無印良品は消しゴムなどの小さな文房具から食料品、日常雑貨品、家具、家電・・・などなど取り扱うブランドだというのに、家までも販売しているのにびっくりしました。
気になるお値段は・・・・
延床面積 115.92㎡ (35.06坪)
構造:鉄筋コンクリート
本体価格:税込 2196万円 側面はほとんどガラス張りになっていました。
とてもお洒落な家だけど、夜になると中の暮らしが丸見えになってしまうので、カーテンなどで遮断するとかちょっと大変そう。
この家なら、沖縄とかきれいな海の見える場所に適しているかも。
母島の最北端の「北港」というところは戦前、とても栄えていたところなのに今は沖港の元地と静沢地区のみ集落を残している。 もし、北港の休憩所あたりに家を建つとしたら・・・・
東京から母島までの建材輸送費、職人の宿泊費、沖港から北港までおよそ8.5キロのインフラ敷設工事などなども含め、目玉が飛び出すほど高くなるかも・・・・? もし、本当に建ってしまったときの窓からの眺めはこういう風景になる。
人里から極端に離れた場所に家なんて、やはり心細い。
家を建つとしたら、静沢あたりが良さそう。
母島に行くたびに新しい家が相次いで目立つようになりました。
母島暮らしに憧れ、そこに家を建つ決心は本当にすごいことだと思う。
無印良品の話題がいつの間にかに母島に脱線してしまいました。
所用のため、木更津方面へ。
ゴールテンウィークに行った、タイ料理が美味しかったので、今回もまたリピータしてしまいました。
我が家では、ほとんど和食、たまに韓国、沖縄なので、ハン尚宮(母)の手休めに外国料理店へ連れて行きました。
なんでも「タイ」にこだわっているのか、切手までもタイ料理のデザイン。
タイ語の「ありがとう」。(コープクン)
「ありがとう」は言われると、うれしくなってしまうのは万国共通。
1番最初に覚えた韓国語はやはり、?????(カムサハムニダ)、「ありがとうございます」。
とても丁寧だけど、????(コマウォヨ)は軽く「ありがとう」。
「コマウォ」でも通用できます。
最初に見たハングルは幾何学的なものなんだろう・・・と思っていたのに、簡単な言葉なら読めるようになったのは不思議・・??
タイ語の文字はこういう形になっていて、とても難しい。
ランチ(昼)はディナー(夕食)に比べると、少し安めに設定されているので、バシバシ注文してしまいました。
それぞれ違った料理を味わうと、すごく満腹になりました。
ご飯までもタイ米になっているところがそのお店のこだわりなんですね。
ごちそうさまでした。コープクン!!
タイ国政府商務省認定レストラン アジアンタイニング
RomAsia (ロムエシア)
木更津市請西1899-9
青春18きっぷのシーズンになると、只見線など汽車旅にお出かけになる職場の鉄子さんからのメモでした。
裏紙などのリサイクル用紙を小さく切ってメモパットにしているのに、鉄子さんはとても洒落ていますねぇ。
さりげなく書類に山手線駅名メモが添付されると、どうしても目を引くようになってしまいます。
私:「駅名がメモになっているのはすごいね・・・どんな駅名あるの?」
山手線の駅名がびっしり並んでいる表紙がついているメモパットを見せてくれました。
東京 神田 秋葉原 御徒町・・・・といったように順番に綴じられてあり、私のは大塚駅。
私:「このマークって見覚えあるんだけど、もしかすると鉄道博物館!?」
鉄子:「当たり!鉄道博物館のオリジナルなのよ~」
もし、鉄子さんが意識して「浜松町駅」を抜き取っていたら、私の本性を見抜かれてしまったことになる。浜松町駅は伊豆諸島・小笠原の玄関口だからだ。
今のところ、バリエーションは山手線だけで販売箇所は鉄道博物館内のみ。
通信販売はやっていないので、完璧なオリジナル。
あれば欲しいと思える駅名メモは北海道の珍しい駅名ばかり並ぶ、宗谷本線(旭川~稚内)。読めない漢字の下にローマ字も綴っているので、一石二鳥!?
鉄道博物館はJR東日本と東日本鉄道文化財団の管轄下なので、JR他社のものは作ってくれるか、どうか・・・?
