今日は3月30日。サクラの開花状況はまだまだ「つぼみ」のところが多いです。
まだ暖房中なので、今年は「冬」が長引いているみたい。
明後日からは4月1日、花冷えの状態で新年度を迎えるかな・・・。 ぱっと見ただけで「あるもの」を連想してしまいますが、これはベニオキナエビス。
何億年前から進化せず生き残っていた珍しい貝殻、世界で26種類しか生息していないそうです。
ちなみに日本で見られたのは房総半島から小笠原・沖縄にかけての海溝だそうです。 1963(昭和38)年5月15日発行の4円普通切手もベニオキナエビス。
通信教育用として発行されたらしい。(現在は10円と5円の組み合わせで15円)
2000年頃、東京中央郵便局でたくさん買ってしまいました。
中途半端な4円なので、出番はなさそうです。
絵葉書に貼るのに4円切手だらけだと宛先やメッセージを書くスペースがなくなってしまいます。
今も海底で生きていたら、世紀の大発見になるかも・・・。 南の島でよく見かけるチャコ貝。
小笠原での体験ダイビングでインストラクターから「大きなチャコ貝に触れると手が挟まってしまうこともあるので、注意してください」と言われたことを思い出します。
この大きさだと挟むパワーもありそう。
小笠原でよく見かけるシャコ貝の身は紫色、じっとこちらの様子をうかがっているかようでした。
ホテルのシャンプーとコンディショナーは大島ならでの「椿」でした。
椿油から抽出されているので、サラサラとした洗い上がり、いい香りはしないけど、髪の感触が椿油の効果なのかツルツルになっていました。刺激もなく、頭皮にとても優しい製品です。
我が家のシャンプーとコンディショナーはこの製品に決まり!
伊豆諸島・小笠原のよい製品を取り入れ、積極的に消費することにより、その島の経済に貢献したいと思います。
伊豆大島・・・椿油シャンプー・コンディショナー・椿石鹸
青ヶ島・・・ひんぎゃの塩・あおちゅう・鬼辛・特製島だれ
母島・・・ラム酒&パッションリキュール
シャンプーの次はコンディショナーかと思ったら、2つともリンス効果があるみたいです。
オイルシャンプーだけでも、リンスと同じような働きをする椿油も含まれていました。
つまり、一緒に使わなくてもどちらか1つだけでも大丈夫でした。
都立大島公園から今度は貝の博物館「ぱれ・らめーる」に移動。
場所は波浮港の近くなので、これで大島の道路を1周したことになります。
大島1周道路は都道208号線、三原山方面は207号、一周道路から岡田港へは209号、短い区間なのに波浮港は210号線でした。
都道の中で1番好きなところは236号線の青ヶ島循環線、241号の母島の沖港北港線。
「236」と「241」の数字だけ忘れられないのは、風光明媚な景色だからでしょうか。
草苅正氏、伊藤宏氏、須田明氏の貝類コレクションを大島町に寄贈、世界の貝約4,500種類も展示されています。
これはアワビの貝殻。ドックおじさん(父)がこれを見ると、必ず大きさくらべ。
自己最高記録を更新するたびに記念の貝殻を取り替えていたのですが、2002(平成14)年8月、17センチ、800gの大きなアワビが最大でした。
(17センチは推定12年~13年かな)
その2年後の2004(平成16)年には故郷を離れてしまったので、これ以上取り替えることはなく、現在に至っています。
展示してあるアワビの大きさを見て「私の勝ちやな」とつぶやき。
世界最高記録のアワビなんて見たことないな・・・と検索してみたところ
・鮑のお話
千葉県御宿で伝説になっている、50センチの巨大アワビ。
(想像するだけでも怖い、化け物!?)
西暦1850年頃、12メートルのアワビがいたらしい???
