この映画の1作目が上映されたのは、今から7年前の2005年。
東京タワーが完成する前の昭和33(1958)年をモチーフにした、映画。
ほのぼのとした夕日三丁目の住民たちの人情が出ているので、本当にすごくはまってしまいます。
2作目は2007年。日本橋を中心に昭和34(1959)年の世界。今回の作品は、前回から5年経過し、東京オリンピックが開かれた昭和39(1964)年。
2作目の2007年は昭和34年の世界。あれから5年後の2012年は昭和39年。
映画の世界と同じく、3丁目の住民たちが戻ってきました!!
鈴木オートの社長さんや竜之介やヒロミさんは5年前と全然変わらないのですが、変わったのは子供たち。鈴木オートの息子、一平君は小学生だったというのに、今はあっという間に大きくなり、高校生。淳之助も、急に成長し、高校生に・・・。
邦画(日本映画)は音声日本語なので、日本語字幕を入れるのは上映後半年経ってからのDVD化になってから。
ALWAYS三丁目の夕日’64はろう者や聴力が落ちてしまった方々のために期限限定で字幕付きが上映されます。
1月28日から字幕版が上映されるようになったし、職場の厚生福利としての映画観賞券を持っているので、今日は両親を連れて映画館へ。
昭和39年の世界を忠実に再現しているし、ストーリーもすごく面白いです。
冒頭の場面では、竜之介の家に新しいテレビが搬入されます。昔の「ナショナル」ロゴマーク付きの段ボール箱で。竜之介はわが家にテレビが入ったぞ!と自慢するが、カラーではなくモノクロ。「なーんだ、モノクロか、うちの家でもあるんだぞ」とカラーテレビを楽しみにしていた人々が引き下がる。
向かいの鈴木オートはカラーテレビ。モノクロとカラーの差はすごく激しかったらしい。
竜之介の父親が危篤だと電報が入り、父親のいるところに駆けつけるシーンが出ました。キハ58(昭和36年から44年まで製造された国鉄の急行ディーゼルカー)が何両も連なり、走行するシーンが!!グリーン車(キロ58)は窓の下に緑色のラインが入っているのも正確に再現していますなぁ~と感心してしまいました。
私が子供の頃、山口県の山陰本線沿いに住んでいました。急行「さんべ」「ながと」も、我が家の窓からよく見えました。映画に出ていた、国鉄急行のキハ58と全く同じ。
そのキハ58は2009(平成21)年、高山線で活躍していたのが最後です。今の時代、キハ58が活躍する路線は皆無。もう1つの車両、各駅停車用のキハ23(昭和41年製造)も山陰本線が最後でした。2004(平成16)年頃から淘汰。
近くの久留里線も昭和40年代に製造されたキハ30が現役で頑張っているところですが、残念ながら老朽化に勝てず、今年中に最新鋭ディーゼルカーのキハE130が導入されます。
今はすっかりなくなっている、0系新幹線も昭和39年の東京駅を再現するシーンも出ていました。あれは、なんと!!青梅鉄道公園に置かれている0系をベースに3次元コンピュータグラフィックスを駆使し、再現しているとのこと。
昭和25年に東京を出発し、およそ4ヶ月かけて赴任した青ヶ島小学校教師の高津勉先生の「黒潮のはてに子らありて~青ガ島教師十年の記録~」を読ませていただいたところ、昭和30年代が登場します。映画に出ている昭和30年代は戦後高度経済成長期真っ盛りなので、首都高速の開通、三種の神器(テレビ、洗濯機、冷蔵庫)の開発がすすんでいるというのに、青ヶ島は電気がなく、ランプ。電話もない、テレビの電波も入ってこない。内地と青ヶ島、大きなギャップがありました。
今の時代、船でのアクセスが難しい以外は、生活水準は本土と全く同じになっています。 今回の映画でシーンと来たのは、淳之助の万年筆。初めて上映された、2005年の作品につながりがあります。
(写真はわが田舎町の夕日。2012年1月30日 16時25分撮影)
1月30日(月曜日)。朝から一家で出かけたので、夕方の3時半頃まで留守。
キジバトちゃまは来ているかな?と庭先を見ると、「ずっと待っていたんだよ!」と言っているかように私に近づいてくれました。
今回も静止画と思いましたが、ビデオを撮影すると、何かのパフォーマンスをしてくれるので、動画モードで撮影したら、やはり!!
今回はちょっとした会話が成立しています。動画の後半あたりからご覧ください。
これは私の気に入っている、いつものスーパーで買ったもの。
鮮魚コーナーに行っても、ショーケースに何も入っていません。リクエストを出そうかなと迷っていたところ、店員さんが捌きたての刺身を運んでくれました。
6種類の刺身盛り合わせ 1500円のところを1280円っ!!