これも鉄子さんからの差し入れ、小湊鉄道のドロップス。
お味は・・・・
小湊鉄道は昭和30年代のままなので、なんだか、とても懐かしい味。
昭和の味がするのは、製造元がロングセラーの「佐久間製菓」だからでしょう。
そのドロップスはなんと昭和23(1948)年から、現在も変わらずだそうです。
タイトルを見ただけで面白そうだな・・・と思い、手にとってみました。
最長片道切符 11195.7キロ
著者:原口隆行
出版社:学習研究社
発刊年月日:2008年7月8日
定価:1900円+税
ISBN:978-4-05-403804-2
巻頭ページのカラー写真もすご~い!!
稚内 → 肥前山口
経由:宗谷・南永山・石北・釧網・根室線・富良野線・函館線・江差線・海峡線・・・・・(略)・・・・鹿児島中央・新幹線・新八代・鹿児島線・久大・日田彦山・後藤寺・筑豊・鹿児島線・篠栗線・筑豊・鹿児島線・長崎線・佐世保線・大村線・長崎線
8月17日から 57日間有効。
同じ駅、経路を2度と通らず、日本をジグザク鉄道旅がテーマなので、興味深い。
上記の経路を打っているうちに
鳥栖で長崎本線に入り、佐賀を通って肥前山口。本来なら、ここで打ち切りになるはず。
それなのに、佐世保線、大村線を回って、諫早で長崎本線に戻り肥前山口でゴール。
はて?同じ駅を2回通ってもNGにならないのは??
その謎が解けました。
佐賀方面から下り列車で経由するには「6」の字を描くことになって「片道」とみなされる。
仮に肥前山口を起点すると、「9」の字を描くことになり、運賃計算は打ち切りになるそうです。
著者は最長片道切符に挑戦したのは、なんと67歳。(現在71歳)
デジタル一眼レフ、予備用のデジタルカメラ、携帯電話、ノートパソコンを携行してのご旅行は若年層と変わらぬマニアぶりに脱帽。
北海道を出て本州に入って間もなくのところまで読ませていただきましたが、まるで私も最長片道切符の旅しているかような気分をさせてくれます。 この本に比べものにならないほどですが、近年、ひと筆書き切符に挑戦したのは、この切符。
山口の田舎に帰省するときは東京から寝台電車のサンライズで岡山、そこから新幹線で帰るパターンがほとんど。
朝6時、岡山で慌ただしく新幹線に乗り換えるよりも、そのままゆっくりゴロンと横になり、終点の出雲市。
青い海が時折眺められる、日本海沿いの山陰本線に乗り継ぎ、故郷の駅で途中下車。
ただし、倉敷で東京からのひと筆書きが重なってしまうので、1つ手前の「西阿知」で打ち切りになっています。
工夫次第で普通とは違った切符で旅を楽しめそうですね
このあいだ、友人の家にお邪魔したとき、
「いいものを見せてあげましょ~」とこの本を差し出してくれました。
みんなが主人公の学校 ~学校はみんなでつくる場所~というタイトルです。 巻頭カラー2ページ目を広げてみると、ビックリした!
明晴学園の様子が載っていました。
外国語や手話で授業を行う学校、不登校の子供たちのための学校など、独自の教育を行う学校が2003年から相次いで設立。
小泉純一郎内閣時代にできた「構造改革特区制度」によって地域限定で教育分野の規制緩和が進み、私立学校設置のハードルが下がったのが理由だそうです。 明晴学園が紹介されているのは、
第2章の「自分の言葉は自分で選びたい~手話で学ぶ小学校~」の部分でした。
第1章 外国にツールをもつ子どもとともに ~アンデンティティを育てる日本語国際学級~
第3章 みんなのことはみんなで決める中学校 ~不登校の子がいきいきできる学校~
第4章 自分に合った高校を探しながら~ディスレクシアの自分と出会うまでの長い道のり~
第5章 居心地のいい学校をつくっていこう~新しい取り組みと先輩たちのメッセージ~
対象者は小学5,6年以上なので、公立図書館でしたら児童室に置かれてあると思います。
ISBN:978-4-477-01991-8
出版社:大日本図書
発刊年月日:2009年3月25日
定価:1600円+税
2個下の記事に
東京駅の東経139度45分に対し、父島は142度9分、北方領土の国後島(北海道・根室より東)と同じくらいなので、日没が本州に比べると非常に早いです。
