1月31日水曜日。本日のあおがしま丸は通常とおり就航が決定されました。1月だというのに3日連続で船が動きます。明日から2月に入りますが、この調子でほぼ毎日就航できればと思います。
国鉄時代末期にデビューした初代0系の後継となった、100系。シャープなフロントマスクが特徴です。2階建てや個室を備えた車両を組み込み、当時食堂車も連結。
停車駅の手前10キロあたりから「〇〇駅まであと〇Km」とデジタル数字で表示できる機器も取り付けられたような記憶があります。
子どもの頃飽きるほど乗車した客車の先頭はこの機関車。山陰本線は非電化区間なので、DD51ディーゼル機関車。1992(平成4)年、山陰本線におけるDD51牽引の客車は全滅してしまいました。あれからもう31年前になるんですかね。
JR北海道では2016(平成28)年・・・今年36年なので、あっという間にもう8年前。北海道新幹線が開業する前までは函館から札幌間を走る急北斗星、カシオペア、トワイライトエクスプレス、急行はまなす号の牽引機関車もこのDD51でした。列車種別が「特急」のときは、特急らしくスピード走行を要すため2両連結してフル駆動。急行「はなます」は1両のみ。
機関車の下に潜ってみます。
ディーゼルエンジンの駆動力を伝達して回転する装置のようです。
自動ドアではなく、手動扉の客車、オハ46。
1955(昭和30)年製造。現在も、この車両に乗れるところは大井川鉄道です。この客車に乗るとしたら、子どものとき以来なので、ン何十年ぶりになります。
国電101系。昭和時代の山手線も同じタイプでした。国鉄が民営化になる2年前の1985(昭和60)年に国鉄初のステンレス車両の205系デビュー。2002(平成14)年頃、E231系。2015(平成27)年に今のE235系に引き継がれました。新しく出たばかりかと思ったら、もう9年前!?
1月30日火曜日。本日の「あおがしま丸」は通常通り就航です。1月に「条件付き」を付かずに出航するのはちょっと珍しいです。ちなみに昨日の条件付き出航は無事に着岸できました。
敦賀から金沢間で新幹線駅ができるのは・・・
敦賀
越前たけふ(新幹線単独駅)
福井
芦原温泉(読みは「あわらおんせん」)
加賀温泉
小松
金沢
新規開業区間は 敦賀から金沢まで125.1キロ
武生駅停車。3月16日からJR西日本からハピラインふくい鉄道に移管。新幹線は、ここから3キロ離れたところに「越前たけふ」駅開業。ここはもともと武生(たけふ)市の中心駅ですが、現在は、平成の大合併により今立町と合併し、越前市。新しくできる新幹線の駅名は市名を冠して、「たけふ」となりました。
武生駅を出ると次は鯖江駅停車。ここでも鯖江市の中心駅です。鯖江と聞いただけで年齢をごまかす「サバを読む」を連想。
武生駅、鯖江駅どちらも、2024年1月29日現在「みどりの窓口」あり。3月16日からハピラインふくい鉄道に移管後はみどりの窓口はどうするのか。第三セクターに移管しても、マルス端末を残してJRのきっぷを売っているところもありますが、支払いはクレジットカードが使えず現金のみとか、ネットで予約したきっぷの受け取りができないなどの様々な制約がつきます。
次は福井駅に停まります。白いのお父さん犬のコマーシャルに「一乗谷」という地名が出ました。調べて見たら、福井駅周辺の北陸本線から離れた山間の中なので、「一乗谷」はあの山をこえたところにあるんじゃないかな。
お父さん犬の犬種は北海道犬。生まれは日高本線の終点、鵡川(むかわ)というところです。テレビのコマーシャルではお父さん犬の実家は福井県の「一乗谷」という設定になっています。
1月29日月曜日。怒濤の1月がまもなく終わります。本日のあおがしま丸は、条件付き出航が決定されました。無事に入港できていれば、10日ぶりです。
東海道新幹線開業前の東京と大阪を結ぶ、特急こだま号。国鉄151系が使われていました。1958(昭和33)年11月デビュー時は6時間50分。2年後の1960(昭和35)年に若干のスピードアップし、6時間30分。その4年後の1964(昭和39)年10月に東海道新幹線開業。6時間30分から4時間に短縮。
新幹線「こだま」名称札。開業当時の0系行き先サボに差し込んで使っていたみたいです。60年後の今はわざわざ手作業で差し込まなくてもフルカラーのLED表示。のぞみは黄色、ひかりは赤色、こだまは青色で区別。
151系の普通席。すべて灰皿付き。東京から大阪まで6時間以上もあるので、ひっきりなく紫煙をくゆらせていたかも知れません。車内の空気は猛烈のタバコの刺激臭が立ち込めていたかも。しかも座席は今のように独立したものではなく、2人で1脚。
このエアコンに見覚えあり。国鉄時代の特急「にちりん」の天井にあったものと同じタイプです。東芝の旧ロゴマークの傘マークがついていました。全車両喫煙車なので、吹き出し口の冷風とともにタバコのヤニ臭さっぽさが・・・。当時の日本専売公社はたばこを売れば売るほど税収増益につながるので、税収で賄う日本国有鉄道に「禁煙」は到底無理な話だったかも知れませんが、今だったら考えられないような世界。