他にもいろいろな貝を見てきました。続きはまた書きますね。
ここは伊豆大島の東側、泉津(せんづ)あたりの都立大島公園。
丸型の郵便ポストがあちこち目立っていました。
管轄は新東京支店大島集配センターでした。
取り集めは1日に2回、うちのところのポストは支店直轄なのに1日に1回。
椿園前は南国情緒ムードが漂いますね。 資料館に入ると、椿園の椿はおよそ500種類、約5000本を有する国内最大規模のものです、と丁寧に筆談で解説してくださいました。
「椿は赤色の1つだけかと思っていたのに、500もあるのですか!?」
「さようでございます。もっとも珍しいのはあちらになります」
黄色の「椿」でした。中国から伝わってきた、金花茶(キンカチャ)。
「プリセンス雅子」。
これは皇太子妃の「雅子さま」に由来しているかな。
なるほど・・・プリセンスらしい愛想ふるまっていますね。
これも珍しい椿。
名前がいっぱいありすぎて、失念・・・ とてもでかい、椿。
2月中旬から3月にかけては椿、椿、椿だらけです。
この季節だけ下田、熱海、東京、館山から大島へのアクセスがぐーんと便利になります。
すべて園内で咲いている椿を生けている、ホンモノでした。
(名前が見えるようにクリックすると大きな画像が表示されます)
1枚目
2枚目
3枚目
4枚目
1本1本デリケートな管理を要すものなので、その人柄なのか丁寧に解説をして下さいました。ありがとうございます。
3月14日の朝。
窓を見ると、強風にたたきつけるような大雨。
携帯電話のサイトで「東海汽船」を検索すると、
東京 → 館山 → 大島 ×(欠航)
大島 → 館山 → 東京 △(天候調査中) 10時頃発表
△の天候調査中は微妙なところだな?と思ったら、ドアのところでホテルマンが「入ってもいいですか?」と合図を送っていました。
「今日の船だけど、館山行きの高速船は95%の確率で欠航になる見込みです。
昨夜欠航した「かめりあ丸」が臨時として、14時入港、14時30分東京に向け出航します。
いかがなさいますか」
「東京に着くのは何時頃?」
「4時間なので、えっと・・・18時30分頃。今日は波が出ているので、19時頃」
「館山に車を置いているので、明日の高速船で帰ります」
「本日はどちらになりますか?」
ハン尚宮(母)「今日もこのホテルのままでいいじゃないの~」
「本日もまた宿泊したいので、よろしくお願いします」
「ははっ、ありがとうございます」
今夜の夕食も昨夜と違うメニューにしたいとお願いすると、
「はい、連泊のお客様には昨日とは違う内容をお出ししております」 朝ごはんでした。
島らしく、シンプルでヘルシー。
ハン尚宮「野菜がないわねぇ・・・。1日の始まりには必ず野菜類を補給せんと」
レンタカー返却後は3時20分発の高速船で帰る予定だったが、もう1日延長となると料金がかかってしまう。
それまでに効率よく島を回さないと・・・と朝食後すぐに出発。
元町港は大波が出ているが、岡田港はベタなぎ。
この程度だと高速船は出れるはずだが、途中の強風で横転の可能性もあるとそう判断されては仕方がありません。
今日のチケットを明日に変更の手続き。
欠航になった分を明日に変更する人が殺到し、のんびりしていたら「です」と言われたら・・・と思うだけでぞっとします。
露天風呂では強風で椿が大きく揺れ、大雨が降ったりして星空見えず。
こんな天気だと明日は高速船が出れるかどうか・・・・。
不安になったので、携帯電話サイトでいろいろ調べたところ、今夜は低気圧が関東地方を通過するので、強い雨を伴う強風に注意してくださいと出ているではありませんか。
東海汽船のサイトでは・・・今日(3月13日)の神津島行き夜行便「かめりあ丸」、八丈島行き「さるびあ丸」は欠航になりました。
こんな状況だと、もしかすると明日は帰れなくなるかも?と職場で親しくしている友人に日曜日の勤務体制についての相談のメール。 風速は10メートル以上はあったでしょうか、立っていられなくなるほどの強い風。
それでも2月20日から3月22日までの毎日夜7時半から9時まで元町港旅船待合所で椿祭りのイベントが行われているので、ちょっと行ってみました。
伊豆大島の伝統衣装、「あんこ」で踊りを披露しているかと思いきや、普通の衣装で踊っていました。
今の時間帯はスーパーあんこ娘のダンスパーフォマンスなので、伝統衣装の出番はまだのようでした。
缶ビールを買おうとしたら、「240円っ!!」と活きのいい手話で話しかけられたのにびっくり。
「手話は何で知っているの?」
「サークルで勉強しています」
伊豆諸島・小笠原諸島で手話との出会いは、ここ伊豆大島と小笠原の父島。
どちらも手話サークルがあるので、ろう者を見かけると積極的に手話で対応しているみたいです。 元町港の前の夜景。
何丁目何番地の土地区画整理が行われたので、他の離島に比べると明るい。