と書きましたが、日本地図帳を広げてみたところ・・・・
父島の位置が北方領土の下にあるのではなく、旭川あたりの下になっていました。
もし、この表現通りだとしたら、小笠原はあまりにも東にずれ過ぎてしまいます。
正しくは、
東京駅の東経139度45分に対し、父島は142度9分、北方領土の国後島(北海道・根室より東) 北海道の旭川と同じくらいなので、日没が本州に比べると非常に早いです。
訂正させていただきます。
地図の緯度を調べるのにパソコンの画面で見るより、オフラインの紙面のほうが見やすかったでした。
日本最東端の南鳥島も小笠原村に属し、東経153度59分。
東京から1950キロの東側なので、日の出や日の入りは1時間早いらしい。
今日の日没時刻は18時50分(東京)だが、向こうはたぶん17時50分頃かな・・・。
パーティーの次の日は日曜日なのに、私は仕事。
久しぶりに上京すると、友人たちの話はなかなか尽きず、終電に間に合わないのはよくあるパターン。
今夜はどこかに泊まるか、決まらないまま出かけてしまったので、帰りの車に備え飲まず我慢していたら、「今夜はうちのところで泊まれば」。
あらかじめピンチヒッターを確保、交代した分は来週私が出勤することになっているので、お言葉に甘え、友人の新居にお邪魔しました。
「酒」の付くサインネーム、かなり酒豪のご夫婦です。 パーティーは8時頃終了のはずだが、お店の前で手話だけ飛び交う立ち話が結構長かったうえ、久しぶりの友人たちと居酒屋へ。
友人の家に到着したのは深夜0時過ぎだというのに、とても美味しいおつまみまで用意してくださったのはとても感激。
(突然の訪問、ご迷惑をおかけしました)
ずいぶん前に差し入れた青ヶ島焼酎の「あおちゅう」を大事にとっておいてくれました。
アルコールが35%もあるので、ロックで飲むと酔いがすごく早いです。
青ヶ島に興味を持って頂けるように地域振興のPRを兼ね、あおちゅうやひんぎゃの塩など差し入れているので、これは私が一気に飲むのではなくご家族でゆっくり味わって頂きたがったな・・・。(笑) 味噌を使ったお料理がお得意のようなので、うどんを頂きました。
鶏肉たっぷり、うどんもモチモチ。
とても美味しかったよ!ありがとう。
明晴学園の教師としてご活躍されている、び~ん先生(右側の新婦さん)にお呼ばれしましたので、上京してきました。
司会、スタッフの方も全てろう者の方で、会場もアットホームさ全開。
出会いのきっかけなどのクイズやお二人さんが相手のことをどう思っているかの映像も公開、とても充実していて、楽しいパーティーでした。
おふたりさん、末永くお幸せに・・・
お料理はバイキング形式でした。
新郎さんは釣りが趣味なので、ほとんど魚料理になっているのは納得できました。
クイズで全問正解だった方は1人だけ、目録はなんと、大きな魚が釣れたら贈るということでした。
びーん先生も釣れたての刺身をほとんど堪能できるようになるのでは、と思います。
さらにビックリしたのは・・・パーティープログラムの表紙。
後ろに柵があって、ここから見える景色のガイド板が見えます。
もしかしたら、小笠原父島の三日月山展望台!?(地元では「ウエザーステーション」と言い、水平線に沈む夕日が絶景のポイント)
この写真を見ただけで場所を特定できたのは、もう1人、小笠原が大好きなチャンナラさんでした。 今から4年前の2005年7月末、父島のウエザーステーションからの眺め。
7月末だというのに、17時50分頃はこの明るさになります。
東京駅の東経139度45分に対し、父島は142度9分、北方領土の国後島(北海道・根室より東)と同じくらいなので、日没が本州に比べると非常に早いです。
船が南下するたびに根室と同じくらいの東側にずれてしまうので、夏真っ盛りなのに日が暮れるのが早いなあと思っていたのは、そのような理由だったのです。
(ちなみに青ヶ島は東京駅の真下に位置しているので、日没時刻は東京と同時刻)
すっかり話をそらしてしまいました。
お二人さんの思い出の場所を表紙で飾っているので、きっと今度もまた行かれるかなと思います。
