11月23日。
暦の上では「小雪(二十四節気)」だというのに、22日はすごく暖かい日でした。
暖房器具を使わなくても室温は21度と表示しています。
あと1週間すれば12月だというのに、この暖かさは何でしょうか。
急激に冷え込むときもありますので、体調管理に気をつけてください。
この写真は、8月12日に訪問した、都立八丈島歴史民俗資料館です。
旧東京都八丈支庁の建物をそのまま資料館にしたもので、1975(昭和50)年オープン。
旧庁舎内はもちろんエアコンは入っていませんでした。
入り口で「うちわ」を配布し、出口で返却するシステムでした。
8月の八丈島は夏真っ盛り。
うちわをバタバタあおぎながら、展示物の見学。
昔は今のようなエアコンはありません。
昔の人たちはエアコンなしで夏を乗り越えられたのはなんと素晴らしい。
夏から秋にかけての電気代の請求書を見比べてみましたが、今年の夏は炎暑だったというのに、電気代がうなぎ登りになることはなく、毎月とあまり変わりませんでした。
エコロジーを実践するため、エアコンを最低限にしたのが功を奏したかも・・・?
八丈島はもともと流人の島でした。江戸時代の刑罰のひとつとして、死罪のワンランク下は島流し(今で言うと無期懲役)。
罪が大きくなるほど、島流しも遠くなってしまう。じゃあ、伊豆諸島最南端の青ヶ島が1番罪の大きい人が辿り着くところなんだと思われてしまいますが・・・・八丈島より南の島に流すのは船が激流の黒潮に巻き込まれて沈んでしまう可能性があるため、実質、八丈島。
江戸時代にとって青ヶ島行きの島流しは死罪に等しいので、確実に辿り着ける八丈島と定められたみたいです。(今も八丈島は大型客船も出るし、飛行機も1日3便)
(源為朝(みなもとのためとも)は今から1000年くらい前、伊豆諸島を支配するために青ヶ島にやってきたという伝説もありますが・・・)
流人文化を中心にした資料が数多く展示されています。
島流しを受けた流人は本土で身につけた技術を八丈島に伝わり、生活用具や農耕具、漁具、「黄八丈」ブランドで知られている機織具など生活向上につながりました。
八丈島も湿気が高く、米を蔵で保管するとカビが生えてしまうため、風通しをよくするため床を高くし、ネズミの侵入をせきとめる「ネズミ返り」の板を取り付けられるなど、生活の知恵がたくさん込められています。
今度は八重根漁港。4日前の8月9日、ここから還住丸に乗って青ヶ島に向かったはずなのに、ここに舞い戻れたのは不思議な気分。
今日(8月12日)も欠航し、還住丸は八重根漁港で係留中でした。