<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

絶望することはない 希望を輝かせていていい

2016年03月11日 19時36分22秒 | Weblog

全世界はいい方向へ向かって動いている。さぶろうはこう思っている。これは疑いようがないことだと思っている。証拠は出せない。だから、信用はできない。できないけど直感ではそうなっている。この直感は、ひとりさぶろうのそれではなく、全世界が抱いている直感だと思っている。

いい方向へは向かっていないとなると不安が募る。暗くなる。ひしゃげてくる。絶望して来る。

いい方向へ向かっていると信じていれば安心していていい。明るい眼をしてていい。張り切っていていい。希望を前面に出していていい。そういうことになる。

結局はいい方向に向かって行くしかないのだ。方向性があるということが即ちいい方向性の証拠なのだ。

長い長いスパンで見ると、一見よくないことに見えていても、それは単なる途中の経過と言うことになる。それを受けて反転をする。そしてまたそれが反転をする。ぐるぐる回る。回りながら、回転しながら、進んでいる。

これは波動だ。波の運動だ。一定の周期で高くなったり低くなったりしているが、それが直進するエネルギーの運動なのだ。

それが悲しいことであっても苦しいことであっても寂しいことであっても辛いことであっても、それが回転の重さになっているのだ。次を回す力になっているのだ。これで先へ進んで行く。

どこがこの世の終わりか。宇宙の終わりか。ゴールを何処に置くか。仏教の歴史観では、終わってまた始まるのだ。

繰り返し繰り返しをして反転反転をして繋がって行く。運動は運動のエネルギーに拠っているが、運動する限りこの力は自動発電なので消滅することはないのだ。心配は無用だ。

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人が生きて人が死ぬ。これも波動だ。運動だ。向上する運動だ。発展する運動だ。力がそうやって自動発電しながら先へ先へ進んでいるのだ。

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宇宙もそうだ。生まれて活動して死んで行く。死んだことでそれが新生に転じていける。そしてそれが波の周期運動になっている。繋がって繋がって行く。いい方向へいい方向へ進んでいく。

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そうであるなら、絶望をすることはない。希望を輝かせていていい。そういうことになる。

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温泉を楽しんできました

2016年03月11日 18時02分05秒 | Weblog

甘木の近く「美奈宜の杜」へ行って温泉を楽しんできました。入浴料730円。ちょっと高めでしたが、いいお風呂でした。客がいない露天風呂に入ってひとり空を眺めて過ごしました。遠くへ行くつもりでしたが、行きそびれてしまいました。

 

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どこかへひょいと

2016年03月11日 08時52分43秒 | Weblog

どっかへひょいと姿を眩ませたい。マイカーで守護神温泉へでも行って来るか。これは涌蓋山の近くにある。小国を通って行く。遅くなるならどっかに泊まってもいい。泊めてくれるところがあるのならだが。ないなら、夜通し走ればいい。一人だは寂しいが、きままだ。反対がなくて自由になる。食い物はコンビニ辺りで弁当を確保すれば済む。寒ければしばらく温泉に浸かればいい。

無趣味だから、趣味の会に行くこともない。働いてもいない。それで収入も見込めない。温泉なら入浴料は500円。それくらいなら払える。社交性に欠けるから、人との繋がりもない。けっこう寂しがりだから、鼬のようにひいひい悲鳴を上げるが、誰ぞといっしょに行動する面倒くささがない。

晴れたら、積んでいる自転車をあちこち走らせたら楽しいだろう。それっきりだ。雨に閉じ込めらたら、読経をしよう。この頃は「観音経秘鍵」を高唱して暗誦にかかっている。高唱も暗誦も楽しい。クレヨン水彩はこの頃はしていない。ハーモニカもこの頃はご無沙汰だ。しかし、黙座瞑想があるではないか。瞑想をすれば快感ホルモンが分泌する。あんまり気持ちが良くなると眠ってしまうけれど。

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今日は3・11 東北大震災の日

2016年03月11日 08時31分16秒 | Weblog

屋根の瓦が濡れて光っている。夜中に雨が降っていたのであろう。空は銀を流して垂れ込め押し黙っている。さぶろうもこれに応じて押し黙っている。沈黙を破っているのは野鳩。ぶっほうくうくるくる、まあだかね、と鳴いている。何かを待ってでもいるのか。

今日は3・11。東北大震災の日。多くの方が受難された。まだ行方が分からない人も数千人に及ぶと新聞が報じていた。復興5年。各地でまだ傷跡が残ったままのところもあるようだ。仮設住宅で暮らしている人たちも多い。人々が汚染被災の村へ戻って来ることはまだ遠い先になるようだ。

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あたたかきもののながるる我が身なり

2016年03月11日 04時17分59秒 | Weblog

あたたかなもののながるるこの身なり春の大地のそれよりもなほ

あかき血のながるる上にまなぶたをせきあぐるあり心身あつし

こころとは地熱なるらむ地の底のマグマなるらむ噴き上がり来る

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春に遭う

2016年03月11日 03時56分40秒 | Weblog

サイクリングの途中、川の土手で土筆を見つけました。なるほどぞくぞく立っています。嬉しそうです。列を作って背伸びの比べっこをしています。土筆料理をしたらおいかろうと思いましたが摘むのは止めました。川風が吹いていて寒いから。帰りだったので、もう疲れていてペダルに力がこもりません。おまけに向かい風。酔っぱらいのようによろよろくねくねしながら、進みました。寒の戻りです。土筆たちも身震いをしています。行きつ戻りつはするけれど、でもともかくもう春。こうして春に遭うっていいですね。

としたけてまた越ゆべしとおもいきや命なりけりさやの中山

学校でお習いしたこの歌が記憶の底からよみがえってきました。

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