<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

両者は相思相愛。ラブラブ関係にある。

2022年03月04日 17時50分08秒 | Weblog

畑に出て行く気が起こらないと言いながら、それでも出掛けて行った。好きだなあ。両者は相思相愛、どうやらラブラブ関係にあるようだ。

 

畑に居ると癒される、と言うことを本能的に知り分けているフシがある。<無心>という宮殿に静かに厳かに誘(いざな)われる。

 

で、畑で何をしたか。草取りをした。草を取って耕せるようにした。夏野菜の準備が始まっているのである。僕がいないと畑は畑の顔つきができない、というワケだ。

 

好きだなあ、としか言いようがない。畑に居ると何時間でもいい。飽きない。畑が、癒やし系ホルモンでも分泌しているのではないのかしらん、などとも思う。

 

それだけたっぷり癒されている自分がある。6時ちかくまで作業を続けた。畑がずっと畑らしくなった。そういう点では共生関係に近いと言えそうである。

 

ふふふ、僕は畑の美容師さんかもしれない。あんまり上手な美容師さんでもないだろうが。すぐに呼び寄せられる。僕は丁寧に時間を掛けて、畑を若返らせる。美女にする。その美女を見て惚れ惚れとする。

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永遠を生きているわたしがいる。ここにいる。いまは地球にいる。

2022年03月04日 15時26分53秒 | Weblog

永遠を生きているわたしがいる。

 

そのわたしが、いまは現在を生きている。

 

生まれて、生きて、老いて、病んで、死んで行く。

 

これは、しかし、<一括り><ワンセット>に過ぎない。

 

これが、次の一括り、次なるワンセットに繋がって行く。

 

小さな自己完結を重ねて行く。幾つも幾つも重ねて行く。

 

卵から鶏が生まれ、鶏が卵を産んで行く。途中で断絶がなかった。これに類似している。

 

次を楽しめるのだ、きっと。ものの哀れにうち沈んでいることはない。

 

 

僕は、地球に降り立った旅人である。そろそろ美しい水の星の地球での旅が終わる。次はたぶんオリオン座の星に降り立つであろう。宇宙は広大である。宇宙は無限大である。星座は無限である。美しい感動が次々と僕を待ち構えているだろう。

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永遠の中に現在のわたしが生きている。

2022年03月04日 14時56分03秒 | Weblog

さっき、夢の話を書きました。夢でなくてもいいのです。

 

物事の、そこから先の続きを空想して楽しんでいたいのです。

 

ここまでで終わりじゃなくて、その先に続きがあるんじゃないか。

 

Aの結果が出ていてもそこでジ・エンドの固定じゃなくて、そこから次のBの発芽があって、Cの発育が続き、Dなる明るい成果が生まれているんじゃないか。

 

明るい結果にまで待って、拡大して、引き延ばして、見る。そうできるのなら、いまの現状に憂えていることはないはずである。

 

 

物のカタチは変化して止まない。これは無常観の示すところである。無常観は、哀れの文学の域に留まることはない。物の現象は、発展して発達して成長をする。明るくなる。あたたかくなる。やわらかくなる。そういうことだって、ある。

 

不幸と見えていたのがぐるりと回転をして幸福になって明るく跳ねて踊っている。そういうことだって、ある。

 

ある時点で、能力が劣っていたとしても、そこからまたドラマが待っている。転回がある。あふれるほどの才能を開発して、幸福を掴んでいる。そういうことだって、ある。

 

そうかあ、そんなことだってあったのか。そういうその後の展開に、後になって、気付かされることがある。

 

 

現在の、表面でばかりは判断ができないが、そこで判断をしている向きがある。大いにある。

 

断定は下せないのだ、だから。次がありそのまた次がある。物は波を打って行く。広がって行く。新しい展開を見せて行く。此処を過ぎて行けば、次が見えて来る。はずである。

 

ああそういうことだったのか、と後になって気付かされる。人生はいつも通過点である。路の途中である。あれこれの体験をする。苦しむ、悲しむ。嘆く。落ち込む。気が滅入る。

 

そこからしかし、また新しいドラマが始まって行く。

 

 

仏教では、人は必ず仏陀になる。成仏する。自己完結する。そう教えられている。だからそこが第一次の目標地点だ。人生には方向がある。到着地点がある。しかし、仏陀になって終わりではない。第二次期第三次がある。永遠に続いている。

 

永遠の中に現在のわたしが生きている。

 

 

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卒業生が、スズメの餌を運んで来てくれました。

2022年03月04日 14時44分50秒 | Weblog

新聞に載った「スズメへの恩返し」を読んでくれた卒業生が、12時頃にわが家の玄関に立ちました。スズメの餌になるお米の古くなった籾を手に提げていました。

 

