本来ならこの時期に檜原村(東京都最西端)の紅葉鑑賞に行くつもりだった。
「鋸南町(きょなんまち)の保田あたりに「ばんや」という漁協組合直営のお食事処があって、1日4組限定の宿泊客を受け入れるらしい。しかも刺身とか大盛りで出されるとか、よくテレビで宣伝しているよ」とチャングム。
チャングムは魚介類が苦手のはずなのに、鮮魚が大好物だという両親のために情報を教えてくれた。
「ばんや」のホームページにアクセスしてみると・・・・
大きなお食事処、温泉ではないけど人工の炭酸温泉、和室4部屋。
それだけでは情報が十分ではない。
実際に行ってみようということになった。
去年の今ごろは檜原村に行ったが、まだ真っ赤に染まる風景ではなかった。
檜原村へは11月下旬に行くとして、今回は「ばんや」へ。
出発前夜、チャングムからメールが入った。
「明日は朝9時半に出発しよう」
「えっ!?ここからは近いでしょう、わざわざ朝早くから行っても・・・」
「ばんやは11時半頃になると長い行列ができるので、早めに行かないと」
「えええーっ、明日の昼は魚、夕食は宿での魚料理が出るし、翌朝の朝食も。魚ばっかりでいいの?」
魚介類が苦手なはずのチャングムが積極的なのは、これは何かあるかも?
そして、10月30日(月曜日)朝、出発。
君津あたりまでは京葉工業地帯、一般道路で行ってもうんざりするので、高速で終点の君津まで飛ばした。
「そろそろ運転代わろうか」
田舎道にセブンイレブンとかのコンビニをあまり見かけず。
上総湊駅前通過。
それでもコンビニ見つからず。 「竹岡駅」の標識が出ていたので、駅前の駐車スペースで運転交替。
出札窓口や駅事務室が閉鎖されていて、無人駅。
首都圏の無人駅に多い、suicaの簡易読取機が設置されているのだろうと思ったら、なんと置かれていませんでした。
漁港に面した保田漁協組合の前に「ばんや」の大きな看板が出ているお食事処を見つけた。 いかにも漁村らしい雰囲気が漂っていますね。
まるで山口に帰ったような気分。
このお店の目玉は「イカかき揚丼」。
どんぶりを覆いつくすほどの量にビックリ!
(800円)
1人で食べるよりも数人に分けたほうが良さそう。 「朝獲れ寿司」(850円)もお勧め。
全部で10カン。
色々なネタが詰まっている16カン1450円もあったけど、腹八分にするのなら、これ。
シャリもでかいので、これだけでも十分満腹になる。
味覚にうるさいハン尚宮(母)の評価が下された。
「ネタはものすごく新鮮。だが、塩っぽさ醤油でせっかくの食材を台無しにしている。
イカかき揚丼のタレは美味しく仕上がっているので、ごはんも進む。
寿司のシャリは千葉のお米が使われているのだろう、あまり美味しくない。
新鮮なネタを生かすのなら、醤油の品質、お米も東北産などの改善をしてもらわないと」
もし、ここがチャングムワールドだとしたら、このままでは国王さまに献上できぬ。
醤油を変えたり、お米を東北のブランドにすれば、パーフェクト。 「こいつは何やってんだ!?」と言いだけなワンちゃん。
このワンちゃんは「ばんや」で飼われているみたいだけど、吠えたり、咬みつかない。
何枚か撮り、やっとカメラ目線になったところで何だか怒っているような表情になってしまいました。(笑)
土曜日、国王さまがお帰りになったときはここで休憩なさったらしい。
「澄みきった青空」
そのブログを読んだ、ドックおじさん(父)が真似したかようにサンルームでしばしの仮眠中。
今日(10月29日)の朝から雨が降ったり、曇りの隙間から太陽が覗き込むだけで少し肌寒い。
「国王さまがお休みになられたときと同じ条件ではないっすよ」と起こしてやった。(笑)
ついにやって来ました、ボロ房線にやっと新しい電車。
