神津島は去年(2011年)の夏、お世話になりました~!!神津島滞在中に大きな地震が起きるかも知れない。津波が来ても困らないように高台の宿を予約。
2011年8月1日23時58分頃、駿河湾を震源とする大きな地震発生!!震度4なので、熟睡中でも目覚めてしまいました。私は地震を予知できる能力は皆無だというのに、なぜか滞在中に大きな地震が起きるという予感が的中。
今年になって、地震研究者が発表した内容によりますと、伊豆諸島で地震が起きると15~20メートル級の津波が襲う可能性が出ています。
1番安全なのは、利島、御蔵島、青ヶ島かな。15~20メートルの波だとすると、港はもう海の中だけど、海抜100メートル以上の集落は津波が来ない安全地帯になります。
海岸沿いで海抜の低いところが宿泊地なら、ハザードマップなどで高台への避難通路を確認されるのをお勧めします。
すっかり話をそらしてしまいました。神津島太鼓の様子を録画しましたので、アップします。
水配り像の近くに「パチンコ」の文字が見えました。
都会のパチンコ屋さんだと、華々しい装飾になっていますが、神津島はひっそりしています。
神津島でもパチンコ屋があったのですかっ!と興味津々。
中に入ってみると、ビックリ!内地とほとんど変わりはありませんでした。
同じフロア内にパチスロコーナー。 お洒落なカウンター。
カウンター真後ろの景品は、出玉の数に応じてもらえるのですが、ほとんど現金が欲しいからと現金引換用の景品を受け取ります。
1990年代の後半・・・・何もない漁村から初めて大都会の東京に移住。当時の友人に勧められ、あまり乗り気でないままパチンコ屋へ。
初めてのパチンコは「フィーバーパワフルⅢ」という機種でした。投資額は500円。
すると、7,7・・・のリーチ。まさかの「777」、フィーバー!!
1箱分の玉が出終わっても、連ジャン。4、5箱は出てきて、換金すると約2万5千円。
500円が万札に化けてしまうなんて、美味しい話だとあれ以来からパチンコに没頭しすぎてしまい、気が付けば、万単位で負けてしまうのも、しょっちゅう。財布の中を全部スッカランにして、心も身もボロボロ・・・という日もほとんど。
パチンコに投資した時点で負けている。結論から言うと、最終的にパチンコ屋がもうかる、カラクリになっている。
福沢諭吉さんを100枚以上貢いでしまった時点でパチンコはバカバカらしいと思うようになり、スパッとやめてしまいました。
当時の銀行通帳を広げてみると、収支がめくちゃくちゃ。同じ日にATMで何回も引き落とした記録あり。「もっと引き出せ!もっと負けろ!」と煽るかように、パチンコ屋のとなりに無人ATM。負けた腹いせで何とかして取り戻してやる!とさらに投資する行動が目に見えてくる。今思い起こせば、もったいないことをしたな、と。
当時、福沢諭吉さんを何枚か貢いでしまった人生初のパチンコ動画を少し紹介。(ユーチューブより)
7,7のリーチが何回も出て来る絵柄なので、今にでも当たりそうだと倒錯的な快楽に陥ってしまいます。
神津島の夏祭りはちょうど滞在中の8月1日~2日、行われました。
会場は物忌奈命神社、昼間は神輿を担ぎながら村落を練り歩きます。
神津島村の魚はカジキなので、大きなカジキを担いでいますね。
物忌奈命神社で夜の出店があったみたいですが・・・・
私たちの泊まったところは、天上山のふもとなので、会場まで行くのに徒歩3、40分かかりそう。クルマで行けばあっという間ですけど、全員ビールやお酒を飲んでしまったため、誰も運転できる人がいない。
宿でまったりしてしまいました。青ヶ島の牛祭りは毎年8月10日、会場は村役場真向いの青ヶ島小中学校体育館前の広場。どの民宿(アジサイ荘、あおがしま屋、杉の沢荘、マツミ荘、中里荘、やよい荘)から歩いて行ける距離なので、夜でもお酒を飲んでも安心。祭りのどんちゃん騒ぎに参加できます。
「神津島の水配り像」は「水」を象徴しているので、担ぎながら水しぶきがかかっているようです。
「・・・ようです」という言葉は、あくまでも私の憶測です。
神津島の「水資源」がたっぷりあるので、消防用の水栓にホースをつなぎ、放水中。
ジュリア十字架からの帰り・・・・。
神津島の道は本道を除き、ほとんど狭い道ばかりです。
クルマが1台通れるほどの道幅なので、常に対向車に気を付けていました。
すると、猛スピードの軽トラックがこっちに向かって来るのに気づき、急ブレーキ。
軽トラに乗っていたおっさんは「うわわわわーっ!!」とオーバーリアクションをしながら、ハンドルを急に切ってしまったため、とんでもない方向に。
こっちはあらかじめ来るのをキャッチしていたため、そんなにビックりしていませんが、軽トラは思わずぶつかる~!!とかなりビックリしていたらしい。
島の道といっても、あなどれず。気をつけたまえ!!!
