風がないので/メヒシバの穂がじっとしている/ほっそりした首だ/たくさんのメヒシバがみんな青空に/吸い寄せられている/信仰心を持った若者のようだ/自然界の敬虔を見たような気がする
短い一篇の詩を読んで/すっとすることがある/涼風が吹いて来ることがある/もやもやが/一度にはらりといなくなっていることがある/詩は/秋風になって/人のこころの中に吹いて来ることができるのか/だとすればそれはふしぎな力だ
おやおや、アキアカネがすういすういと飛行している。いとも軽やかに。
群れをなして、里芋の畑の上を何度も行ったり来たりしている。
ときおりふいと浮き上がる。そしてまた平行飛行に戻る。
もうすぐ夕暮れる。6時になる。
里芋の畑の上空では、涼しい風でも吹いているのだろうか。
すういすういすうい、すい。
なんだかそこらには秋が来ているようで嬉しくなる。
昨日8月7日は二十四節気の立秋でした。暦の上ではすでに秋になっているというのに、この酷暑はこれはどうしたことでしょうね。夕方5時半現在で、気温は32・6℃。湿度66%。外にでは出て行けません。冷房を効かした室内で過ごしています。
日本各地で最高気温更新のようです。かというと、東北地方は大雨。洪水被害が起きています。
食欲が落ちました。昼は食べなくてもなんともありません。その上、今年は残暑が長く続くらしい。
早く早く秋になってくれないかなあ。
おっとう。
生んでくれたオレを置いて死んでしまったなあ。
おっかあ。
生んでくれたオレを置いて死んでしまったなあ。
死ぬとき、置いて行くオレのことを思って、
涙が目に溢れたかもしれないなあ。
幾つになったところで、親子だからなあ。
いまもおっとうはオレのおっとう。おっかあはオレのおっかあ。
オレのこと、それはそれは愛してたからなあ。
ずっとずっとわたしを見ていてくれたからなあ。
青空。
青空を見る。
わたしが青空と対面している。お互いが1対1の同等同格で。
青空が広がっている。
わたしと青空との対面がこんなにもあっさりと自然に実現している。
ありえていることなのに、ありえることではないような気がして来る。
青空が澄む。
青空が澄んでいると労せずにわたしのこころも澄まされてくる。
自然と愉快にさせられている。
青空。
青空は人間がするようなことはしない。
脅したりはしない。
草も生まれて死んで死んで生まれている。木も生まれて死んで死んで生まれている。
水もまた生まれて死んで死んで生まれている。川もまた生まれて死んで死んで生まれている。
上手に上手に恐がらずに穏やかに、生まれて死んで死んで生まれている。
いつもわれわれはその途中の変化の中に漂っている。変化をしているが、それはどこまでも継続して行く。自然界の生死を見ているとそれを教えられる。
☆
秋に枯れた草が春にまた芽吹く。夏は青青として葉を茂らせ、冬は土の中に次の種を下ろして、忍んで耐える。
廻向(=回向)には、往相回向と還相回向というふたつの面がある。裏表になっているのだろうか。
(熟知しているのではない。だから憶測でものをいうしかないが)
「回向」は「回し向ける」こと。頂いた仏の功徳を人様に差し向けること。どういう功徳を仏さまから頂くのか。
往生浄土、往生成仏という功徳である。
☆
往相回向は死んで(死なないでもいいが)お浄土に往くときの回向。仏さまから頂いた功徳の回向。みずからに差し向ける歓喜。
還相回向はお浄土から還(かえ)って来るときの回向。同じく仏さまから頂く功徳の、回向。人様の歓喜に変容させるハタラキ。
☆
一方通行ではなくて双方同時通行なのである。仏さまとわたしの間での双方通行。プラス、人様とわたしと仏さまとの間の、三者間の双方通行。この通行が同時に行われる。
☆
つまりは、わたしだけが仏さまから往生浄土、往生成仏の歓喜をいただくのではないのである。生者死者の区別なく、多くの人たちと分かち合って行くのである。
歓喜は閉塞的ではないのである。あくまで開放的なのである。
わたしは成仏してお釈迦様と等しくなるのである。等しく永遠のいのちを生きることになるのである。
仏さまから頂戴する成仏の歓喜を、独り占めすることなく、回りへ回りへ回りへ、生きていようと死んでいようとお構いなく、回向して回向して回向し尽くす。
☆
わたしは仏教の教えに暗い。おばば様からの耳学問に過ぎない。だから、これはわたしのわたしだけの解釈である。
☆
浄土に往生するときとは、わたしが肉体を死んでいくとき。それが往相回向。浄土から還るときとは、わたしがここに生まれて来るときのことである。わたしの形骸は、生まれて死んで生まれて死んでいる。
まもなく午後4時近く。揚羽蝶がそよろそよろと飛び回っている。草だらけになってしまった西瓜畑の上を。一羽で。西瓜に混じって糸瓜が育ってて、それが黄色い花を咲かせている。これに惹かれたのかもしれない。
そよろそよろが、実に悠然としている。彼女が自分で「わたしは悠然として時を過ごしています」などと言っているわけではないが、それを感じさせるほどにスローモーション的なのだ。
☆
僕は、しばらくこれを眺めて過ごした。いい時間を過ごした。こんなにゆっくりと、そよろそよろと、時間が流れている場所が、ここにもあったのだ。
飴玉をしゃぶっている。まるで幼児だ。
飴玉をしゃぶっている。それがこのお爺さんに似合っている。釣り合いが取れていて、不自然さを感じない。
それで満足している。
飴玉くらいで満足していられるのである。実に単純だ。
☆
ほかのことでは、(何をやっても)満足指数に達しなかったので、諦めができているのだろう。100段階評価の1のレベルでにこりとしている。割り切りが早い。
☆
それも悪くないか。
うん、悪くない。