と言いつつも、新宿湘南ラインの真新しい電車を宇都宮線・高崎線に多量に投入されたため、使い回しを房総各線に譲っただけ。
房総を走る電車は1962(昭和37年)に作られた、古めかしい国鉄の電車が現役で走行中。
君津より南は単線になり、4人掛けのボックスを1人占めにして、太平洋の海を眺めながらの旅は快適だが、君津~千葉間は利用者が割りと多く、4人掛けボックスも全部埋まってしまう。
昭和30年代といえば、小柄な人間を標準サイズにしているのか、ものすごく狭くて座り心地が悪い。昔は足の短い人が多かったのか、向かいに座っている人のひざとぶつかりあうことも。
東京方面に出かけるときは窮屈なボロ電車に乗りたくないと総武快速線に乗り入れる快速電車を調べてからにしている。
明日から南房総へ家族小旅行、何かよいところはあるのかなとホームページをいじっていたら、電車の墓場・房総にやっと新しい電車が入るという記事を見つけ、JR千葉支社にアクセス。最近、営業運転が始まったらしい。
まず総武本線、来月からはボロ房線に入るらしいだけど、本数が少なすぎる。
1979(昭和54)年から30年近く走り続けている中央線オレンジ色の電車も年内に新型に置き換え。
中央線だけではなく、奥多摩~立川の青梅線、檜原村の玄関、五日市線も一斉に新しくなる。
同じJR東日本だというのに、千葉支社だけは山手線のお古や他のところで活躍していたところのお下がりばかり・・・<(`^´)>
チャングムのマナちゃんって今どうしているのだろう?と気になり、ハン尚宮(母)とチャングムの家へちょっとお邪魔してみました。
すると、部屋の奥から「誰か来たニャー!?」とダッシュ。真っ先に飛びついたのは、やはりハン尚宮。
ハン尚宮の足元にしっかりしがみつき、なかなか離れそうとしなかった。
ハン尚宮が「アイゴ!?(「おや!?」のニュアンスの韓国語)わたしのこと覚えているのかしら!?」とビックリ。
私が抱っこしようとしても嫌がり、すぐハン尚宮のところに逃げられてしまう。
「何でわたしのこと好きなの!?」と手話で話しかけるハン尚宮。
「何と言っているのだニャー?」と不思議そうに手の動きを注視するマナちゃん。
わが家でハン尚宮がチャングムの代わりにミルクをやったり、排泄の世話をしたことがあるので、その温もりを忘れられなかったのだろうか。
実はマナちゃんも国王さまの温もりを本当の母猫だと勘違いしたのか、手のひらですやすや眠ったことがある。
久しぶりに国王さまがお帰りになったときの反応はどう出るか、楽しみ(笑)
ハン尚宮がチャングムにこう話しかけた。
「この前、ジョンホ君の釣ったアジを戴いたときの話だけど、ドックおじさん(父)が軍手をはめ、さばいた。
軍手をよく洗い、高いところに掛けておけばよかったのに、適当な場所にかけたところ、お腹を空かせた野良猫が軍手をかじったのか、ボロボロになっていた。その野良猫はアジのにおいが付いているからと軍手を食べるなんて、哀れなんでしょう・・・」
野良猫は自力で食べ物を探さなければならないし、交通事故も見舞われたりするので、平均寿命は2~3年。
人間に飼われると10年以上は生きられる。
ジョンホ君に拾われたナマちゃんはすごく幸せ~(^o^)/
また買っちゃいました。チャングム。
「チャングムの誓い」を見終えてからもう1年経とうとしているのに、今でもまだ余韻が続くのは、いつまでも記憶に残るドラマの作品だったからでしょう。
この間、図書館に新刊本の見計としてこの本も入荷。
受け入れるかどうかは選書会議で決めるわけですが、わが図書館では韓国語の原作本から日本語に翻訳された本、韓国ドラマガイド「チャングムの誓い」(前編・後編・特別編)などなど多数所蔵あり。
チャングムばかり偏るといけないという理由もあり、購入は見合わせ。
それでも読みたければ、所蔵している図書館から協力車で相互貸出も可能。