急ブレーキをかけたとはいえ、全員シートベルトをしていたため、無事でした。
今度は向かう途中に見つけた「ティースペース だいじんこ この先突き当り」の看板が気にになったので、行ってみることにしました。
「誰にも邪魔されない大切な時をゆっくりとお過ごし下さい。日頃の喧騒さを忘れさせるために静かな環境を提供しております。そのため、お子様連れの方はご遠慮いただいております」という看板が立っていました。
かなりお洒落なハウスに、前浜を見下ろせる喫茶スペースになっていました。
「すみません、1歳の子供もいるのですが、大丈夫ですか?」
「申し訳ございません、ここではご遠慮いただいています」
屋外なら大丈夫とのことなので、前浜を見下ろせる特上席にしました。
オーナーが気遣って、蚊取り線香と扇風機を用意してくれました。 私はガイド役兼運転手なので、アルコールではなくケーキセットをオーダー。
絶景を眺めながらのケーキはとても美味しかったです
神津島の南部に大きな十字架が架けられています。
ジュリア・オタアについては、郷土資料館にも展示されていましたが、豊臣秀吉による朝鮮半島侵略戦争(1592年)で朝鮮半島北部(今の北朝鮮)から日本に連れてこられた朝鮮人の娘。
徳川家康の侍女として仕え、1日の最後に聖書を読み、徳川家康をはじめ、ほかの侍女たちにもキリスト教を広める福音活動を行いました。
ところが・・・徳川家康は1612年、キリスト教禁止令が出されます。
ジュリアにキリストの信仰を捨てるようにと勧めましたが、「地球創造主、唯一の神(??? ハナニム)を捨てるなら死を選びます」。
逆鱗に触れた徳川家康は流罪だと命じ、島へ流されてしまいました。
伊豆大島、新島を経て、最後は神津島だと言われています。
十字架近くの「ありま展望台」からの眺め。
神津島2日目の夕食です。
宿の女将さんに「おつゆは今お持ちしますか?」と筆談で聞かれました。
「すいません、おつゆって何ですか?」
「吸い物です」
神津島って、吸い物を「おつゆ」って言うんですか?内地では聞かない言葉なので、島言葉??
ネットで調べてみたら、「おつゆ」は北海道、青森の下北弁らしい??
もしかすると、北海道または青森から神津島に移住??うーん? 運ばれてきたのは・・・目を丸くしてしまいました。
あんまり見かけないモノです。
そのまま食べるにしても、硬すぎます。
どうやって食べるんですかねぇ??
この具材の名前とかの説明も欲しがった。
「まあ、硬いモノのダシが効いているので、汁とまわりにある海草を食べればよいかも?」
神津島の夜が更け、8月1日の23時58分。
神津島に震度4の大きな地震襲う!!
