前の駅は、「厄神」(まるで厄病神の駅)だけど、次は、「神野(かんの)」。
野原を開拓して、神社に寄進した土地に因み、地名となったそうです。それがそのまま駅名に。
次は、日岡駅です。隣の駅は、終点、加古川。
谷川駅から続いていた加古川線はここで終了します。
103系といっても、比較的新しい時期に製造されたので見た目は201系っぽいです。
国鉄時代、東京山手線も103系でした。国鉄時代末期に205系デビュー、2000年・・・今年は2025年なので、なんと25年前にE231系デビュー。2017(平成29)年に今の新しいE235系が出ると、E231系は引退してしまいました。103系が現役で活躍しているのは、今のところJR西日本とJR九州の筑肥線かな。
あおのがはら駅停車。
漢字にすると、「青野ケ原」。青ヶ島ファンの方がこの駅名を見たら、遠い青ヶ島に思いを馳せるかも知れません。青ヶ島に近い駅名は、福島県の磐越西線、安子ケ島(あこがしま)駅。Akogashima の kを取ってしまえば、アオガシマになります。
次は河合西駅。
粟生(あお)駅に接近。この電車は・・・!?と調べたら神戸電鉄。加古川をまわって神戸に行くよりも、この電車に乗替えれば神戸へのシートカットになります。
「あお」と書いて、漢字は「粟生」。神戸鉄道および北条鉄道への乗換駅です。北条鉄道はJR東日本の東北エリアで活躍したキハ40が活躍中です。粟生駅を出ると、次は小野町駅です。
クモハ103-3557ですが、3000番台は改造を施しているので、もとの製造番号はもっと少ない数字です。
これも今の時代にふさわしく、リニューアル。何も手を加えていないオリジナルだったら、もっと古めかしいはずです。
西脇市を出ると、次は「滝」駅。
次の駅も「滝野」駅。
こちらは山口県の山陰本線、「滝部」駅。今から35年前、 1990(平成2)年8月より新しく改札スタンパー導入。新品だからインクの乗りがよいです。
次は社町駅です。地球儀を模した駅舎が珍しいです。次は・・・あおのがはら駅。
新西脇駅停車。駅名に「新」が付くところは後からできた新幹線の駅に多いです。例えば、下関と新下関、山口と新山口(旧小郡)など。
ここはどのような経緯で「新西脇」という駅名をつけたのか、ちょっと不明です。
まもなく谷川発西脇市行きのワンマン電車の終点、西脇市駅に到着します。
西脇市から加古川までは都市圏なので、今では骨董レベルの国鉄103系が4連が運行中です。JR東日本ではもうすでに103系は消滅しているのに、ものを大切に長持ちさせるJR西日本はまだまだ現役。
まもなく日本へそ公園駅です。宗谷岬から佐多岬までの範囲なら、真ん中は群馬県渋川市あたりです。日本標準時の基準地、日本領土の端っこから端っこまでの真ん中は、このあたり。
日本へそ公園駅停車。
日本へそ公園駅は公園の敷地内にあり、美術館もあります。
田園風景を楽しみながら・・・
比延駅停車。
改札口もなく、筒抜けです。かつては大正13年に加古川線が開業した時の木造駅舎がずっと現役だったのですが、近年になって取り壊され、このような風景になっては寂しくなりました。
船町口駅停車。
船町口と聞いて・・・飯田線でもあったような気がすると、路線図を確認。1番上の辰野からなぞってみても、見つかりません。真ん中あたり?と必死に探しても見つからず。ネットで検索してみたら・・・
なんと、辰野あたりではなく、豊橋を出て、隣の駅でした。飯田線の新城駅あたりまでは豊橋市の都市圏なので、誰も見向きされない区間だけど、コア部分は秘境駅が続く、特急停車駅の水窪を出て、天竜峡あたりまで。その間の秘境駅マニアが降りてみたくなる、大嵐、小和田、中井侍、鴬巣、為栗、田本、金野、千代が続きます。
次は本黒田駅です。
これが駅舎なんですかっ!?本黒田駅の旧駅舎のことを調べてみたら、小さくて可愛い木造小屋でした。2020(令和2)年3月に旧駅舎を解体し、今の簡素な駅舎になりました。
次は、「黒田」続きの黒田庄駅です。
東北本線でも黒田原駅はあったはず・・・と探してみたら出てきました。