・千葉県内図書館横断検索 で検索してみたところ、県内で浦安市立図書館の1冊のみ。しかも予約待ち12件。(10月24日現在)
町田市・・貸出中
調布市・・貸出中
目黒区・・予約13件
西東京市・・発注中、予約2件
荒川区 貸出中
北区・・貸出中。(いずれも10月24日現在)
待ちきれないので、ネット通販のアマゾンで購入。
ヨンエさんが韓国語で書かれた本だけど、翻訳者が日本語の原稿を作成、その原稿を韓国語に再度翻訳し、ヨンエさんに日本語への誤訳はないかとチェックされた、重みのある本。
この本の著者印税は、貧困や災害や病気に苦しむ人々の救済のために寄付されるとのこと。
まるでドラマで演じたチャングムみたいに素晴らしい人なんだろう・・・。
この本は時間があったときにゆっくり読もうと思っている。
新聞の番組欄にテレビ東京「徳光和夫の感涙!時空タイムス 新聞の紙面を飾ったあの人を大追跡!」を見つけ、チャンネルを回した。
「1964(昭和39)年10月1日、午前6時。
東京駅で夢の超特急 新大阪行き ひかり1号」の開通式が行われたという新聞記事。
時空タイムスのリポーターが当時の運転士、車掌、国内初でしかも1番乗りの1号車1番A席の乗客、ラジオの実況中継アナウンサーを大追跡。
「あなたに会いま~す」と実際の人物を取材し、当時の思い出を蘇らせるようなドラマ付きで放送。
しかし、運転士は残念ながらお亡くなりになられましたが、車掌さんは健在。京都にお住まいで81歳。
彼は記念すべき「ひかり1号」の車掌に抜擢し、東京から新大阪までの4時間をすべて鮮明に覚えていらっしゃるそうです。
時速メーターが付いているのはビュッフェ(食堂車)だけなので、速度200キロを達成するメーターをこの目で確かめたいとこった返したり、「富士山が見えるようになりました」と車内アナウンスがあったとたん、左側に座っていた乗客がいっせいに右側に移動し、写真撮影をしたり、名神高速道路の併走する区間では自動車を追い抜くシーンに乗客は大感動。
午前10時、「ひかり1号」は新大阪駅到着。ここでも「第1号の到着式」が行われた。
新幹線第1号車掌の大役を果たした、車掌さんはその日の勤務を終え、自宅に帰ると頭付きのタイが食卓に並んでいました。
1号車1番A席の指定席に座った人は・・・・現在76歳。
今みたいにコンピューターで発券されたものではなく、厚紙にあらかじめ印刷された硬いキップ。裏の通し番号も1番。何でも1番尽くし。3日間並んでやっと1番のキップを獲得したとのこと。(開業当時の「ひかり」は全車両全席指定席)
そのキップは今でもご自宅の金庫で大切に保管されている。
昭和39年の「ひかり」は東京から新大阪まで4時間。
あれから40年経過し、わずか2時間半に短縮、4時間あれば山口県内を通過中。
指定席も昔は窓口に並ばないと買えなかったけど、今だとクレジットカードさえ持っていれば、わざわざ駅に行かなくても自宅に居ながらパソコンで予約。
(キップの受け取りは予約したJR会社と同社の駅でなければならず、ネットで予約しておきながら旅先などのJR他社での受け取りはできないので注意)
新幹線のネットワークも広がり、将来は最南端の鹿児島中央駅から札幌駅までの1本のレールで結ぶ計画が出ているらしい。
今のところ、鹿児島中央から八代まで九州新幹線、八代から博多までは工事中なので、新幹線リレー特急で博多まで結んでいる。「のぞみ」「はやて」に乗り継ぎ、青森県の八戸に着くのに要する時間はおよそ11時間。
インターネットで本が買えるアマゾンにログインすると、「お勧めの商品があります」。
過去に購入した本のジャンルをコンピューターが解析し、それにふさわしいジャンルの新刊本が出ると自動的に表示される仕組み。