横になってテレビを見ながら、うたた寝していたら、いきなり体が上下に揺らされ、一気に目が覚めてしまいました。
「かなり大きな地震だったな?神津島でこの揺れだとすると、東北・関東地方で激震??」と頭をよぎってしまいました。
震源地は、静岡県の駿河湾。東伊豆町震度5・・・・神津島、震度4とテレビのテロップ。
神津島は東京都なのに、「静岡テレビニュース」と出ていましたので、神津島は静岡から受信しているようです。
神津島に出発する当日の朝、7月31日午前3時53分も福島県を震源地とする大きな揺れがあったばかり。
日本は地震列島と言われているとおり、日頃から常に地震を意識しなくてはなりません。
秀蒼さんに宿泊予約をしたとき、「天上山のふもとにあり、中心地からかなり離れている」と書かれていました。「神津島に旅行中、万が一大きな地震があっても、この宿なら津波の心配はなさそう」。まさか、島に滞在中地震が起きるという予感が的中。
翌朝の朝ごはん。
甚平姿のおのっち、すごくお似合いで~す!!
ベビちゃんも、すごくもりもり食べていましたねぇ~!!
この調子で大きくなれ~!
赤崎遊歩道に向かう途中、右手に青い海に向かうトロッコ遺跡が見えます。
私は観光ガイド役なので、きちんとクルマを止め、「神津島の自然石を船に運搬するための施設跡です」とガイドすべきなのに、赤崎に行きたさでスルーしてしまいました。
神津島名物の「ジャンプ台」。
そこからエメラルドグリーンの海に飛び降りるわけなんです!!
13年前、いきなりの思いつきで神津島にやってきて、レンタバイクで道の続く限り北に向かっていたら、そこにたどり着きました。
面白そうだな~と臆せず、飛び降りたというのに、歳を取るとかなり恐怖感が・・・。
友人のおのっちは、「ちょっと怖いな~」とちょっとつぶやき。しばらく躊躇して、決心したかように、飛び降りてしまったのさ!
今度はおのっちの奥さんも、飛び降りようとしたら「うわっ、怖い!」と足がすくんでしまいましたが、その数秒後、きれいにジャンプ。
「うわわわーっ!!女性だというのに、勇気あるなぁ!!」と目を丸くしてしまいました。
2人が口揃え(ここでは手話)、「2人とも飛び降りたんだから、今度はあんたの番よ!!」と。
13年前だったらできたはずなんだけど、今は出来ないんだよ!と断ってしまいました。
何ででしょうかね??歳を取ると人が変わるんですかねぇ・・・??
そのくせ、青ヶ島の三宝港からはトボンと飛び降りれるのに、神津島は出来ないなんて、そんなのあり!? おのっち夫婦が海に行っている間、子守りは私がやりましたが、ママが恋しくて泣きっぱなし。途方にくれていると、助け舟が!!
同じ宿に泊まっていた、お母さんと息子さんも、ベビちゃんが大変お気に入り。宿でもよく遊び相手にしてくれました。
ベビちゃんを抱きかかえ、「ほら、ママ見えるんでしょ?」「今から飛び降りるんですよ!」と声をかけながら、ママの見えるところに向ける。
すると、泣き止み、視線はママへ。
ママがジャンプし、姿が見えなくなると、また泣いてしまいました。
「ほらほら!ママが戻ってきたんですよ~!!」。
同じ宿だというだけで、仲良くなれてよかったです。子守り、ありがとうございます。
赤崎遊歩道の動画を少しアップします。後半は水中モードで撮影してしまったため、少し赤みががかっています。
天上山の山頂付近に雲が覆われていました。
今の季節だと、登山はお勧めしないと言われた理由がわかりました。
標高は574メートルなので、天気がよく空気が澄んでいれば、房総半島、伊豆半島、しかも富士山まで見えるそうです。
山歩きには4月から梅雨入りまで、暑さが和らぐ秋あたりがお勧めとのこと。
小笠原の母島、乳房山は462.6メートル、小笠原諸島の中で1番高い山とされています。
午前中に登山、ランチタイムは山頂で小笠原の塩で作ったおにぎり、午後下山なので、ゆっくり母島の自然を楽しむなら、要所時間は6時間くらいかな。
乳房山はほとんどジャングルのような山道なので、暑い季節でも問題なく登れます。
(ただし、1人あたり2リットルくらいの水が必要です)
神津島空港の駐車場にあった、「神津島」の由来になる「神集島」。
伊豆七島なので、7人の神様ですね。
式根島と青ヶ島を含めていれば、9人。 新中央航空株式会社の19人乗り飛行機。
調布飛行場から就航地は大島、新島、神津島。
夏季の多客期は1日4便も発着。