今は感熱紙だけど、当時は熱転写インクリボンで印字なので、30年経っても、きれいにくっきりです。永年保存もできそう。
池袋駅から湘南色(緑色とオレンジ色)の国鉄115系普通電車でひたすら、新幹線を使わず栃木県の那須塩原までだったのですが、もうあっという間に30年前。見た目がWindow 3.1っぽい、端末で発券。
きっぷの買い方は本州最西端で暮らしていた頃、JR西日本を利用するときはわざわざ関門トンネルを潜ってJR九州の駅で購入。JR九州を利用するときは、JR西日本の駅で購入。素直な買い方ではないので、都心のサラリーマン時代は東京駅の中にあった、本州のJR3社を利用するときはJR北海道プラザで購入。当時はいろんなJR北海道のオレンジカードも販売していたので、ついでに買ってしまうことが多いので、今もJR北海道の未使用オレンジカードを多量死蔵させたままです。
なるべくオレンジカードで最も高い区間のきっぷを買って、みどりの窓口で遠くの駅まで乗車変更すればいいのですが、現在は「みどりの窓口」が無くなる駅が増えつつ、ネットできっぷが買える時代なので、なかなか出番が・・・。
次は日本へそ公園駅に向かいます。
谷川駅は1899(明治32)年開業ですが、駅舎は1938(昭和13)年に改築されていますので、貫禄のある木造駅舎です。
こちらの黄色いラインは福知山線の駅名票です。38年前のJR西日本発足後は、どこに行ってもコーポレートカラーの青色でしたが、現在は路線ごとに色分けされています。色分けされていないところは、青色のままです。
こちらは加古川線の時刻表。1日9本(平日)、8本(土、休日)なんて非常に少なすぎます。運行系統は途中の西脇市で分かれていて、西脇市から加古川間は比較的本数が多いです。福知山線は「幹線」に属しますが、こちらは「地方交通線」。
左は1人席、右は2人席。
6月の終りなので、緑が映える梅雨真っ盛り中です。
久下村駅停車。ネットで「久下村 旧駅舎」で検索すると、現在の駅舎に変わる前の画像が見られます。1924(大正13)年建築のレトロっぽさ雰囲気が漂う駅舎だったというのに、老朽化に伴い、2018(平成30)年に現在のコンパクトな駅舎に建て替え。
広島の芸備線に、くむら、という駅名はあったはず。漢字変換すると「玖村駅」と出ます。今まで久村と思い違いしてしまいました・・・。
次は船町口に停まります。
そのまま福知山線を乗り通して神戸まで行けば、電車のスピードも速く予定より早く辿り着けます。加古川線経由で神戸だと、福知山線経由よりおよそ10キロ短くなりますが、加古川線の電車はそんなにスピードが出ないので、かなり時間がかかります。
経由通りに谷川で途中下車。
ここは兵庫県丹波市内にあります。
加古川線はホームのはずれにありました。
新しい電車かなと思いましたが・・・加古川線が電化されたのは2004(平成16)年からなので、その頃に製造されたものです。
電化されたというのに、福知山線との接続は全く考慮に入れず、発車時間まで時間を持て余してしまいました。
山陽本線の加古川駅から続く鉄路はここで行き止まり。
のどかな田舎の駅なんですが・・・
みどりの窓口はあります。うちの最寄りのJR駅の窓口にも端末が欲しいのに、ないんです。のどかな田舎の駅にあって、都会の駅にないのはおかしな話だと思います。
次は黒井駅停車。新潟県の信越本線にも全く同じ駅名がありますので、乗車券の印字面ではこちらは(福)黒井、新潟県は(信)黒井で区別。山口県下関市の山陰本線でも「黒井村」駅があります。1914(大正3)年開業当時は「豊浦郡黒井村」だったので、村名をそのまま駅名にしたとのこと。
有人駅だった頃は、オフラインのPOS端末設置駅だったのですが、2024(令和6)年3月から無人駅化に伴い、オンラインの「みどりの券売機」設置。
次は、石生と書いて、「いそう」。ちょっと難読駅ですが、高山本線の上麻生駅も「かみあそう」。
無人駅ですが、簡易のイコカ対応改札機があります。
まもなく柏原駅です。
柏原(かいばら)駅ですが・・・全国で漢字は同じ駅名が3つもあります。
兵庫県福知山線 (福)柏原駅 かいばら
大阪府関西本線 (関)柏原駅 かしわら