しかし、まだ夜の8時前だというのに、シャッターが閉まっているところが多く、ちょっと寂しい。 大島は明るかったので、夜景の撮影に成功。
青ヶ島のときは自動販売機の前だけは明るかった記憶があります。
ボタンを押せばすぐに黄→赤、しばらく青に戻る信号機がネオン代わりかな。
三原山麓のお土産店で購入した、伊豆大島産の椿「カツラギ」という品種。
真っ赤な「やぶ椿」は本州でも見られるので、どこにもないものを庭に植えたがっているみたい。
この椿も我が家の庭に仲間入りしました。 伊豆大島からの長旅、お疲れ様。
気候はそんなに変わらないと思うので、枯れずに毎年咲かせて欲しいなと思います。
以前、山口の故郷から持ち込んだ苗木の一部が関東ロームの粘土質に馴染めず枯れてしまったことがあるので、その二の舞にならないように、近くのホームセンターから通気性を高める良質な土を購入しました。 2005年に八丈島から取り寄せた「アシタバ」。
あれから4年経つので、「千葉のアシタバ」になってしまいました。
厳しい冬を乗り越えて、今年も芽が出ました。
大きく茂って欲しいな・・・。
青ヶ島の緯度は温暖な宮崎県とほぼ同じなので、千葉の寒さに負けてしまうのではと心配していましたが、島じまん2008で購入した青ヶ島の「フェニックス」は屋内で育てたため、無事に越冬。
購入したときに比べるとずいぶんと大きくなりました。
これを見ると、ふらりと青ヶ島に行きたくなってしまいます。
今度は小笠原も、と思いましたが、東京から1000キロも離れているため、亜熱帯に属しています。
亜熱帯の植物をここで育つのは非常に難しく、そもそも小笠原からの持ち込みが厳しく制限されているので、現地でしっかり目に焼きつくか、撮った写真で我慢するしか・・・。
ホテル白岩の4階からの眺め。
最高峰のVIPホテル慣れしている、ハン尚宮(母)は昭和レトロの雰囲気が漂うお部屋でも気に入ってくれたかどうか心配していましたが、布団やシーツは 糊が張っていて、とても清潔。
室内の設備は年代物、ちょっと古く感じるけど、温泉だけは1986(昭和61)年の三原山噴火で湧き出るようになったので、新しいです。
従業員の方はとても気さくできめ細かに筆談で応じてくれました。
大島ならでの夕食。
魚がいっぱい。
椿油フォンデュ。
大島近海で獲れたばかりの刺身。
椿油は普通の油と違って、さっぱりしています。
串刺しの材料だけではなく、食べきれなかった刺身やアシタバもすべて天ぷらにしていただきました。
美味しかったです。
伊豆諸島に都市銀行があるのは、みずほ銀行。
築地支店・大島特別出張所(ATMあり)
東京中央支店・三宅島出張所(ATMなし、窓口のみ)
浜松町支店・八丈島特別出張所(ATMあり)
伊豆諸島に支店があるという理由だったのかわかりませんが、ちょうど富士銀行時代からメインバンクにしています。千葉の田舎まで支店があるのは助かりました(笑)
青ヶ島や母島に特別出張所があれば、お土産を買うのに手持ちの現金が足りなくてつい引き出してしまいそう・・・。
みずほ銀行のとなりは大島郵便局。
新東京支店大島集配センターも併設なので、赤い郵便車がひっきりなく出入りしていました。
クロネコヤマトもたくさんすれ違いました。
大島観光協会に観光案内情報のパンフレットを依頼したところ、なんと普通のメール便が翌日配達されました。(メール便は最低3日かかるのに?) 依頼したばかりなのに、こんなに速いとは・・・とビックリ!
田舎はメール便でも宅急便に準じているのか、山口宛でもたまに翌日配達ということもありました。
伊豆大島は周囲52キロ、面積も広いので郵便局が7ケ所もあります。
八丈島も大きな島なので、6ケ所。
御蔵島や青ヶ島みたいに1つの島に1つだけの郵便局だったら、どの郵便局にしようかなと迷わずに行けるのですが、7ケ所の中で1つを選ぶとするとしたら、やはり、古い街並みが残る「波浮港郵便局」。
民営化前は郵便番号100-02**を受け持つ、普通集配局でした。
窓口は波浮港郵便局。
駐車場に面する郵便仕分作業所の看板は「新東京支店波浮港集配センター」。
大島は広いので、100-01**は大島集配センター、02はここになります。
日本郵便のホームページで検索しても、集配センターの名称や所在地は出てきませんが、集配所は載っています。
今のところ、集配所と名乗っているのは「利島」「御蔵島」「青ヶ島」「小笠原」の4ケ所。
大島は「椿」が名所なので、30円普通切手(1980年)、伊豆七島国定公園といっても、図案は八丈島(1963年)、小笠原国立公園(1973年)の切手を用意し、その郵便局で買ったわけでもないのに、とても丁寧に対応してくださいました。
お礼に発売中の記念切手数枚購入。
風景印の図案になっているところです。(波浮港の入り江)
天気が下り坂になって、あまりいい色が出せずに残念。
伊豆大島の郵便局は必ず「椿」が風景印に入っているそうです。 島ではこういう懐かしい丸型ポストがいっぱい!!