今日は本当におめでとうございます
故郷の山口県・山陰本線沿いに住んでいたころの話になってしまいます。
年に1回のダイヤ改正を楽しみに改正号の時刻表を買ってきては一喜一憂していたころを思い出してしまいました。
首都圏はわざわざ時刻表を買わなくても待てばすぐ電車が来てくれるのに、田舎は1時間ないし2時間に1本。
今度はきっと増発するかな?と思っても、数分違わないだけなので、しょっちゅうがっかりしていました。
当時は時刻表を見なくても全て暗記してしまったのか、10年前に比べるといくつかの変更点が見られました。
JTB時刻表が999号になったのは4月、目を引くような銀河鉄道999の表紙になっていました。
5月号は別冊特別付録の「戦後復興初編集 全国鉄道路線図」もついていて、とても興味深い内容。
この時刻表の創刊号は、大正14(1925)年4月号の「汽車時刻表」。
本文は創刊号から1000号までの表紙が載っています。
昭和19(1944)年から昭和20(1945)年の戦時中でも発刊し続けたが、冊子ではなく紙1枚だけのものや、通巻番号をもとに捜索中だったり、不明だったり・・・。
表紙だけではなく、昔の路線図や時刻表編集部で正確な図面作成方法などなど・・・読んでいて楽しい本でした。
創刊号に載っていた、東京から東海道・山陽・九州方面の時刻表は・・・(大正14年)
列車番号1【特急】 グリーン車・A寝台・食堂車・展望車 連結
東京 8:45 → 横浜9:26 → 名古屋16:37 → 京都 19:30 → 大阪 20:20 → 岡山 23:55 → 広島 3:44 → 下関 8:30
(主要駅のみ)
列車番号3【特急】も下関行き、全席指定・食堂車 1号より30分の差で運行
東京から下関まで1000キロ、特急なのに24時間。
東京から小笠原・父島までも同じ距離、「おがさわら丸」で25時間半。
大正14年は「特急」と名乗っていても、「おがさわら丸」とあまり変わらないくらいの時速40キロだったかな。
ここからは未来の時刻表。平成23(2011)年春から運行予定
列車番号1101A 【さくら101号】
新大阪 10:00 → 広島11:30 → 小倉 12:22 → 博多 12:43 →(新鳥栖・久留米・筑後船小屋・新大牟田・新玉名は通過)熊本13:29 →(新八代・新水俣・出水・川内は通過)鹿児島中央 14:03
創刊号に載っていた、東京から東北・北海道方面の時刻表は・・・
列車番号203【急行】 グリーン車・A寝台・食堂車 連結
上野 13:00 → 大宮 13:40 → 宇都宮 15:30 → 福島 19:29 → 仙台21:25 → 盛岡 1:34 → 八戸 4:24 → 青森 6:30
列車番号 3 青函連絡船/急行
青森 7:55 → 函館 12:25 (ここまでは船)
函館 13:17 → 小樽 21:26 → 札幌 22:14 → 根室 15:49 (急行)
今の時代、上野を19時3分発の「北斗星」に乗れば、札幌には翌日の11時15分到着。(およそ16時間)
大正14年は函館に辿り着くのに24時間、さらに札幌まで34時間。
東京10:00 → 母島 (翌)14:40(おがさわら丸とははじま丸)
計算してみたら、28時間40分。比較してみると昔は東京から札幌に行くのに母島に行くより長かったみたい。
ここからは未来の時刻表。平成28(2016)年から運行予定
列車番号201B【はやて201号】
東京10:00 → 仙台 11:34 → 盛岡 12:16 → 八戸 12:46 → 新青森 13:06 →(奥津軽・木古内は通過)新函館 13:45
東京からわずか3時間45分で北海道の大地に踏むことになりそうです。
この新聞記事は5月20日付けの朝日新聞。
この画像は長崎県にお住まいのろう者に転載の許可を頂いています。
mixiの会員でなくても軍艦島の上陸問題についてご覧いただきたいと思いますので、掲載しました。