その中で目を引くのは、イ・ヨンエ(チャングム)の誓い 2007年カレンダー。
そういえば、今年も11月を迎えてしまえば、残り1枚になってしまう。
(切り取った今までのカレンダーはちゃっかり保管中だけど、過去のカレンダーを再び表示できない寂しさもある)
来年もまたわが家に居て欲しいと即注文。
アマゾンの発送元は千葉県浦安市なので、注文した翌々日にはもうお届け。
韓国では2003年に放送、あれからもう3~4年経つのに、清らかで麗しいヨンエさんの人気が今でも衰えないのですねぇ。
このカレンダーは家族がよく目につく、オープンカウンターの側面に飾っている。
「今日も家族の健康を守って下さいますように~」といつの間にかに念ずるようになったので、来年からは急に居なくなってしまうとたまらないのです。(笑)
と言いつつも、近くにわが家の健康を心配してくれる看護師のチャングムが居るので、本当に助かっています。(笑)
図書館のブックトラック(本を一時格納するキャスター付き)に「阿蘇・黒川温泉」のガイドブックを見つけ、ふと思い出しました。
両親が千葉に転居する前までの年末年始は必ず国王さまのお気に入りの黒川温泉。
お年玉に現金というよりも、1年間の疲れを癒してあげようと温泉旅行に連れて行くのがわが家の恒例行事。
しかし、泊まったことのある旅館の名前がなかなか思い出せません。
地図を広げ、私たちのたどり着いた場所はこのあたり・・・・、あっ!2001年は「壱の井」、2002年は杖立温泉の「わかのや」、2003年は「奥の湯」。
2004年は転居まもなく温泉旅行とは大変なので、中止、去年はえっと、何だったっけ?
山口の海を思い出せるところの千葉県館山市。
名前は・・・さっき、国王さまのブログを覗きに行ってみたら、「平砂浦ビーチホテル」。
あの旅館はよかったな、料理がとても美味しかったな、とても印象に残っているのに、名前がなかなか思い出せないのは自分で選んだのではなく、国王さまが予約などの手配をしたからでしょうか。 2001年 黒川温泉「壱の井」
2002年は杖立温泉の「わかのや」
残念ながら写真は見つかりませんでした。
昭和4年開業の民芸調の宿なので、レトロっぽさが漂う、素朴な宿。
個人的にはまた行ってみたくなる宿。
檜原村の「たから荘」に似ているからでしょうか。 2003年は黒川温泉の「奥の湯」。
私たちが泊まったのは新館、露天風呂付きの和洋室。
年末の特別期間なので、1人25万ウォンもしたらしい。
「山口から黒川温泉までの往復運転手報酬だ」と私の負担を軽くしてくれました。
露天風呂から眺める風景は格別。お湯もとてもよかった。
「奥の湯」に泊まった次の日は湯布院温泉(大分県)のホテル。
敷地内に個室の露天風呂が付いていたり、いろいろなタイプの温泉もあった。食事もフランス料理といった、洋風のホテルでした。(名前は思い出せません・・・)
「今年も国王さまがどこかに連れてもらえるのかな?」
「卒業論文の締め切りが年明けなので、帰ってきても追い込みで忙しくなるかも?」
「まあ、期待せず、国王さまの成り行きに任せましょう」
ドックおじさん(父)もハン尚宮(母)も楽しみにしているらしいです(笑)
やっとInternetExplorer7.0の正式版が10月18日(アメリカ時間)リリースされました。
日本時間は19日、新しいものに目がない私は速攻でインストール。
英語版になっていますが、日本語のフォントでもきれいな表示になっています。
しかし、ツールバーの表示はすべて英語。
英語版の次にリリースされるのは、アラブ語、フィンランド語、フランス語、ドイツ語、日本語、スペイン語の6ヶ国。
11月からは来年1月にかけて段階的に他の言語バージョンがリリースされる予定。
なぜ、6ヶ国だけ優先的にリリースされるのだろうか?
アジア各国の中で日本語版が先にリリースされるのは嬉しいけど、隣の韓国や中国は後回しにされていますね。
ハングル版のパソコンを持っているのだけど、漢字の画数が多ければ、文字も大きくなり、画数の少ない漢字だと小さく、見た目ではアンバランス。
アルファベットと漢字は相性がよいのか、英語版は漢字でも日本語版と対等なフォントになっています。
正式版のバージョンは 7.0.5730.11
正式版リリース前のRC版は 7.0.5700.7
お試し期間で無料で使えるoffice2007 β2版は結構重たいし、office2003との互換性にバグが出ているみたいなので、アンインストール(削除)してしまいました。
・ITニュースの記事
図書館のカウンターで自分の興味のありそうな本が返ってきたら、その場で貸出。
借りてきた本は自宅でゆっくり読んで翌日に返し、また別の本を貸出なので、巨大な書庫を抱えているような感じ。
2002年5月発刊の「日本の秘境」(平凡社)の本に「小笠原」に関する記事を見つけた。
全国各地の秘境絶景の写真やガイドが載っているが、東京都内の秘境はやはり伊豆諸島・小笠原。
小笠原・母島へは何度か訪ねたのに、「石門鍾乳洞」は未踏。
北部の北港や北村小学校跡に向かう途中、「石門鍾乳洞」の看板を見つけたが、「立入禁止 ガイド同伴で入山してください」という注意書きも添えられていた。
よし、今度は石門鍾乳洞へ探検するぞ!と思いつつ、本文を読んでみると、なんとザイル(登山用のロープ)と照明器具は必須。
奥多摩の日原鍾乳洞、大岳鍾乳洞は電灯が取り付けられているが、そちらは自然が保たれたままの状態になっていますねぇ。
ふらりと母島に行けたら、この場所に訪ねてみたくなるが、「太目の人には通過不能な洞口をすり抜け・・・」の文、気になりますな・・・。
昨日は東京スピード観光、今日はの~んびり田舎で過ごし、最終便の「のぞみ」で帰郷する日。
ドックおじさん(父)は山口の実家で理容店を経営していたときの商売道具をそのまま千葉に持ち込み、月に1度はドックおじさんに散髪をしてもらっている。
友人も現役の理容師なので、ドックおじさんの頭を散髪。
私も髪が伸び放題、白髪だらけでものすごく老けているかように見えるので、次いでに散髪、しかも白髪染めをしてもらいました。
若返ったかような気分、まるでテレビ番組の「田舎に泊まろう!」の一晩一飯の恩義ですかね・・・(笑)
駅で見送るときも改札機の前で友人の姿が見えなくなるまで手を振り、友人も時々後ろに振り返るのも、テレビ番組に似ていますねぇ。
今日は私が山口の実家で暮らしていたときからの友人が上京する日。
友人は理容店のオーナーなので、なかなか休暇が取れず、今月からは毎月第3日曜日と月曜日を定休日とすると定めたので、念願だった上京。
2泊3日なら、私の得意な奥多摩や檜原での~んびり1泊して、次の日に私の家で1泊のスケジュールを組められるが、1泊してすぐUターン。
半日でスピード東京観光になり、リクエストがあったのは映画「夕日三丁目」で有名になった東京タワー、亀有駅北口にある「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の両津像。
東京駅→(都営バス)→東京タワー→六本木ヒルズ→(日比谷線で御徒町)→上野のアメ横→(常磐線)→亀有→(武蔵野線~京葉線)のコースを組んだ。
実は都心はいつも素通り、奥多摩に行くときに首都高速で何度か東京タワ-を見かけたが、展望台に行くのは初めて。 のぞみ6号が東京駅に入線する前に撮影したもの。
到着時刻は12時30分、一息付く間もなく、20分後の12時50分に博多に帰っちゃいます。
朝7時17分、東京に出勤、東京駅で20分間の休憩、17時57分に博多に帰着。博多から東京まで往復およそ2400キロを10時間半。
私が小学生だったときの「ひかり」は小倉から東京まで片道6時間かかったというのに大幅に短縮されていますねぇ。
浜松町駅から歩いて行けるが、皇居、国会議事堂など東京の名所が一気に見られるバスで行ったほうが良さそうなので、バスで東京タワーへ。
東京タワーは戦後の急速な高度経済成長で建てられたもので高さ333メートル、1958(昭和33)年建立。
「夕日三丁目」はまだ見ていないが、パンフレットなどでは見たことのない昭和33年の東京の街並みや東京タワーの半分上が未完だったりして不思議と懐かしい気分をさせてくれる。
鉄塔は朝鮮戦争(1950年勃発)で廃車になった戦車の鉄が一部再利用しているとか・・・。 東京タワーを建てるために増上寺の墓地を一部買い上げ、墓のあったところを脚踏みにしているため、立腹した霊による怪奇現象が起きたという話を聞いたことがある。
展望台から下を眺めると、やはり・・・。 新宿・奥多摩方面。
よく晴れていれば、富士山も見えるはずだが、今日は残念ながら見えませんでした・・・。(>_<)
地上250メートルの特別展望台にも行ってみようかと思いましたが、エレベーターが1基しかなく、長蛇の列。おそらく1時間待たなければ乗れないみたいなので、今回は断念。
首都圏におけるデジタル地上波の電波もここから発している。
うちの家は田舎だけど、受信エリアがギリギリのところでセーフ。
2011年にアナログからデジタルに完全移行するのに東京タワーだけではカバーができないので、江東区か墨田区あたりに第2の東京タワーができるらしいです。
六本木ヒルズに初めて行ってみたけど、30分ツアーと展望台セットで2500円もするのではありませんか!?
六本木ヒルズは複合施設で様々な企業のオフィスも入っているらしい。
パソコン関係が趣味なら秋葉原がお勧めだが、そうでなければ、上野のアメ横。
日曜日だということもあり、ものすご~く人混み!!
空いていれば、色んな商品を見比べながら買い物ができるが、今日みたいなすごく混雑しているとなかなか落ち着かない。
結局何も買わず上野駅にたどり着き、常磐線電車に乗車。
北千住で各駅停車の地下鉄ホームに乗り換え。北千住から綾瀬までの1区間は営団地下鉄いや、今は社名が変わっているので東京メトロ。持っている切符はJR線、何だかややこしいですね。 日が暮れる前に撮影とコースをすでに計算してあるのか、何とか撮れました。
これも懐かしいですね。
最近、「週刊少年ジャンプ」はもう読まなくなったが、小さいときの「週刊少年ジャンプ」を手に入れば、真っ先に読むのは「こち亀」。
毎週月曜日発売のはずだが、入荷直後の土曜日にヤミで買えるところがあったので、半ドンの土曜日の午後を楽しみにしていた頃を思い出します。(笑)
山手線で活躍していた電車がお下がりとして千葉で活躍中。
見分け方は、ドアの窓が小さければ元山手線。ドアの窓が大きければ、もともとそこで活躍していたもの。
山手線のお古とクルマに乗り継いで自宅に帰ると・・・・ ハン尚宮(母)が夕食を用意してくれました。
刺身、イカステーキなどの食材は偶然にもすべて山口から。
山口の親戚から送られてきたもので、昨日届いたばかり。
友人も「あれれ?1000キロ離れた東京なのに、まるで前の家(山口)に遊びに行っているかようだ」と大喜び。
友人はここでも「東京」と言っている。
東京から遠くなるつれに「東京」の定義が広域になってしまう。
ここだと「東京」は23区を指すが、東京に住む人達は「東京」とは言わずに新宿、品川、吉祥寺などの地名。
そりゃ、沖縄に行ったときも宮古島、石垣島も「沖縄」と言える広域化。(笑)
毎朝、1回では起きられないので、バイブ式目覚まし時計を6時15分、6時45分、7時にセットしている。
1回目の目覚ましで朝が来たことを悟り、2回目はあと少し寝たら目覚めよう、3回目は起床!というパターン。
2回目の目覚ましにしては、揺れが大きいなと思ったら、地震。
北朝鮮への制裁措置で国内に停泊していた北朝鮮の船を一斉に追い出したのは昨日の夕方。
その報復でミサイルが飛んできたのかと思った。
家がギシギシ揺れているのを静かに見守り、しばらくすると揺れがおさまった。
震源地は房総半島の南部で南房総市、館山市などは震度4を記録し、市原市は震度3。
小刻みに揺れる小さな地震はもう慣れてしまいましたが、今朝みたいな大きな地震はやはり怖いですね。今に大地震が来るのではないかとドキドキしてしまいます。
北朝鮮籍貨物船の最終出港のシーンを新聞やテレビなどで報じられていましたが、積まれた荷物をよく見るとほとんど中古自転車、冷蔵庫などの家電具、中古車。
キューブと思われるクルマもみえました。窓の特徴からみると、あれはキューブに違いない。
向こうの国ではどんなオーナーが待っているのだろうかと不安そうな表情のキューブ。
金日成主席の大きな肖像が掛けられている街にキューブなんてミスマッチな風景・・・。
ここは田舎だというのに、朝夕は道が大変混んでいる。
沿線を走る小湊鉄道は日本一高い運賃(もし、JR線なら190円区間なのに、3倍近くもするし、1時間に2本の運行)なので、敬遠しているのか、クルマ、クルマ、クルマ・・・・。
そんな小湊鉄道も自家用車が普及する前までは長い編成で運行していたらしい。
駅舎も大正末期の開通のときからそのまま使われている。
戦時中、出兵召集の赤紙が届き、駅前で出征兵士の見送りも市原市史の写真集にも載っている。出征した兵士が英霊になり、帰ってきたときの遺族たちの出迎えも同じ駅前。
現存する小湊鉄道の駅舎はいろいろな人を見守り続けているってわけですねぇ。
右折待ちで対向車が長蛇の列なので、イライラを抑えつつ待っていると、私のクルマの左側に無理やり突っ込むクルマ。
よく見ると、白い軽自動車。車幅が小さいからこの隙間なら突っ込めると判断したのだろうか。
スレスレとはいえ、ボティが気になるなと帰宅直後、懐中電灯でボティをチェックしてみたら、やはり・・・。前のボロ車だと「まあ、仕方がないか」と済ませるが、買ったばかりの新車なので、このキズだとかえって目立ってしまう。
とっさに軽自動車を追っかけて弁償してもらわないとな。<(`^´)>
この間もドックおじさん(父)がクルマから降りるなり、あわてて車庫の屋根下に取り付けている防犯ライトにスイッチオン!!そのとき、力を入れすぎたのか、防犯ライト本体ごと吹っ飛び、ボンネットにガチャーン!!
本体に太陽電池のバッテリーも入っているので、かなり重たくて1ケ所に凹みが・・・。
凹みがついていても、ぱっと見た目ではあまり目立たない。
まあ、それはよしとして、右折待ちのクルマの左側をスレスレで通り過ぎた軽自動車はホンマに許せんな~!