鹿児島で食べたことのあるような、キビナゴ付き。キビナゴはイワシと同じく弱りやすいものなので、刺身で出すのは獲れたてでなければなりません。
ここでもキビナゴも出しているというのは、すごく新鮮な証拠になります。 これはドックおじさん(父)が買ってきたもの。
激安スーパーのため、大雑把、無造作に置かれているうえに、すごく混んでいます。
私は多少高くても見た目きれいなところ、商品の並べ方もきちんとしていて、ポイントカードがあるところが好みですが、父は大雑把、無造作、しかも混雑していて激安のところが好きみたい。
1パック398円だけど、3パック買えば1000円でした。 醤油にわさびだと、どうしてもごはんが欲しくなってしまいます。
ごはんを欲しくなくてもいいように、タイと韓国のコラボ、アジアン風刺身にしました。
作り方は簡単。まず、ちぎったレタスを皿に敷いておき、刺身を乗せます。
ナンプラー(タイ)大さじ2、レモン汁大さじ2、ごま油(韓国)大さじ1、4種類の香りソルト(適用)を混ぜて、刺身にかけるだけ。刺身をレタスと一緒に食べると、今までにない新しい食感が得られます。 小倉の伯父からいただいた明太子を冷凍庫に入れっぱなしなので、舞茸と明太子パスタを作ってみました。
今までの作り方を少し変え、熱したフライパンにバターを敷いておき、みじん切りしたニンニクを炒め、舞茸、玉ねぎも加える。そうしてみると、さらに美味しくなります。 今日の夕食。父の買ってきた、刺身(カンパチと真鯛)のカルパッチョと肉じゃが。
刺身が出ても、これなら、ごはんがなくても大丈夫。
ジャガイモは炭水化物だらけですが、たま~にはいいでしょう。
今日も来てくれないかな~?と空に向かって、手を大きく振ると、バタバタ・・・・と飛び降りてくれました。まさか!?私の姿に気づいて来てくれたんですかっ!? 山口県の伯母からキジバトちゃまへのプレゼントは大豆。
このままだと「大きいし、硬くて食べられません」と言われたような気がするので、大豆をしばらく水に浸かり、やわらかくなったものを与えています。
キジバトちゃまの2本足でヨチヨチ歩く姿はかわいくて、ビデオ動画でも撮ろうと思いましたが、停止画モード。 おお~!この前、「水が欲しい」とリクエストがあったとおり水を飲んでいますね。雀など他の鳥だと、水を飲んで顔を上に向かないと飲めないそうです。
キジバトちゃまだけは、水を上手に飲めます。
たくさん食べ終えると、「おなかが重たくて飛べなくなりました」と、庭先の広く見渡せるところでじっと座りながら物思いにふけってしまいました。
私から見れば、ちょうど尻尾の姿なんですが、「何考えているんですか?」と思わず話しかけてしまいそうです。
1月28日 午前7時39分。出勤準備中、家が少し揺れているのに気づきました。地震かと思い、テレビをつけてみると、「神奈川県西部で震度4」というテロップが!?
神奈川県が震源地なんて聞いたことないな?と様子を見ると、また大きな揺れが!?発生時刻は7時43分。2回も立て続けに地震が起きるなんて、怖いな・・・。
東日本大震災の影響により、地殻変動が活発し、2011年3月11日以降、東日本を中心に地震が多発しています。
「もしかすると地震が起きるかも知れない」ではなく、「今にでも地震が起きる」といったように常に転倒防止の対策を行わなくてはなりません。
神津島に滞在中の2011年8月1日23時58分、いきなり震度4の揺れに遭遇。ちょうど私は寝ていて、上下激しい揺れに心臓が止まりそうになりました。
今朝の震度3はあたりを見守るのですが、恐怖感がするのはやはり震度4以上。
沖縄好きが高じて、去年口座開設。
原則として、地方銀行はその土地に住んでいる住民が対象になっていますが、通帳を持たないネット専用の「美ら島支店」は全国どなたでも口座開設ができます。
田舎町でもみずほ銀行の支店があるので、東京に住んでいた支店をメインとして使わせていただいていますが、みずほ那覇支店に変更したいと思っても、よほどなことがない限り、不可能です。
沖縄旅行の次いでに住民票を沖縄県那覇市に移し、那覇支店の口座を開設。沖縄旅行の帰りに転出届を提出し、那覇支店のままで、自宅の現住所に変更するのは可能です。しかし、さまざまな手続きを要すので、かなり面倒です。
給与振込を沖縄銀行に変更したいと、勤務先に申し出ると、「沖縄銀行の美ら島支店!?○○(私の本名)さんらしいね」と言われてしまいました。
みずほのマイレージクラブに加入しているため、近くのコンビニで自分の好きなように24時間手数料無料で引き出してしまいます。
手数料無料だからと気が緩みがち。財布の中身がさびしくなったら、引き出すの繰り返し。
美ら島支店は全国を対象にしているため、無料で引き出せるのは、ゆうちょ銀行のみ。
平日の8時45分から18時まで、土曜日の9時から14時までは無料、それ以外は手数料がかかります。
沖縄銀行に変えてからは、計画的に使うようになり、パッパッとお札が飛んでいく現象が減少。
伊豆諸島・小笠原を旅しても、必ずゆうちょ銀行のATMが置かれているので、手数料が無料になる時間内ならば、美ら島支店も無料。
母島簡易郵便局は、JA(農協東京島しょ)に業務を委託しており、ゆうちょのATMが置かれていません。ゆうちょ銀行のキャッシュカードは有人の窓口で引き出せるようになっていますが、沖縄銀行のカードは、JA(農協)東京島しょのATM(母島唯一のATM)に案内されるかも知れません。
沖縄銀行はJAおきなわとの提携で沖縄県内の農協は無料ですが、母島の場合はやはり手数料がかかってしまいそうです。
母島に行かれる前に父島の小笠原郵便局(または、二見港待合室内のゆうちょ銀行ATM)で現金を調達したほうが良さそうです。
「新東京」の消印なので、都内からと思いきや、日本一秘境村の青ヶ島からでした。
下の消印は新東京支店の近くにお住まいの友人からなので、自動押印機。
伊豆諸島・小笠原のポストに投函すると、すべて「新東京」の消印。
手押しは、島嶼。自動押印機なら都内からと識別するとよさそうです。
しかし、自動押印機で処理できない、多量の切手が貼られていると、もちろん手押しになってしまいますが、島嶼と都内の見分けができなくなってしまいます。
民営化される前は、新東京ではなく、それぞれの島の消印なので、そのほうがよかったかも・・・。
父島のポストの投函口に「ポストに投函されますと、新東京の消印になります。小笠原の入った、日付印をご希望の場合は郵便局窓口へお出しください」と書かれています。
御蔵島のポストもなにげなく、「風景印ご希望の方は、窓口にてお願いいたします」とテプラで。
このポストに入れると、内地と区別がつかなくなる「新東京」になってしまうからでしょう。
郵便局株式会社(日本郵便、ゆうちょ銀行、かんぽ生命保険の業務を受託)と、郵便物の集配を行う日本郵便事業株式会社、別々の組織になってしまい、ややこしくなってしまいました。
ほとんど毎日来ていますね~。今朝、キジバトちゃまがまた遊びに来てくれたときにビデオ撮影しました。
前回は「ありがとう」というおじぎをする姿とらえたのですが、今回もまたパフォーマンスを演じてくれました。(動画最後のところに出ます)
今日は書くネタがなく、困っていたところ、キジバトちゃまが助け舟を出してくれました。(笑)
1月24日の朝日新聞夕刊の社会面で興味深い内容が・・・。
JRのプリペイト(前払い)カードのオレンジカードがICカードに押され、JR東日本では販売を縮小する予定だそうです。
オレンジカードが最初に発売されたのは、国鉄時代の1985(昭和60)年。(今からなんと27年前!?)
小銭を用意しなくても、カードで切符を買えることが当時にとっては斬新なことであり、キャッシュレス時代の到来。
新しいモノ好きの私は、オレンジカードが新しく発売されたころから集めていました。
そのため、国鉄やJR西日本が発足したばかりのオレンジカードを数枚引き出しになかにず~っと未使用のまま眠らせています。
オレンジカードを使おうと思いつつ、自動改札機にタッチするだけで通れるsuicaを優先しがち。財布の中に国鉄や西日本のオレンジカードを忍ばせてあるのですが、滅多に使う出番なし。
1982年に開業した東北・上越新幹線は大宮始発でした。新幹線リレーとし、大宮~上野間の特急乗務員を「オレンジガール」と呼んだことからオレンジカードと命名したそうだな。 山口県の何もない田舎でも、カードが使えました。
右下に「カ」が印字されていれば、オレンジカードで切符を購入した証になります。
平成4年8月31日 オレンジカードで購入。
平成21年12月28日もカード。
上は裏が白色、下はJR九州の自動改札化に伴い、磁化券になっています。
何もない秘境路線なのに、自動改札機対応とは場違いのような気が・・・。
もっとすごいのは、小湊鉄道は今も昭和30年代を死守し、suicaやパスモなどのICカードの導入を拒み続け、昔ながらの硬券です。
小湊鉄道はれっきとしたローカル線だけど、東京から50キロの首都圏内。
自動改札機の導入は無理でも、切符販売の窓口にsuicaやパスモが使える端末でも置いてくれればいいのに。
(写真は2009年12月28日 滝部(たきべ)駅)
JR東日本における、2012年4月以降の発売駅は・・・関東圏+山梨県中央本線の発売はなくなり、主に東北・信越エリアの仙台、福島、山形、郡山、会津若松
、一ノ関、北上、盛岡、八戸、青森
、弘前、秋田、田沢湖、大曲、大館、横手、東能代、角館 、新潟、長岡、直江津、酒田
、長野、松本の24駅になってしまいます。
引き続き、首都圏の自動券売機はオレンジカードが使えます。
1月24日の朝、窓を開けてみると白銀の世界になってしまいました。
いつもより早めに出かけたというのに、渋滞にはまってしまいました。
スリップ事故や追突事故を起こさないように、前の車と十分距離を取り、徐行運転しているようです。
なかなか前に進まなくて、クルマの運転席から見た風景。
いつも見慣れた、田舎町の風景が一変。
街に向かうと少しずつ雪がなくなり、職場周辺は全く雪がありませんでした。
同じ市内だというのに東京湾側の平野だと雪が積もっていなくて、内陸部は雪がすごく積もっていました。
こんな雪だと、キジバトちゃまは大丈夫だっただろうかと心配になり、父に聞いてみたら、「今日も2羽来ていましたよ~!」とのこと。「えっ?雪の上に止まったんですか?雪の上を歩いていたんですか?」とビックリして聞いてみると、「ほら、木の下(南国風の樹木、ヤシの木?)の雪が積もっていない地肌が出ているところに来たんですよ。私の顔を見るなり、近づいてくれたので、食べ物をあげましたとさ」
大雪でもキジバトちゃまはちゃんと来てくれました~!!巣は大丈夫ですかね?
全身羽毛で覆われているので、寒さ対策は大丈夫のようです??
(写真は2011年6月7日撮影)
1月23日 午後8時45分。1月1日14時28分に起きた震度3以来の揺れ。
地震情報にアクセスすると、去年3月11日以降、日本各地でたびたび地震が起きているようで、履歴が急激に増えました。
4年以内に首都圏直下地震が起きる確率は70%とニュースに出たばかりです。
すると、ドックおじさん(父)が「現在も山口県に住んでいたら、地震の心配はいらないのに。おまえがわざわざ東京を目指し、就職しなければよかったのに」とボソッ。
確か山口県は佐賀県と同じく危険なプレートとかの隣りあわせではないので、地震の発生率は少ないほう。実際、私が山口県に住んでいたころは地震が滅多にありませんでした。
70%という予想を見事に外れて欲しいと思います。
さっき、窓を開けてみたら・・・・なんと!5~10センチくらい雪が積もっていました。
過去の積雪記録をチェックしてみたところ、2006(平成18)年1月21日~22日、2008(平成20)年1月17日、2010(平成22)年2月18日でした。
今日のランチは・・・厚切りベーコンとツナたっぷりのカルボナーラ。 真鯛のカルパッチョ。スーパーの鮮魚コーナーで「真鯛の刺身ってありますか?」とリクエストすると、目の前で刺身用の包丁を持ちながらさばいてくれます。
青ヶ島のひんぎゃの塩使用の「ねぎ塩ダレ」。
本当は牛タンにねぎ塩ダレを漬け込んでから焼くのですが、湯豆腐にかけても美味しいです。
作り方はすごく簡単。長ネギ1本をみじん切りにして、ひんぎゃの塩を小さじ1、粗挽き黒コショーをバラバラとふりかける。なじませておいてから、今度はゴマ油大さじ3を加え、なじませる。 夕食は・・・ハン尚宮(母)のお得意料理、韓国の??(チャプチェ)でした。