何度もペンキで塗り替えているのか、まだ新品のように見えます。
でも、このポストに手紙を入れると・・・「新東京」の素っ気ない消印が押されてしまいます。
「新東京」の下に小さく集配センターの名前、例えば「波浮港」とかの文字が入っていれば、どこで出したのか特定できるはずなので、そうしてほしいところです。
大島の中で古い街並みが残っているところは波浮港。
中学のときの宿泊先は波浮港近くの「セミナーハウス」だったので、「大島の中で郷愁が漂う場所はここかな」といったような記憶がよみがえりました。 ドックおじさん(父)がこの建物を見たとたん、真顔で「今日泊まる宿はここなんですか?ずいぶん趣きのある宿だなあ・・・」。
檜原村での宿泊はいつも茅葺き屋敷の旅館にしているので、私はそういう宿を好んで予約したと思っていたらしい。
「そうだとしたらいいね。でも、旅館としての営業はやっていなくて昔の内部が見られるところ」 踊り子の里資料館(旧港屋旅館)内部。
川端康成の名作『伊豆の踊り子』のモデルになった、大島の旅芸人一座が芸を披露した様子が再現されています。
この雰囲気から見ると、おそらく明治末期から大正にかけてでしょうか。
今はさびれている下町なのですが、昔は非常ににぎやかだったそうです。 昔の客室。
ここで泊まりたい!と思っても、近くにろう人形がいっぱい置かれてあるので、気になって眠れないかも・・・。 洗面所。
昔の旅館ならでの光景。
昔の雰囲気が漂う浴場。
タイルも懐かしいデザインになっていますね。
今は滅多に見かけなくなった、懐かしい東芝の古いロゴマーク。
魚は夕食に出るのは決まっているので、昼食はちょっとお洒落な雰囲気が漂う、空港近くの「季まま亭」に行ってみました。
自家農園の無農薬野菜をたっぷり使ったサラダも美味しい。
カレーも今が旬の野菜たっぷり。 せっかく大島に来たのなら郷土料理の「アシタバチャーハン」にしてみました。
摘みたての新鮮なアシタバの苦みがチャーハンにマッチしているのか、とても美味しかった。
肉の代わりに大島名物の「くさや」が使われているかなと思い、聞いてみたところ「くさやに似ていますが、ツナです」とのこと。
サラダ、かぼちゃスープ付きで1000円。
星5つのパーフェクトでした。 今度は高さ30メートル、長さ1キロの大きなバームクーヘンとして知られている、波浮に向かう途中の地層切断面へ。
波浮港行きの路線バスもあるので、「地層切断面」停留所もあります。
そこから眺めると、手前の利島、左側の新島が見えます。
写真では見えにくいですが、肉眼で三宅島も。
御蔵島は三宅島に隠れてしまい、見えませんでした。 天気がイマイチなので、地層切断面の色はあまり冴えませんでした。
道路工事中に発見されたもので、150万年前からの三原山噴火で刻んだ、造型美。
噴火の時期により火山灰も異なるので、そのたびに層を重ねていったそうです。
路線バスだと、1キロを眺めるだけですが、今回はじっくり見られました。
館山から大島に向かうときの天気は晴れていたが、大島に着いたときは雲行きが怪しくなってしまいました。
雨が降らないうちに三原山を見に行かなくちゃ・・・と思い、ここにたどり着きました。
大島に行ったのは今までに何回でしたっけ?中学のときに1回、2000年の旧龍の子学園のイベントで2回。本格的に観光するのは今回が初めてなので、ここから火口までどれくらいの距離があるか把握できず。
三原山は八丈島にもあるので、ここでは小さく「大島」と冠しています。
1986(昭和61)年11月15日、210年ぶりの大噴火が起き、1万人全島民が島外に避難。
あのゴツゴツとした黒い岩肌は当時の噴火で流れた溶岩流の跡。
「さて、あの火口まで行きましょうか」
ハン尚宮(母)「は?あそこまで行くんですか?」
「寒くて大変なら、途中まで行って引き返しましょうか?」 次第に風も強くなり、ここで引き返してしまいました。
神社の鳥居が小さく見えます。
溶岩が鳥居や神社の祠を避けるように流れたので、奇跡的に被害はなかったそうです。
そのような不思議な現象もあり、「御神火様」として崇められているそうです。
ガイドの本では、火口まで登って、お鉢めぐりをするのにほぼ2時間半を要すとのことでした。
次第に風も強まり、この寒さで登るのは大変なので、入口に立てられていた観光案内で火口を見たとします。(笑) 三原山登山入口の駐車場から眼下に広がる、大島市街地。
伊豆大島は伊豆諸島の中で1番大きく、人口も多いので上から見ると都会的な街並みになっていることがわかります。
昼食は事前にリサーチした、大島空港近くの「季まま亭」。