40数年前に担任をした生徒さんでした。農家に嫁いだようです。60歳の還暦を今年迎えます、と彼女が言いました。年月が経っていました。懐かしい気持ちが溢れました。

 

高校生の頃、彼女は病弱で、気分が優れなくなった彼女を、担任の僕が家まで何度も送り返していたらしい。こちらの記憶にはもうなかったけど。

 

30分ほどもあれこれあれこれ昔話に興じました。帰りに、わが家の畑の九条葱を掘って差し上げました。すくすく勢いをつけていた小葱も、白菜、花心白菜も、春菊も。

 

嫁いだ家は農家だけど、お野菜類は作っていないらしいから。

 

さっそく、頂いたお米の籾を雀さんにあげました。チュンチュンチュンチュン鳴いて踊って跳ねています。

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死んでも夢を見るのだろうか?

2022年03月04日 14時29分38秒 | Weblog

死んでも夢を見るのだろうか?

 

夢は脳が見ている。だから、灰になった脳では夢を見ることはできないかも知れないね。

 

そうだね。

 

人様の脳が見ている夢を、望遠鏡を使って見られるかしらん?

 

そんなことができるだろうか? 不可能だろうね。

 

いや、そんなことまでして夢を見ることもないね。

 

でもそういう望遠鏡が開発されているかも知れないよ、あちらの世界では。覗き見趣味はよくないか?

 

楽しい楽しい夢ならこの後も見ていたいな。ま、行ってみてからのお楽しみだね、いずれにせよ。

 

 

生死は別世界じゃないと思うんだけど、僕は。

 

境界線がなくて自由に出入国ができそうにも思えるよ。

 

案外、同一の地平だったりして。だとすれば、笑っちゃうよね。

 

個人として生きているのではなくて、個体を離れた後は、大空のように、全体として生きていたりできる、とかね。

 

スクリーンに映った夢を、映画のようにして、そこにいる肉体を離れて自由になった魂たちが、みんなして見ていられるのかもしれないね。

 

ん、まあ、どうでもいいことだけどね。

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畑に出て行く気が起こらない

2022年03月04日 14時23分20秒 | Weblog

今日は曇り日。日が射さず、どんよりとしていて、気温が上がらない。寒い。畑に出て行く気が起こらない。

 

勢いを盛り返してきた小葱の株もとに施肥をしてあげねばならないけど。

 

ま、しようがない。炬燵に足を延べて、本でも読んでおこう。

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薬をもらいに来ている。

2022年03月04日 11時10分42秒 | Weblog

クリニックに薬をもらいに来ている。

面倒だなあ。月一に来なければならない。

死ぬまで続くのか。

 

血中血糖値を抑制する薬。コレステロール値を抑制する薬。

待合室は込み合っている。人は、死ぬまで病から離れられないのだ。

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草取りは楽しい娯楽である。

2022年03月04日 09時25分13秒 | Weblog

草取りは楽しいのである。一種の娯楽に近い。一人でできる独娯楽である。しかも無料。ヤレとメイレイされてヤルのは苦痛だが、ヤロウと決めてヤルのは苦痛を伴わない。爽快であって愉快である。急がない。ゆっくりゆっくりする。ヤッテイルうちに、雑念妄念が消える。無心になれる。こんないいことがあろうか。大空がにっこりにっこり笑いかけて来る。こちらもこれを返す。

 

生きているのだからさまざまに苦しむ。悲しむ。怒る。憤る。悔やむ。恨む。妬む。はかなむ。これには抵抗ができない。抵抗ができないものであれば、従順になるしかない。従順になった途端に、それが過酷の度合いを減らして行く。畑に出る。椅子に座って、農具を片手に草を毟る。するといつのまにか、妄念雑念が抜け落ちる。無心が来る。

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うふ、ふふ、ふ、陽春の訪れ。

2022年03月04日 09時09分54秒 | Weblog

うふ、ふふふ、ふ。陽春だね、やっぱり。寒い冬の間死んだかのようにしていた小葱が、いきなり葉筒をつんと膨らませ始めた。僕はにこり。にこりとして、鶏糞を施肥して水撒きをしてあげた。昨日は外気温がぽかぽかの15℃になった。畑仕事をしながら、ジャンパーが暑くて、脱ぎ捨てた。

 

ふふ、うふふふ。花壇に蒔いた花の種が、もうそろそろ発芽温度に届くだろう。4月になれば、わが家は花園。此処を天界にして開花を楽しめることになる。

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