滋賀県東海峰本線(東)柏原駅 かしわばら
福知山駅までは「山陰」、福知山駅からは福知山線なので、券面表示は略して「福知」と印字。
福知山線は新しいほうの、225系で運用。新しいほう、と書いてしまいましたが、2010(平成22)年デビューなので、計算してみたら早くも、もう15年前。
福知山発篠山口行き。
あちらは山陰本線の線路です。こちらは福知山線。
福知山駅周辺は都会的な風景なのに、1つ隣の駅ではこのような風景。丹波竹田駅。
年季の入っているホームの待合小屋。
次は市島駅。同じ駅名が群馬県の吾妻線にあったような?と調べてみたら、吾妻線のは「市城」駅。
駅舎の大きさからにすると、昔は有人駅。改札ラッチを撤去し、その代りとなる簡易ICOCAがぽつりと立っています。
改札ラッチの跡地がわからないほどです。次は黑井駅。
しばらくしたら、JR山陰本線と平行する線路が見えるようになります。この路線は京都丹後鉄道線の宮福線。
京都丹後鉄道は「丹鉄」と呼ばれています。もともとJR西日本の路線だったのは、宮舞線(宮津~鶴舞)、宮豊線(宮津~豊岡)・
福知山市の市街地が見えてきたら、終点、福知山駅。国鉄時代、門司発福知山行きの長距離鈍行列車の824列車が有名です。門司駅を5時22分に発車して、福知山駅には23時52分に到着。
要所時間18時間30分。門司から下関までは関門トンネルなので、塩害防止のためステンレス製のEF30の電気機関車が旧型客車を牽引。下関に到着すると、ディーゼル機関車のDD51に付け替えてずっと同じ機関車で福知山に向かうわけではなく、途中の何カ所でDD51の交換が行われていました。
福山駅到着。
福知山駅は自動改札化されています。
有人通路で途中下車印の押印を求めたら、自動改札機を通せば印字できるので・・・と案内されました。試しに自動改札機に挿入すると「福知山」と印字されていました。JR西日本の最新型自動改札機では途中下車が認められる乗車券に駅名を刻印できるシステムのようです。
みどりの窓口。
話せるみどりの券売機。カメラに伝えたい内容を書いたメモを置けば、オペレーターさんは音声ではなく、券売機真上に文字が表示されます。字幕を見て、カメラの写る台に返答する内容のメモを置く形でコミュニケーション成立。
京都府の田舎風景を楽しみながら・・・
下夜久野駅に停車。
前の駅は、上夜久野駅なので、こちらは「下」(しも)なんですね。
停車時間が長かったので、スマホで確認すると数分停車するとわかり、ホームへ。
次は、上川口駅です。
無人駅のはずだけど、駅員さん!?NPO法人などの団体に委託するところもあるので、受託者がきっぷ収受やホームの安全確認などを行っています。
下りは2番線。年季の入った待合小屋がぽつりと建っています。
川口の本家は埼玉県の東北本線。京浜東北線の電車も停まりますが、「京浜東北線」は正式名称ではなく、埼玉県の大宮から東京を経て神奈川県の大船までなので、便器的な呼称。大宮から東京までが東北本線、東京から大船までは東海道本線。西川口駅もあって、新潟県の上越線にも越後川口駅があります。
あるいは、上川の本家は北海道の石北本線にあります。「上川」に「口」を添えると、上川の入口のようなもの。
ちょっとずれてしまいますが、岐阜県の高山本線にも「白川口」駅があります。白川郷、五箇山の合掌造りの集落、白川郷のの入口かと思いましたが、グーグルマップで確認するとどちらも遠く離れており、白川口は白川郷とは無関係でした。次は終点、福知山駅です。
まもなく梁瀬駅です。古めかしい駅舎なので、思わず撮影。
あとで調べてみたら、1910(明治43)年に駅舎建築、1911(明治44)年に開業。114年前の建物を現役で使われています。
梁瀬駅までは兵庫県、次の駅から京都府に入ります。
半年前だけど、6月30日の風景。1年の中で1番好きな季節は夏。冬は苦手です。
昭和の国鉄を思い出せるような風景。国鉄電車の115系ですが、キハ40や47も115系をベースに製造。
京都に入って最初の駅、上夜久野駅に接近。
やぶ駅停車。この文字を見て、漢字は「藪」になるんじゃないかな?