長崎県大村市の荒木加代子さん(46)ら聴覚障害者3人は1日朝、長崎港ターミナルのやまさ海運の窓口で、社員から筆談で「契約書にも、障害の方は上陸出来ないとある」と断れた。事前にインターネットから申し込んでいた。ネットに掲載されていた契約書には「見学施設区域以外の区域に立ち入らない」「安全に利用するのに、適した衣服・靴を着用する」と並んで「身体障害者、車イスなど1人で歩行が困難な方は、当分の間、上陸出来ません」とあった。だが、1人で歩ける聴覚障害者までもが参加出来ないとは思わなかった。「友人2人は大阪から来てくれたのに、申し訳なかった」と悔しがる。
長崎県聴覚障害者情報センターには、4月22日の上陸クルーズ開始以来、同様の苦情が10件以上寄せられている。18日にも福岡の聴覚障害者夫妻が駆け込んできた。本村順子所長も会社が何故断ったのか分からず、応対に困った。「手話通訳が一緒なら問題はないはず」
やまさ海運の伊達昌宏社長は「乗船出来なかった人には申し訳ない。障害者への認識不足や説明不足もあった。」と陣謝する一方、「予想外に予約が殺到し、人手が足りない」と打ち明ける。同社のクルーズでは、安全誘導員6人が見学者200人を誘導する。「緊急時に聴覚障害者をすぐ、船に戻すことができるか。まだ自信が持てない」という。
クルーズを運航する2社のうち、もう1社の「高島海上交通」長崎市は「うちは1便40人で対応しやすい事情もあり、自力で歩ける方なら制限していない。
やまさ海運は安全を優先して慎重になっているのだろう」と話す。
長崎市の「長崎市端島見学施設設置条例」は上陸制限を設けていない。
市文化観光総務課の外園秀光課長は「障害者を差別しているわけではなく、泥酔者や、ハイヒールを履いた人も上陸出来ない。
『障害者』とひとくくりにするのではなく、1人1人を上陸出来るか、丁寧に判断してほしい」と促す。現在やまさ海運と新しい上陸基準を協議しているという。
朝日新聞 平成21年5月20日
ゴールデンウィーク、はるばる大阪から訪ねてきた友人の分もインターネットで申し込み、乗船前に「障害者は乗せられない。契約書に書いてある」といきなり門前払いにされた。
ろう者は1人で歩けるはずなのに、その対応は納得できないという内容でmixiに書かれてありました。
これは大きな社会問題であると判断した私が長崎市役所にメールで下記内容(一部)を投書しました。
「長崎市のお住まいの方が、軍艦島上陸のツアーがオープンしたばかりなので、インターネットで大阪からの友人の分も予約を取りました。
ところが、いざ乗船前に「身体障害者は乗せられない。誓約書に書いてある」と門前払いにされて、非常に悔しい心情をネットに投稿されているのに見つけました。
利用しようと思ったのは「やまさ海運」、ホームページにも誓約書が載ってあり、「身体障害者は乗せられません」としか書かれていません。
身体障害者手帳を持っているだけでも、いきなり門前払いとは障害者を差別しているように感じるといったような内容です。
聴力障害者は「声」によるコミュニケーションを除き、筆談や手話などでのコミュニケーションもできるはずです。
障害者はどうしても乗せられないのなら、何かしらの理由があると思うのですが、その理由を明確化そして、誓約書に記載しないとわれら障害者団体は納得できずに抗議の意を強く示すようになります」(以下 略)
去年夏、念願だった御蔵島に上陸できました。御蔵島は最初から障害者を排除するつもりはなく、歩けない方でもドルフィンスイムツアーに参加できるように可能な限り対策を考えて下さいます。
「緊急時に聴力障害者をすぐ、船に戻すことはできるか。まだ自信が持てない」と書かれていますが、ろう者は耳ではなく、「目の人」です。
まわりが何か騒めくようなことがあると、これはきっと緊急事態かもといち早く察知する能力を生まれつき持っているので、問題はないかと。
音声日本語を理解できない外国人は乗せられるかどうか、もう1度上陸できる基準を見直してほしいと思います。
ハン尚宮(母)の健康診断結果通知書に「高血圧の疑いがあります」とハンコが押されていたため、2週間くらい前、病院へ連れて行きました。
とても大きな病院なので、待ち時間はおよそ3時間くらい、診察も長いだろうなと思いきや、わずか10分!!