座席をコンピュータで管理できるようになったのは東海道新幹線開業1年後の1965(昭和40)年まで。開業から1年間はこの硬券で対応。
東京駅窓口。硬券のきっぷ収納箱に囲まれたところです。お客さんから行き先及び希望する新幹線の指定席を告げられると、該当する硬券を取り出して、鉄道電話で指定席管理センターに電話していました。
これは硬券を収納する棚。1つ1つずつ売上げを手作業で確認し、集計が終わったら、赤鉛筆で硬券の裏面の印を付けます。1日に1枚も売れなかったら、赤線もう1本追加。それでも売れなかったらさらに1本。やっと買ってくれるお客さんが現れると、裏面が赤線だらけのきっぷを売ることになっています。昔は手作業で管理して計算していたので、かなり大変だったかも。
敦賀駅。前回来たのはいつ頃でしたっけ?と調べてみたら・・・
・2017(平成29)年 こちら 敦賀駅前のホテルに宿泊
・2018(平成30)年 こちら 枕崎→稚内の乗車券 ・(略)・小浜線・北陸・東海道・(略)で小浜線から乗り換えて、特急しらさぎで大垣へ。
あれからもう5年ぶりです。敦賀駅前のホテルは3軒あります。今年3月16日、新幹線の敦賀駅が開業し、東京行き1番列車を狙うため3月15日の予約状況はすでに3軒とも満室だとか。ネットで事前予約してあっても、1ケ月前の2月15日午前10時00秒になったとたん、事前予約した内容も含め、全国の「みどりの窓口」から1番列車の予約を取るため、「10時丁度をお知らせします」の時報とともに発売発信のキーを一斉に押下するので、わずか数秒で完売。キーをたたくタイミングにより席が取れるか取れないかのシビアな戦いになります。
まもなく敦賀駅です。
3月16日開業予定の新幹線の高架橋が見えてきました。
2024(令和6)年3月16日になると、敦賀から先は石川県に入って最初の駅、大聖寺駅までは「株式会社ハピラインふくい」という鉄道会社に引き継がれます。大聖寺からは、既存のIRいしかわ鉄道に移管。
京都から敦賀まで特急サンダーバードで行けば50分。北陸新幹線も敦賀から先は小浜を経由して、京都まで連結すると京都~名古屋~東京~長野~富山~敦賀~京都。これで新幹線は環状になります。
前回、訪ねたときはなかったものが忽然と出来上がっています。在来線ホームから新幹線のホームが見えます。
京都の鉄道博物館内に昭和30年代を再現したコーナーがあります。
「ALWAYS 三丁目の夕日」に出ていた、ダイハツのミゼット。2005(平成17)年の作品なので、計算してみたら、なんと19年前。まるで昨日のように思い出しますが・・・。
秘境駅と言われている飯田線の小和田駅周辺もボロボロ錆びたミゼットの廃車が残されています。現在、駅周辺では車道がなく車が通行できないところなんですが、なんでこんなところに車が!?と思わせるところです。佐久間ダムが出来る前は車道があって車の往来ができたとかの諸説もありますが・・・。
昭和30年代の駄菓子屋さん。
昭和30年代のテレビ画面はぱっと見て、小さすぎる画面なんですけど、あの頃ではこの14インチの大きさでも普通のサイズでした。
ボンタンアメは今でも九州など西日本では現在も販売中のロングセラー商品です。ここでなつかしいものばかり拝見。
名古屋から米原まではJR東海管内ですが、すべて「みどりの窓口」があります。「みどりの窓口」を減らしすぎているJR東日本やJR西日本エリアにお住まいの方から見て、JR東海の状況を見ると対面販売もできて羨ましいかも知れません。
東と西の境目、天下の分け目の関ヶ原を通過。このあたりはいつも豪雪地帯なので、大雪のニュースが入ると東海道新幹線は徐行運転となるので、遅れが発生します。
米原駅到着。ここでJR東海からJR西日本に引き継ぎます。ここから北陸本線に直通するので、方向転換。座席の向きをくるりと替えて・・・。
長浜駅停車。
久しぶりに雪が積っているのを見ました。
あと3,40キロで日本海側の福井エリアに入ります。私の席は指定席ですが、後ろの席や斜め横の席は空いています。それなのに、自由席から溢れ出たお客さんがずっと立ったままです。後ろの席た斜めの席は空席のままなので、ちょっとだけ座っていればいいのにと思いますが・・・。指定席がすべて満席なので買えなかったと思うのですが、空席が目立つなんてどういうことなんでしょうか。
次回の「あおがしま丸」は29日(月曜日)朝決めとなりましたので、28日(日)まで欠航が決まっています。最後に船が来たのは19日(金)なので、10日も来ないことになっています。
1月25日木曜日。本日の「あおがしま丸」は運休日です。東京待機中のため、次回就航予定は未定です。ツイッターなどの情報では、鹿児島県にある絶海の孤島を結ぶ「フェリーとしま2」が故障修理している間は代わりにはるばる「あおがしま丸」が就航する予定、とのことです。フェリーとしまの時刻表を見ると、鹿児島23時発7つの島に寄港し、終点の名瀬には翌日の15時20分着。名瀬発深夜の2時に出発して、鹿児島に18時20分着。夜行、昼行兼ねている船なので、就航時間3時間を前提に部屋がカーペットのみの「あおがしま丸」で最長16時間も乗船するなんて、ちょっときついかも。レストランも備え付けていないし、朝食、昼食の提供は・・・??