「やぶ」と書いて、「養父」。あまりピンと来ませんが、兵庫県養父市内にありました。養父市の中心駅は、となりの「八鹿(ようか)駅です。
初夏の田舎風景を堪能中。
今は12月だけど、半年前の写真なので、「みどり」がたくさん生い茂っています。
和田山駅停車。こちらは、なかなか読めないんですけど、兵庫県朝来市の中心駅です。朝来と書いて、「あさご」と読みます。
播但線のキハ40が待機中。山口県の山陰本線でも走っている懐かしい国鉄のディーゼルカーなので、おもわずそっちに乗り替えたくなってしまいます。
経由が・・・
山陰・福知・加古・山陽となっているので、播但線のキハ40に乗ってしまうと経路外乗車になり、別途料金がかかってしまいます。ということで、そのまま福知山へ。
(※ 福知は「福知山」、加古は「加古川線」を短くしたもの)
玄武洞を出ると次は豊岡に停まります。兵庫県豊岡市の中心駅です。
城崎温泉駅も、同じく豊岡市内です。駅の利用者数を調べてみたら、豊岡駅のほうが利用者が多い。私は観光地の城崎温泉駅が多いかなと思っていましたが・・・。
国府駅停車。JR東海でも国府に旧国名を冠した「飛騨国府」駅があります。飛騨国府を出ると、となりは上枝(ほずえ)駅。この駅名はかなり難読駅です。詐欺師?犯罪者がタクシーに「うええだえき まで配車して欲しい」と電話があり、タクシー会社は上枝(ほずえ)をうええだと読むとは犯罪の匂いがすると警察に連絡。上枝駅で待ち構えていた警察官が詐欺師を逮捕したというエピソードも有名です。
次は八鹿駅です。「ようか」ち聞いて漢字は「八鹿」とは一発で書けないかも。数分間停車するとアナウンスがあったので、スマホで発車時刻を再度確認。アナウンスの音声を見える文字化にしたものと、スマホで調べた発車時刻と一致していれば安心。
今から3,40年くらい前だったら、この光景は日常茶飯事だったというのに今は稀少となっています。
クモハ113。「ク」は運転席付き、「モ」は駆動モーター付き、「ハ」は普通車。
5309となっていますが、車歴は1977(昭和52)年にモハ113 337としてデビュー。駆動モータ-のみだったのに、後から運転席を取り付ける改造をしたので、改番した経緯をもっています。
こちらも、クモハ112-5309となっていますが、もともとはモハ112 337。国鉄時代は長編成が基本なので、編成の中間に「モハ」を組み込まれていましたが、現在は2両または4両編成などの短編成がほとんどなので、新たに運転席を設けるなどの改造を進めていった結果だと思います。
今の新しい電車は洋式がほとんどだけど、国鉄時代はこのような和式が標準仕様。山陰本線で活躍していたレッドトレインのオハ50系も同じような水洗式でした。レッドトレインの前は戦前タイプのオハフ33やスハ42の旧型客車だと、水洗式ではなくぼっとん式。穴をのぞくと、下のバラスト(線路に敷かれた砕石)が見えました。つまり、線路に垂れ流しの状態です。
保線作業員が見たくもないものを見てしまっては不快になるので、昭和50年代以降に製造された車両に汚物タンクを取り付けられるようになりました。