3時間待って、「血圧を測る機器を購入し、2週間は朝起きたとき、寝る前のデータを採取してください。そのデータを見て考えましょう」で終わり。
長く待ったので、もっと診て欲しいなと思ってしまいますが、仕方がありません。
ゴーヤは高血圧や糖尿病改善、ダイエットにも効果があるので、ペットボトルを買う代わりに生ゴーヤを毎日1本。
今の季節はほとんど沖縄県、鹿児島県、熊本県あたりの南九州から入荷。
触ってみて、ふにゃふにゃになっていれば、腐っているもの。
パリっと張っていて、ツヤとみずみずしさがあれば、新鮮。
連日のようにゴーヤを使った料理ばかりで、今夜は「夏野菜たっぷりゴーヤカレー」でした。
メインはゴーヤ、なす、赤ピーマンなどなど、カレー粉からの手作り。
測定を始めてから高血圧と判断される140以上を超えていませんし、1週間前の平均数値よりは10下がっていました。
やはりゴーヤ効果ですかね?
夏の間は沖縄人、白菜が出回るようになる晩秋からは韓国人の食生活を真似て、健康維持に努めようかと思います(笑)
図書館で見つけたもの。
表紙を見ただけで、「もしかしたら、利島(としま)かも?でも、とんがりコーンみたいにてっぺんがとがっている島なので、ちょっと違うかも?」と借りてみました。
目次を見たら、やはり利島が収録されていました。
いきなり「利島(としま)」と言われても、どこにあるかあまりピンと来ない、伊豆諸島の中で存在感の薄い島です。
クローズアップされている島は日本一最少ミニ自治体の青ヶ島とドルフィンウォッチで脚光を浴びている、御蔵島。
この3つの共通点は「日本3大・船の欠航率が高い島」だそうです。その代わり、空港を持つ八丈島・三宅島・大島を結ぶ東京アイランドシャトル(ヘリコプター)が発着しています。 この本の著者は取材のために利島に向かうが、「本船は高波のため利島に寄港しません。新島に向かいます」とアナウンスがあり、上陸できなかった。
再度のリベンジは1泊するつもりなのに、低気圧の接近により明日以降は波が3メートル以上の日が続きそうなので、午後の高速船で東京へ。
わずか7時間の島滞在だけなのに、見聞記いろいろ書かれています。
本書は伊豆諸島の中で収録されているのは利島のみ。
表紙は利島かと思っていましたが、実際は香川県多度津町の「高見島」でした。
1泊2日の小島旅 著者:カベルナリア吉田
出版社:阪急コミュニケーションズ
定価:1600円+税
発刊年月日:2009年4月22日
ISBN:978-4-484-09207-2 欠航率が高い島だというのに、それを臆せず「そうだ、利島に行こう」と思いつきで行ったときの資料。
あれは確か2000年の夏なので、9年前。
村役場で地図をもらい、それを頼りに南ヶ山園地に行きました。
そのときのデジカメ写真は撮ったような記憶はあると、調べてみたら、画像が少なすぎる!!せっかくデジカメを持っているのに、当時の私は無頓着すぎたかなぁ?
ここは利島のメインストリート。
御蔵島もそうだけど、こういう急な坂道が多いです。
1つの島に2つ以上の港を構えていれば、風向きにより凪なほうに寄港できるようになっていますが、桟橋が1本だけ突き出ては、ちょっとした波でも欠航になる確率が高くなってしまいます。
海の歴史広場に行ったはずなのに、写真1枚もないなんて・・・。
民宿では伊勢海老やサザエなどの豪勢すぎるお料理ばかり出ていたのに、それを撮り忘れてしまいました。
利島も今度いつかはリベンジし、徹底取材をしようかな・・・。
パンフレット、冊子などなど・・・・内容が古く、保存する価値がなくなった時点でまとめてゴミを出しているのですが、こんなにたくさんあってはゴミ出しが大変になってしまいそうなので、少しずつ処分。
処分しようと思ったものにANAの機内誌「翼の王国」が出てきました。
ご自由にお持ち帰りくださいと書かれてあっても、荷物が増えてしまうので、たいていは座席に戻して降りてしまいます。
わざわざ持ち帰ったのは何かわけがあるかも?とパラパラ・・・とめぐってみたら、納得しました。
2001(平成13)年10月1日発行、通巻388号、今から8年前。 読者はほとんど日本人を対象にしているのに、なぜかタイトルは英語になっていますね・・・。
