死んで(仏陀の国)に移住するのはいいだろう」「この仏陀の書、幸福の書を読めば、状況がどうであれ、どのみち今が今幸福であることがすぐに確認できるだろう」こういうように仏陀のさまざまなコピーでもって親しく親しく語って来るのだ、この幸福の書は。

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あなたは仏さまがこぞってお褒めになる人 

2015年09月27日 16時00分06秒 | Weblog

如是之人 諸仏所歎 是則勇猛 是則精進 是名持戒 行頭陀者 則為疾得 無上仏道     日蓮宗経典「宝塔偈」より

かくの如き人を諸仏は歎じたまふなり。この人は則ち勇猛の人なればなり。この人は則ち精進の人なればなり。この人は持戒者にして、頭陀を行じる者と名づけらるるなり。則ちこの為に疾く無上の仏道を得る者なり。

頭陀を行じる者とは煩悩のすべてを捨て去ってもっぱら托鉢の行をする者、すなわち仏道修行の僧を指している。この人とはしばらくでも法華経の経典を持(たも)つ者を指している。勇猛の人とは法華経の実践をする人、精進の人とはこころを込めて善行を行う人を指している。持戒者とは仏教を信じる人が守るべき戒めを守っている人を指している。

さぶろうは諸仏の歎じる者ではない。勇猛でもない。精進もしていない。持戒はなおさらしていない。頭陀を行じてもいない。でも、一項目だけは該当している。すなわちしばらくでも此の法華経の経典を読んでいる者に該当している。読んでいるだけではダメ! と言われるかも知れないが。

でもね、この宝塔偈はそんなに厳しく除外をするためにあるとは思われない。大サービスの偈なのである。スーパーの大安売りに近い。さあいらっしゃいいらっしゃい調の名調子なのだ。仏さまに褒めてもらいたい人はさあお出で! さあここへ集まってお出で! 仏さまはあなたの欲しがるものはなんでもくださるよ! 最後の最後に与えられる無上仏道までもすぐに与えてやろうと仰っているのだよ! っては調子だ。

この宝塔偈の一偈一句でも口にした人はこの大当たりに該当する人である。だったら、もう大丈夫。資格ありだ。パスポートありだ。

「諸仏の所歎の人(あなたはもろもろの仏さま方が褒めちぎる人だよ)」なんて、かっこいい凄いコピーじゃないかなあ。

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さぶろうは怠けてまだ腰を浮かせない

2015年09月27日 15時51分19秒 | Weblog

怠け者のさぶろうは外の日照りを嫌がって立ち上がらない。日が翳るのをもう少しもう少しと言いながら待っている。植え替えてやった白菜が危ない。虫にやられている。若い葉が穴だらけになっている。殺虫剤を撒いておかないとすぐにも消えてなくなるだろう。それから病害にかかった秋野菜はもう一度蒔き直しをしておかねばならない。まず土自体(培養土)を替えてやろう。キャベツが相当に成長してきたからこれも植え替えをしてやらねば、このままでは互に牽制し合ってしまうだろう。忙しい忙しい。なのに、さぶろうは怠けてまだ腰を浮かせない。そうなんだ、まだ日が十分に翳って来ないのだ。

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水草のアサザ(荇・浅沙)の黄花の群落に出会う 

2015年09月27日 15時32分49秒 | Weblog

サイクリングの途中で、千代田のクリークに生い茂る水草アサザの群落に出会いました。葉が水面をすっかり覆っています。ここに短い茎が伸びてそこに黄色い花が咲いています。行きすぎることができずにしばらく立ち止まりました。食い入るように眺めました。なんだか幸福をどっさりどっさり分けてもらった感がありました。

さっそく植物図鑑を開いて調べてみました。これはそこからの受け売りです。アサザは水質を浄化する作用があるようです。ハナジュンサイとも言います。娘さんはこれをとって髪飾りにしたようです。可愛い花ですから髪にも飾りたくなるでしょう。若葉は食用にもなります。

ほかにはホテイアオイの青紫の花を見つけました。菱も池を覆っていましたが花は見かけませんでした。城原川には深いところで水流が激しいところにも水草が生い茂っています。名前は知りません。たぶん、食用になるようです。近所の方が取って来ておられたのを覚えています。以前、水田にはコウホネの白い小さな花を見かけましたがこの頃は見ていません。

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