東邦航空のヘリコプターも、羽田発着の空港を抱えている大きな島(大島、三宅島、八丈島)と船の就航率が大変難しい離れ小島(利島、御蔵島、青ヶ島)を結んでいます。
しかし、私は空の旅で早く島に着くよりも、船でのんびり島旅を楽しむタイプかな。
ちょっと雲行きが怪しくなってしまいましたが、灯台まで行ってみました。
、ちょうど今から半世紀前の1951(昭和26年)建立。海抜102mの崖上に高さ12m、25万燭光で照らしています。
灯台からの眺めは青ヶ島を彷彿させるほど。
神津島だというのに、もっと遠くの青ヶ島に思いを馳せるなんて!? 夕食は必ずボリュームたっぷりの魚料理が出るので、ランチは中華にしようということになりました。
「カツ丼」、「親子丼」、「カントンメン」、野菜たっぷりの「タンタンメン」。
お店のメニューはなぜか、カタカナで書かれていました。
友人A:「カントンメンって何だろう?」
友人B:「中国の”広い”と”東”、その組み合わせでカントン」
友人A:「なるほど、こってり系のスープなんだよね」
広東麺はこってり系のはず、なぜか美味しくてあっさりしていました。(写真は写っていなくてごめんなさい)
3、4人集まれば、それぞれ違う料理を注文し、分け合いながら違う味を味わえるので、満腹になってしまいます。
神津島は幹線道路(都道224号線=「神津本道」と呼ばれている)以外は、急な坂道の狭い道がほとんどになっています。
伊豆諸島、小笠原では「これでも天下の東京都が管理する道なのか!?」とビックリさせられるのですが、神津本道の道幅は広いです。
狭い道はほとんど「村道」に指定されているようですね。 今度は郷土博物館へ。
手話で陰口。「郷土博物館に行ったって、つまらないかもな~」。
地獄耳ならぬ、地獄「目」。
「えっ!?何がつまらないの!?」
エアコンが効いているので、ちょっとした避暑地になりそうです。
大正14年の神津島郵便局。
右は昭和38年の神津島郵便局。
ということは、今の郵便局舎は3代目かな。
もっとすごいのは青ヶ島。昭和30年代、船が来るのは年に4回程度。
大型客船から小さな船に乗り継ぐ、はしけ作業が成功すると、真っ先に下されるのは郵便物の入った郵袋。
電話もなく、郵便が何よりも楽しみでした。その場で開封し、返信の手紙をしたためる。
今来たばかりの船に託しておかないと、返信は3、4ヶ月後になってしまう。
その頃の青ヶ島における通信手段は命がけだったそうです。
ランチタイムまで時間がありそうなので、神津島の南部を回ることになり、特におすすめスポットは三浦湾展望台。
今日は残念ながら少し霧がかかっていました。
霧が取れていれば、そのような絶景を独り占めできるかも・・・?(笑)
神津島の続きはまだまだあります。
旅館「秀蒼」の部屋からの眺めです。
天上山に近いせいか、夜は寒くなってしまうほど涼しい。
秀蒼さんの朝ごはん。
旅人のために朝早く起床し、何品か作るのは大変かと思います。
とても美味しかったです。ごちそうさま。 2日目朝一の目的地は郵便局。
旅先に訪ねると、その土地の郵便局から手紙やハガキを出すようにしているので、私の趣味につきあわされてしまった、友人よ、ごめんなさいね・・・。
去年は青ヶ島郵便局、2年前は母島簡易郵便局と小笠原郵便局、3年前は御蔵島郵便局、4年前も青ヶ島。
島の郵便局にしては、新しくて立派な局舎になっています。
新東京支店神津島集配センター。
このポストに投函すると、消印は「新東京」。
伊豆諸島全地域と小笠原のポストに投函すると、必ず「新東京」。
「新東京」の消印は、江東区の新東京支店で差し出したものと同じなので、どこで差し出されたのか区別できません。
江東区の新東京支店で押された消印ですが・・・・
小笠原や青ヶ島でも同じ消印が使われています。
友人が神津島郵便局の様子をパチパチ撮っていました。
それを見た私が「おおー、気づかなかったアングル」と、この構図を撮ってしまいました。
神津島郵便局の看板にひまわり。いかにも夏らしい風景。
偶然、郵便屋さんのバイクが通りかかったのをパチリ。
目隠しがなければ、いい絵になっていたはず。残念。 郵便に興味なさそうな友人も「かもめーる」を購入し、局舎内で神津島からの暑中見舞いを書いていました。
インターネットや電子メールの時代、手書きのハガキは届いた相手に喜ばれると思います。
そのかもめーるを窓口に差し出し、ちゃっかり神津島の風景印が押されたのを見届け、局舎を立ち去りました。
神津島郵便局の皆さん、ありがとうございます!!
今回泊まった宿は、天上山ふもとの離れ一軒家「秀蒼」さん。
楽天トラベルから予約を入れさせていただきましたが、★が4個ついていましたので、迷わず選んでしまいました。
旅館と銘打っていますが、島のアットホームな雰囲気が漂います。 角部屋の広いところに案内されました。
テレビはもちろん、地上デジタルで字幕も出ます。
ところが・・・私の部屋に置かれてあった、テレビはなかなか映りません。
友人いわく「アナログだと映るけど、地デジは映らないみたい」とのこと。
アナログは7月24日で終了してしまったはずなのに、神津島では暫定措置としてまだアナログ?首をかしげてしまいました。
宿の人に「テレビがなかなか映らないみたいです」と伝えると、テレビまるごと交換してくれました。今度はアナログのブラウン管テレビ、地上デジタルは映るのに、リモコンは「字幕」がついていない。
ここで見るのはあきらめ、字幕付きの地デジが映る友人の部屋で視聴。
テレビを交換するのに、莫大な費用がかかるからと、見たことのないブランドの海外製テレビでした。せっかくの液晶テレビだというのに、映らない欠陥品あり。
国産のテレビにすれば、安物買いの銭失いにならなかったはずなんですよ~!!
楽しみにしていた、夕食です。
神津島では金目鯛が豊漁のようなので、夕食は「金目鯛尽し」が出ました!!
動画を少し編集。
宿の部屋で語らいながら飲もうということになり、酒屋に行ってみたら・・・・
すごく目を丸くしてしまいました。
「ここは神津島だというのに、青ヶ島があるんですよ!!」
以前、友人にあおちゅうをプレゼントしたことがあるので、「これは・・・うーん、すごくきついお酒ですな。神津島に来たのなら、神津島の酒!」と「若盛」をセレクト。
青ヶ島はすごくきつい焼酎であることは認めますが、サイダー、ソーダ、100%のオレンジジュースなどで何かで割ると美味しく飲められます。
「若盛」の原料は、「麦」でした。青ヶ島はカンモ(サツマイモ)。
友人いわく「青ヶ島のあおちゅうって4種類もあるの!?」とビックリしていたみたいですが、原料は同じカンモ(さつまいも)でも、杜氏(とうじ=お酒を造る人)によっては微妙に味が異なるので、異なったラベルで出しているようです。
その友人は青ヶ島にちょっぴり興味ありそうだな??今度いつか連れてあげましょう。
でも、初めての青ヶ島は過酷な秘境っぷりにカルチャーショックを受けるかも?(笑)
7月31日午後6時前の前浜。
今日は雲がかかっているので、しばらく待っても水平線に沈む太陽の姿は見えないかも・・・。
宿の夕食時間は6時半からなので、その時間に間に合うようにしてしまいました。 神津島のメインストリート付近の「水配り像」。
昔々、伊豆諸島の島々をつくったとき、神が集まって島づくりの相談をしたのが、この神津島(昔は「神集島」)だったという伝説があります。
天上山の不入ガ沢(はいらないがさわ)というところで、水の配分について会議が行われました。しかし、なかなか話がまとまらなかったので、
「翌日、真っ先に来た者から水の配分を行う」ということになりました。
(不入ガ沢はその名の通り、立入禁止の神聖な場所になっています)
真っ先に訪ねてきたのは、御蔵島の神様。水の配分を多く受けたため、今の御蔵島は水道の蛇口をひねるだけでミネラルウォーター。日本一贅沢な水道水になっています。 横たわっているのは、利島の神様。
朝寝坊し、ほとんど水が残っていませんでした。
怒ったその神様が暴れたため、神津島のいたるところに湧水がたくさん出るようになったとか・・・。
上の神様は神津島、5体の神様は伊豆大島、新島、三宅島、御蔵島、八丈島。気持ちよさそうに寝ている神様は利島。
式根島は、もともと新島の一部でしたので、伊豆七島には含まれていません。
青ヶ島は、この中に含まれず、とても残念。 今年の暑中見舞いは、神津島から出しました。
神津島の図案は、さきほど説明したとおり、水配り像になっています。
背後に見える山は「天上山」。
花は、「ツツジ」。 母島簡易郵便局、小笠原郵便局は、「おがさわら丸」の出航時間に間に合うように出せば、関東圏は翌々日(母島からは最短で関東圏まで3日、九州・北海道宛は4日)
青ヶ島郵便局はヘリコプターが着陸する1時間くらい前(つまり、午前8時から9時の間)に出せば、関東圏は翌日、九州宛は翌々日。
神津島郵便局はその日引き受けた郵便物は、翌日の9時30分に出航する「さるびあ丸」に積むので、関東圏宛は翌々日。九州宛は、3日後。
神津島から青ヶ島宛は東京を経由し、4日後の8月5日に配達されたようです。
ヘリや航空機を使う青ヶ島のほうが速いということがわかりました。(ただし、はがき、手紙、レターパックなどの比較的軽い郵便物のみ。重たいゆうパックは船便になります)
神津島郵便局のポスト型はがき。
多幸湾海水浴場の次は北部の赤崎遊歩道・・・と思いきや、もう夕方の4時になってしまいました。
海水浴に来たばかりかと思ったら、もうこんな時間!?
赤崎は翌日にまわし、神津島温泉保養センターで温泉。
ここに来るのは13年ぶり、前回来たのはレンタバイク。今回はレンタカー。
道は全然変わらないはずなのに、道を忘れるなんてそんなのあり!?と自分に言い聞かせながら無事にたどり着きました。
屋外のプールのような露天風呂は太平洋の大海原を眺めながら、の~んびりお湯につかることもできます。
源泉は57度のナトリウム塩化物強塩泉なので、しょっぱいお湯になっています。
友人に「伊豆諸島のなかで温泉のない島は?」と聞かれてしまいました。
「利島、御蔵島、小笠原の父島と母島。ただし、小笠原の硫黄島は温泉あり」
「最果て地の青ヶ島も温泉あるの!?」
「もちろん。ふれあいサウナですね」
伊豆大島は三原山観光ホテル、元町近くの御神火温泉と元町浜の湯。
新島は24時間無料で入れる、湯の浜露天風呂。
式根島は地蛇(じなた)温泉。海岸沿いの露天温泉なので、無料で入れます。
シャンプーとシャワーが使える「憩いの家」があります。
三宅島は「ふるさとの湯」(2000年の噴火直前に訪問)
八丈島は島内あらゆるところに温泉がいっぱい!
青ヶ島はひんぎゃ(地熱)を利用した「ふれあいサウナ」。
伊豆諸島はもちろん火山の噴火でできた島なので、温泉が湧いています。
ところが、利島と御蔵島は温泉がないのは不思議。
神津島に来る前の天気予報では「曇り時々雨。降水確率50%」と出ていたのに、全然雨降らず。よいお天気に恵まれてしまいました。