<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

これっきりこれっきりですか?

2022年08月05日 11時10分31秒 | Weblog

これっきりこれっきりこれっきりですか?

そんな歌がありましたね。

わたしはこれっきりでおしまいだったのでしょうか?

10000万年後に、わたしはどうなっているんだろう?

西暦2022年にはたしかにわたしはまだ生きていたんです。

あれから早いもので10000年が過ぎて行きました。

いまは12022年になっています。

わたしはいるんですが、誰もわたしには気がつきません。

なにしろわたしはあれからどんどん変化を遂げました。成長と発展を繰り返しましたので、あのころのわたしはもうどこにも見つかりません。

10000年が流れました。わたしは輝いて耀いて赫いています。これからも輝きは尽きることがありません。

ふふ、ふふ、ふふ。そういう想像をして楽しんでみました。これっきりこれっきりこれっきりをもうどれだけ多く繰り返したか分かりません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その日が着々と近付いているなあ。

2022年08月05日 10時39分39秒 | Weblog

もういいか。今日はブログをたくさん書いた。たくさんていっても5篇ほど。

書いてそれでどうなるものでもないけど。読んだ人が元気を取り戻すなんて役目もしていない。

書いている僕は、どうか。今日を生きている、という気になったりもする。なにしろ死んだ後では、1篇だろうと書けないんだから。

ああ、でもその日が着々と近付いて来ているなあ。

だったら、やっぱり今のうちだなあ。そういうことになるなあ。

茎の赤い新種のオクラがぐんぐん背丈を伸ばしている。もう2mはとっくに越えた。元気だ。3mが間近だ。赤い色が鮮やかだ。どうして赤い色をする気になったんだろう。男前になりたかったのかなあ?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

電線に燕が10羽列んでいる。

2022年08月05日 10時29分37秒 | Weblog

電線に燕が10羽羽を休めている。みんな家族なんだろうか。今年生まれた子燕たちだろうか。親燕が、「よしこれだけうまく飛べるようになったら、もう大丈夫だ」などと、列の真ん中あたりで、ねぎらっているのだろうか。中々飛び立っていかない。白い雲が青い空に流れ込んでいる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

植物はみな無心だろうか

2022年08月05日 10時12分27秒 | Weblog

メヒシバが西瓜畑を覆い尽くして茂っている。もう我が物顔といったところだ。反対に、西瓜はもう盛りを過ぎている。蔓も枯れかかってきた。ここへ秋を呼ぶ虫たちが棲み着くことになるだろう。

メヒシバは細い茎を長く伸ばしている。西瓜の上空20cmのところに穂伸びている。それが風に揺れる。涼しそうだ。

彼らはそこで一日何を考えて暮らしているのだろう、などと僕は思う。余計なお節介かも知れない。

考えてないと生きていけないなどということはないのだろうから、案外、無心を通しているのかも知れない。

地上を覆って茂っている植物たちは、みな、無心なんだろうか。そんなこともないのかもしれない。

「よし、ここで生きてやるぞ」と決意して草の種を落としたのかもしれない。意思を貫いて、貫いて貫いて、暑い夏を乗り切ろうとしているのかも知れない。

もっとあっさりとしているかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生山在り谷在り、なんだよね。

2022年08月05日 09時46分53秒 | Weblog

そうか、次の峯を目指す者は、いまいる峯を下りて行かねばならないのか。ふううん。

高くジャンプしたいのなら低く低く腰を落とせ、とも言う。

低い位置に落とされている者、そこに甘んじている者には、なんだか励みになる。

よしもう一度挑戦してやろうという気になる。高い峯まで辿り着けそうな期待感がふくらむ。

まあ、人生山在り谷あり、だから、これまでにもそうやって登り道を上ったり下り道を下ったりしたことだろう。幾度も幾度も。

谷がつまらないのではない。谷には清冽な谷川が流れている。そこで疲れた足を休ませることもできる。

谷水は峯の頂には流れていない。その代わり、峯の頂からは眺望がきく。眼窩に美しい平野を眺め下ろすことができる。

だったら、いまいるところをよしとしてもいいのかもしれない。いまいるところを、賢者を装って、拒否するのは骨が折れるばかりだ。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

怠け者の僕のベッドにはダニが住みついている

2022年08月05日 09時26分34秒 | Weblog

今日も暑くなりそうだ。8月5日、今日は。いよいよ夏本番ってところ。暑くても仕方がないか。

老人は、こんな暑い日は何処にも行かない。冷房した家の中に籠もっている。ごろんごろんしている。

それじゃいけないだろうがそうしてる。日中でも外に出て働いている人がいる。そういう人には顔向けができない。

ところが、ダニがいる。刺されて痒い。どうもそのダニ族も、不潔主義者の我がベッドを住まいとしているようだ。

昨日思い切って、日中に部屋を閉め切って、殺虫剤のバルサンを焚いた。2時間後に戻ってきた。

これで退治で来てればいいんだけど、今朝もやはり痒い。ダニはバルサンを乗り越えたかも知れない。

ふっと、ダニは、ごろごろして怠けている僕を屋外へ出そうとしているんじゃないかと思ってみた。だと、意味がある。

僕を日の当たる明るい場所へ追い出して、健康増進を後押ししてくれようとしている、ということになる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最後の古高菜漬けをあげてみた

2022年08月05日 09時04分29秒 | Weblog

今朝方、俄雨が降った。ものの数分で止んでしまった。このくらいの雨量だと、畑を潤すまでには至っていない。あとはまたカンカン照りになった。草の葉に雨粒がキラキラ光っている。

朝顔がいろとりどりに咲いている。鉢植えだから、雨が沁みたはず。元気を促されただろう。

秋口に漬けておいた高菜漬けを樽から上げた。途中何度か上げて、人様にお分けした。もうこれで最後だ。黴は生えていなかった。研石で包丁を丁寧に研いでから微塵切りにした。指が臭くなった。石鹸で洗っても匂いが抜けなかった。

台所がすぐさま古高菜漬け臭で充満した。後は家内がすぐにも油炒めにするだろう。高菜のこの臭いが嫌いな人はこれは食べられないが、好きだという人もいる。好きだという人にお裾分けする。

外国人はほぼ100%拒否だろう。どの国にも独特の食べ物があるようだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする