檜原・青ヶ島・小笠原・・・秘境なところが好きな私が日本橋に行くなんて珍しいと思いますが・・・。
11月20日から25日まで日本橋たもとにある老舗の百貨店、三越本店で映画「三丁目の夕日」で使われた家電具、ミゼット(オート三輪)などが展示されているので、どうしても見たくて日本橋にやってきました。
映画のために全国からかき集めた昭和30年代グッズばかりなので、この目で実物を見たくうずうずしていました。
アクアライン高速バスの恩恵もあり、田舎の自宅からここにたどり着くまで1時間程度。(首都高速の渋滞がなければ・・・)
房総各方面から品川行き・東京行きの高速バスはアクアライン入口のターミナルに止まるので、本数も多く待たずに乗れるのです。
この日本橋は1911(明治44)年に架けられた、第19代目の二連アーチ橋。
この橋はもちろん1923(大正12)年に起きた関東大震災、東京空襲の焼け野原を経験しているのですが、今でもそのように見られるのは奇跡的ですね。
真上にあるものは1964(昭和39)年の東京オリンピックを控え、急ピッチで作られた首都高速。
奥多摩へは何度か通ったことはあるのですが、(真下は日本橋です)という絵で表示がついています。
真下は日本橋なのか、と思っても高速からは全く見えません。
横断歩道で真ん中を撮ってみました。
昭和30年代だったら、映画みたいに路面電車の都電が行き交っていただろう。
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「昭和34年、日本の空は広かった」
これはALWAY 三丁目の夕日のキャッチフレーズなのですが、あれから50年。
広いはずの空を見上げればご覧のとおり。
高速道路や高層ビルに遮られています。
明治時代に作られたガス灯も今でも残っていますね。夜になれば、ガスの代わりに電気で灯ってくれるかな。夜の日本橋、まだ見たことはないですけど・・・。
日本橋は各方面の国道起点。
1号線(東海道 終点:大阪市)
4号線(東北道 終点:青森市)
6号線(水戸街道 終点:仙台市)
14号線(千葉街道 終点:千葉市)
15号線(京浜道 終点:横浜市)
17号線(関越道 終点:新潟市)
20号線(甲州街道 終点:長野県塩尻市)
日本橋ウォッチングが終わったあとはいよいよ三越の7階ギャラリーに入館。
日本橋に来れない人のために展示物を写真撮影しようと思っていたのですが、撮影禁止になっていて、しかも数人の警備員が目を光らせていました。
昭和30年代グッズをご紹介しようと思っていましたが、写真はありません。(T_T)
映画で使われたという、冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビも展示。
触れてみるのも写真を撮るのも禁止されているので、なめまわすように見て脳裏に焼きつけました。
洗濯機はしぼるローラーがついていて、大きさは今の全自動洗濯機と変わらないのですが、冷蔵庫や白黒テレビは思っていたよりも小さかったのは驚きです。
おおおお~!!昭和30年代の14インチテレビが現役で映っているじゃないですかー!!と側面にあるすき間からよ~く見たら、中身は現行のブラウン管に取り替えたものでした。
オート三輪のミゼットもよ~く見ました。
昔の人は体格が小さかったのか、運転席もちょっときゅうくつな感じです。
軽自動車としてまだ走れるらしく、フロントガラスに車検標章(平成20年)が貼られていました。
公道でこのクルマを走らせると、みーんなビックリ!!注目を浴びせられそうです。
昭和グッズのなかで1番印象に残ったのは白黒テレビ。
14インチの小さな画面なのに、昔は大衆向けの街頭テレビとして置かれたり、家族団らんで見ていたりしたそうです。
今の感覚だと「ちっせーな!!」と不満言い出そうなテレビなのですが、昔は月給の何十倍もの大金で庶民の夢だったとか。
冷蔵庫も1人暮らしサイズの小型になっていましたが、昔の人はうまく使いこなせたみたいですね。
JALが「日本全国からJALで懐かしの東京を満喫しよう」と宣伝をやっているみたいです。
そのビラの中に「JAL×ALWAYS カフェ」も神田でオープン。
昭和30年代に憧れだった、当時のレストランメニューも再現。
お子様ランチ(大人向けとお子様向けの2種類)、昭和のライスカレー、懐かしのナポリターナも限定販売中。
昭和の味を懐かしむのなら、ここ。(店舗案内)
<<おまけ>>
ちょっと前までは古いオレンジ電車と交互しながらの運行でしたが、最近は100%新型になったみたいです。
新型に乗りたい!!と新型が来るまで何本か見送ったのに、なかなか来なくて諦めたのですが、今日はすぐ来てくれました。
今日は初めての乗車なのですが、発進や加速、ブレーキもエレベータに乗っているかような感覚で静かでした。
はるばる奥多摩に近い青梅からやってきた、青梅特快。
奥多摩や檜原村の玄関、武蔵五日市行きのホリデー快速も置き換わったみたいので、クルマではなく真新しい電車で美しい山あいや渓谷を楽しみながら乗ってみたいな~。
この電車から山手線に乗り換えると、行き先表示がフルカラーではなく2色の発光ダイオードのせいか「古っ!!」と思えるようになったのです。3年前にすべて新型に置き換わったばかりなのに・・・(笑)
三丁目の夕日(昭和30年代)はこのタイプの電車。
今でも秩父鉄道で活躍中です。
(鉄道博物館で撮影)
さらに昔はこれ。
似たような電車が最後まで活躍していたのは山口県の小野田線・本山支線(雀田-長門本山間の2.3キロ)
1933(昭和8)年生まれのクモハ42が部品の確保が難しくなり2003(平成15)年に引退。