諸仏救世者 住於大神通 為悦衆生故 現無量神力
妙法蓮華経「如来神力品第二十一」より
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しょぶつぐせしゃ じゅうおだいじんづう いえつしゅじょうこ げんむりょうじんりき
諸仏は世を救う者なれば、大神通に住して、衆生の為の故に、無量の神力を現じたまふ。
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世の人々を救わんとする諸々の仏陀たちは、大いなる神通力の通る世界にましまして、衆生のひとりであるさぶろうをよろこばせようとなさって、次々に計り知れないほどの見事な手段を講じられているのだ。(さぶろうのための解釈)
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神通力の「神」は「秀逸の」という形容詞か、「秀逸なる者」という名詞だろうか。「自由自在な超人間的で摩訶不思議な力」「何事をもなし得る霊妙な力」というほどのことか。この後に、その具体的な行動が記してあるが、さぶろうは総体的に受け取ってこれでよしとしている。勝手な解釈だが、これをこころみて悦に入ることにする。
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1) 「諸仏は世を救う者である」
諸仏はさぶろうを救う者である。さぶろう一人を救うために多くの多くの仏たちが、仏に成られている。仏は宇宙中にいらっしゃってその数も知れないほどである。その仏たちがさぶろうを守っておられる。さぶろうを導いておられる。
2) 「衆生を悦さんがための故に」
衆生の一人がさぶろうである。ここではさぶろうが代表格である。さぶろうがこれをよろこぶのが仏たちの仕事であるから、さぶろうがよろこぶと仏たちがおよろこびになられる。
3) 「無量の神力を現じたまふ」
いま現に数限りない力を現してさぶろうを守って導いておられる。しかも尽きることがない。何処までも何処までもそれを続行しておられる。この力のなすところが摩訶不思議で摩訶不思議である。その摩訶不思議の第一はこうだ。さぶろうに大空をお見せになりこの下に住まわせたまふ。
4) 「大神通の世界(=仏の世界)に仏と成って住しておられる」
衆生を救うとはこの仏の大神通世界に衆生を引き入れることである。此処へおいでおいでをして手招きをしておられるのである。如来神力品(品は章、チャプターの意)は全体で「こうやって法華経の教えるところを信じて弘めよ、そのための後押しは仏が力を尽くす」ということであるが、そうなっている(法華経が教えている通りになっている)ということに安心をしていいということでもあるのだ。
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法華経は何処の一部分をピックアップしても全体になっている。「さぶろうを守る」と書いてある。「さぶろうを仏の世界にまで導くぞ」「すべて仏にまかせていていいぞ」「そのための力(神通力)は残すところなく授けるぞ」と宣言してある。それでさぶろうは、その一部を引いてこういうふうに大袈裟によろこんでいるのである。