Small but Wild は「小さいけど、不思議」という意味になるかな。
このシリーズはANAの就航先をターゲットにしているかどうか、この号の前後を見ないとわかりませんが、青ヶ島を紹介するなんてビックリ。 凧の絵は青ヶ島を象徴する「源為朝(みなもとのためもと)」とは名前だけ知っていたけれど、どんな人だったのか今まで知りませんでした。
都で保元の乱(1156年)に敗れ、伊豆大島に島流しされたのは20歳になったばかり。
武将の家柄に生まれたので、幼いときからすごく暴れん坊。
13歳のときに親の勘当を受け、都も追われ、九州にやられたが、いっこうに改心を見せずに乱行は激しくなる・・・と書かれていました。
ネットでいろいろ調べているうちに・・・
伊豆大島へ流刑された10年後(1166年)に鬼の子孫で男ばかり住む、鬼が島に渡り、島に葦が生えていたことから「葦ヶ島(あしがしま)」とも呼ばれていた。
為朝が葦(悪し)の音を嫌って、「青ヶ島」と名付けた伝説があるそうだ。
その後、伊豆諸島を為朝が支配するようになったため、伊豆大島では結婚して島に移住した本土出身の男性を為朝の剛勇ぶりにあやかり「ためもとさん」と呼んでいるそうです。 65ページに載っていた、手書きの青ヶ島マップ。
BEST POINT(ベスト ポイント)
SEA VIEW(シービュー)・・・海岸の眺め
と書き込まれた場所が気になります。
5回目の青ヶ島はまだ見ていないところにリベンジ!?(笑)
わが故郷の伯母から送られてきた、初物のグリーンピースご飯。
いつも同じ宅配業者なので、出かける途中、道ですれ違うと(あっ、今日はお届け物ありますよ。家に持っちゃっていいですか?)と簡単な身振りを交わすほどの顔見知りになってしまいました。
青ヶ島名物の「ひんぎゃの塩」を少々まぶして出来上がり。
ひんぎゃの塩の在庫もうなくなったかも?また注文しようかなと思ったら、知らないうちに取り寄せたものがたくさん残っていました。
世界で一番美味しいお塩は黒潮の流れる絶海孤島の青ヶ島、地熱蒸気で仕上げた「ひんぎゃの塩」。
最近は「ひんぎゃの塩」を使った、新製品が発売されたそうです。 画面は 青ヶ島に暮らす +++1/200シンプルライフ+++の記事、
「ひんぎゃの塩 ドロップスとひんぎゃの塩クッキー」から引用させていただきました。
10年前、初めて青ヶ島に訪ねたときのお土産は「ひんぎゃの塩」「あおちゅう」「パッションジュース」の3種類しかなかったのに、最近はとびくん燻製、鬼辛、ひんぎゃの塩を使った羊羹、牛祭りのTシャツ、池の沢のウコン・・・・などなど品目が増えてきました。
日本一小さな「村」だというのに、可愛らしいデザインのドロップスやクッキーまで新しい商品が出ているのにオドロキ!!
青ヶ島が大好きな方でしたら、喉から手が出るほど欲しくなっちゃうかも・・・。 グリーンピースをゆでたもの。
無農薬の自家製なので、安心して皮のまま頂きました。
少し甘みがして美味しかったです。
冷凍ボックスに入っていた、天然の水イカ(西日本では「あおりいか」を「水イカ」と言うそうです)
我が家では東日本の醤油に馴染めず、いつも山口から取り寄せた醤油を使っています。
今日は気分により青ヶ島の刺身用島タレをつけて頂きました。
贅沢な夕食のひととき、ありがとうございます。
わが故郷、山口県の銘菓をご紹介したいと思います。
もともとは同じ県民だったよしみで、ゴールテンウィークの帰省中に宅配便で届けてくださいました。
ご出身が最東端の「周防大島」なので、名物「みかん」のカステラのような味でした。
甘さ控えめで美味しくいただきました。ありがとうございます。
周防を「すほう」と読み間違え、何度か変換を試みても正しい漢字は出て来ません。
辞書で調べると、周防は「すおう」と読むそうだ。
山口県の地図を広げると、自分の故郷のところに目が行ってしまい、東側の知識に疎かったかも・・・。 今度は最西端の銘菓、「二見饅頭」。
昔から変わらずの素朴な味、東京に帰る前のお土産によく利用していました。
開業はおよそ80年前なので、右から左に読むもので「ときわ屋」を「わきと」と刻印されています。
山口の田舎で暮らしていた頃は日常の「おやつ」にしていなかったのに、遠く離れてしまった今、懐かしさもあって美味しいです。