韓国製の春雨を使っているので、本場に近い味。
しかし、父の糖質制限食ではご法度になってしまいますが、たまにはいいでしょう。
1月22日の朝7時ごろ。朝食中にバタバタ・・・・と降り立つキジバトちゃまの姿が見えました。
まるで「私だよーん!!」とアピールしているかように。
窓越しに様子を見ると、(食べ物がもらえるかな~?と、)待っているかよう。
私の頭上をすーっと飛び、木の枝に止まり、こちらの様子を窺っていたキジバトちゃまと同じなのかどうかはわかりませんが、人に懐くほうでした。
夕方も同じキジバトちゃまが来てくれたそうです。
土日出勤の職場ですが、1月21日は休みが重なり、代々木の国立オリンピンク記念青少年総合センターで開催される「バイリンガル・バイカルチュラルろう教育シンポジウム」に出席しました。
両親も出席を希望していたので、クルマで連れていきました。
土曜日だというのに、首都高速は珍しく空いていて、自宅から目的地までわずか1時間。何もない房総半島内陸部の田舎だというのに、アクアラインの恩恵もありますね~。
今回は国王様が手配してくれたので、なんと、よく見えるように舞台前のVIP席でした・・・。
今回のテーマは「アイデンティティとは何か?」です。
ろう児のアンデンティティとは、わかりやすく言えば、自分は「ろう」であることを肯定的にとらえ、あるがままの姿を尊重すること。医学的視点から見て、聴覚に障害を持つ者は話ができなくて、日本語も取得できないなどの「障害認識」とは、まったく逆の概念。
文化的視点から見て、ろう者は手話を母語とし、日本語は第2の言語として習得する。ろう文化と聴文化のバイリンカル・バイカルチュラルを持つことをろう児のアンデンティティと言います。
こう書いていると、私の職場でもカウンターに立ち、お客さんとコミュニケーションをとることはあるのですが、ろう者だと理解し、筆談や身振りで応じてくださるのはとてもうれしい。しかしながら、ろう者だとわかっていても、一方的に音声でボソボソ・・・と話すお客さんが圧倒的に多いのは残念。(日本は諸外国のつながりのない島国なので、自分の言語とは異なる外国人との接触が少ないのが原因だと思われる) 午前中は基調講演の「3ケ国のろう児の幼稚園における「ろうであること」の習得について。アメリカ・フランス・日本」
講師はジョセフ・トービン博士(ジョージア大学教授・幼児教育/教育人類学)
会場では、日本手話、日本語(音声)、アメリカ手話、英語(音声)、フランス手話、フランス語の6言語に加え、ミャンマー手話の7言語。
講師が英語で話すと、日本語に通訳し、日本語を日本手話に通訳するのも同時。
あたりをみまわすと、英語をアメリカ手話に通訳、英語からフランス語に通訳、フランス語をフランス手話に通訳する人が見えました。
今までの講演会は、日本語と日本手話のみでしたが、多言語による同時通訳は初めてみました。
3ケ国の幼稚園(聴者・ろう者)の様子をビデオに撮ったものを拝見。子供同士のケンカは、日本だと子供同士がどのように解決していくか教師が遠巻きに見守る。アメリカ、フランスだとすぐ介入する。日本文化はストレートに表さない。これは聴者もろう者も同じだそうです。
明晴学園の園児同士のケンカも、両親がろう者(デフファミリー)の子と聴者の子も顕著な違いが・・・。デフファミリーの子はあれこれ繰り返し言われなくても、察することはできるのに、聴者の親から生まれた子は本当に相手に通じたかどうか、不安になり同じことを何度も繰り返し手話で話すという研究結果も面白いです。
午後からは3ケ国(フランス・アメリカ・日本)のバイリンガルろう教育について。
各国の手話で教える幼稚園クラスの様子をビデオ動画とともに発表がありました。
それぞれの国の文化や習慣にふさわしいやり方があり、とても勉強になりました。
しかし・・・フランス手話で発表すると、フランス語に翻訳、さらに英語に翻訳し、その英語を日本語に翻訳、日本語を日本手話に通訳なので、タイムラグが長かった。
タイムラグが長いと、途切れ途切れになったようで、少しわかりづらい面もありましたが・・・。
あとで内容をまとめたジンポジウムの報告書が送られてくるので、楽しみです
同じ人間だというのに、いろんな外国語や、いろんな国の手話があるのは・・・・旧約聖書の「創世記」11章に書かれている「バベルの塔」。旧約聖書はイエスさま誕生の西暦0年以前なので、2000年以上前の昔。当時は、全世界ひとつの言葉で通じていましたが、世界中の人類が塔をつくり天地創造主の神に挑戦しようとしてしまいました。
唯一の神に挑戦するなんてけしからん!と罰し、搭を崩してしまいました。
それまで全世界の言葉で通じたというのに、お互いに言葉が通じません。全世界の人類が団結し、神に挑戦することにないように、それぞれの国の言葉が確立されてしまいました。
言葉をなかなか理解できない外国語の存在は聖書に書かれているとおり、正しいと思います。