京都鉄道博物館に訪ねたのは今回で2回目になります。ゲートから入って真っ先に目に付くのは・・・
1964(昭和39)年10月1日に開業した、東海道新幹線の0系。もう60年前になります。当時の指定席は今のようなオンラインシステムではなく、全国で1ヶ所しかない指定席管理センターにおいて中華料理の回転テーブルに各列車ごとの台帳を置き、各駅から電話を受けたら該当する列車を回転テーブルから取り出し、座席を割り当て。指定席番号を回答し、台帳を所定の位置に戻す。
電話で回答を得た座席番号を細長い硬券にゴム印の駅名や列車名を押印。ボールペンで乗車日や座席番号を書き込み、日付刻印器で日付を入れて現金収受。昭和39年10月1日 ひかり1号 東京 → 新大阪の1番列車も、このやり方で指定席を販売。
手作業だと非効率なので、コンピュータで座席を取れるようにしたいと当時の国鉄が日立製作所にシステム開発を依頼し、1965(昭和40)年9月24日から全国の主要駅で「みどりの窓口」開設。
0系で2&2列なので、これはおそらくグリーン席。
この風景を見て、懐かしいと思えるかたは、おそらく40代以上の方だと思います。今のJR東日本E235系(山手線)やJR西日本323系(大阪環状線)の車内はかなり近代化されていますが、こちらは昭和のレトロっぽさ雰囲気が漂います。
JR西日本は物持ちがよいのか、大阪環状線でも103系が2017(平成29)年まで活躍していました。
戦後の高度経済成長期にデビューし、見納めは平成の終わり頃でしたが、現在も残存線区はJR西日本の播但線、JR九州の筑肥線。
日本で初めて鉄道が走ったのは1872(明治5)年。新橋から横濱間で始発は8時。9時、10時、11時、13時、14時、15時、16時、17時、18時。1日9往復、片道53分かけて移動。(現在は東海道本線で24分)
右下に印字されている「乗継」は、新幹線および在来線の特急券を同時に購入する際に、在来線の特急が半額になる乗継ぎ割引です。
国鉄時代に特急と新幹線乗り継いで遠くまで出かけるのに特急券を別々にして購入すると割高感がするので、在来線の特急料金を半額にして利用を促進していた制度だと思います。
国鉄がJR6社に制度を変更せずそのまま引き継いだはずなんですけれども、JRに変わってから37年目。JR発足時と現在、かなり事情が変わっています。
みどりの窓口で購入するよりも、ネット会員による予約件数が増えたためだそうです。2024(令和6)年3月ダイヤ改正からJR6社とも「乗継」割引は全廃となります。
ずっと昔、サンライズ出雲(または瀬戸)で岡山までのノビノビ座席の特急券は乗り継ぎ割引で約1600円、岡山から山陽新幹線で帰省。当時新幹線特急券は4500円くらいなので、乗車券に5~6千円をプラスするだけでも田舎へ帰れたので、何度か利用したことがあります。
「乗継」のとなりに「乗変」印字。12月5日に乗車する予定だったのに、家の事情により、急遽予定変更。e5489で予約してあっても、JR東海が含まれる路線なので直前取消しとなると30%の手数料がもったいないので、12月5日から1ヶ月先で予定を組みやすいのは年末年始休暇初日の12月29日~30日。直前になって変更したものなので、2日以内変更の赤字がついています。
その理由は、払戻手数料は乗車の3日前までは、330円。乗車前日から発車時刻まで30%と変わるため、払戻手数料を抑えるためいったん先の列車に変更しても、「2日以内に変更」の赤い印字により払戻手数料は30%が適用されます。