飯能から西武池袋線に直通し、西武鉄道本社所在地の所沢に停車。所沢駅は池袋線と新宿線が交わる乗換え駅ですが・・・上下線が逆向きで進入する。たとえば、池袋方面は右側の方向なのに、新宿方面は左側の方向。
所沢を出ると、池袋までノンストップ。所沢市、東村山市、清瀬市、東久留米市、西東京市、練馬区、終点、豊島区。
7月29日15時50分頃。駅の真上は西武百貨店池袋本店。売却する話が出て、従業員の雇用維持を求めてのストライキを決行。1日だけ臨時休館したと話題に上がったのは記憶に新しい。
夏真っ盛りなので、16時になってもまだ明るいです。今だったら、もうとっくに日暮れ直前ですが・・・。
このあたりは、もともと袋状の池が点在していたのが「池袋」という地名の由来だそうです。何もない田舎の武蔵国豊嶋郡池袋村から東京府北豊島郡池袋村に変わって、現在はこのような風景に変わりました。渋谷もハチ公が生きていた頃は、東京府豊多摩郡渋谷町。1932(昭和7)年から東京市に編入し、渋谷区になりました。
池袋駅から東京駅までのアクセスは山手線より東京メトロ丸ノ内線のほうが便利。丸ノ内線の電車がいつの間にか新しくなり、びっくり。昔、よく利用していたのは02系。今の新しい2000系は大昔の500形を彷彿させるほど、赤いボディーに側面はサインカーブの曲線ラインが入っています。房総の田舎に転居してからかなり経つので、東京メトロの新しい車両に関しては、浦島太郎の状態。首都圏で国鉄を楽しむならココ!の連載はこれをもちまして、【完】です。
横瀬駅。向かいの電車は主に秩父線で運用中の4000系。モーターや制御系などの部品は古い101系から流用されたものです。ずっと昔、旧型の特急レッドアロー5000系が活躍していた頃、特急は贅沢なので、この電車で・・・と秩父方面はこの電車をしょっちゅう利用。ローカル線仕様のセミクロスシートなので、乗り心地がよかったのは記憶している。いまだに古い車両がまだ残っていたとは・・・。
心洗われるような風景が大好き。何もない田舎に住んでいた子どもの頃、こんな田舎で暮らすのはもう勘弁だ。大都会のトーキョーに行きたいと。都心のサラリーマンになったのはよかったものの、数年で挫折。房総の田舎暮らしに逆戻りです。今、強く憧れているところは、出かけるのに綱渡りのアオガシマや、交通手段が船しかなく出発してから24時間のオガサワラかな。
飯能駅停車。ここで方向転換するため、運転士さんと車掌さんはポジションチェンジ。
飯能駅を出た直後。左側の線路は少し前に通ったばかりの、秩父線。こちらは池袋線。
山口県下松市の笠戸工場で製造された、日立製作所製でした。指定席の予約システムも日立です。秩父鉄道のC58 363は川崎車両製造、真岡鉄道のC12 66も、この電車と同じく日立の笠戸工場製造。国内で最古参の58654(1922年、大正11年)も、日立製。今年101歳になりますが、JR九州では現役で活躍中。壊れにくく、頑丈なメーカーなので、わが家の白物家電は買い替えるなら日立にシフト。
西武鉄道の新型特急ラビューは全車両「普通車」のはず、まるで「グリーン」のような雰囲気が漂います。
私の席はここ。椅子が逆向きになっているのは、途中の飯能駅で方向転換するので、回転せずそのままにしているようです。
ドア真上の大型ディスプレイは停車駅案内や、コマーシャルなどが流れます。案内は英語、韓国語、中国語の文字併記。
ワイドな窓なので、流れる風景を楽しめることができます。
次はわずか2.6キロ先の横瀬駅に停まります。横瀬を出ると、飯能までノンストップ。
山小屋っぽい雰囲気ですが、自動改札機が設置されています。有人改札のほうがその雰囲気にマッチすると思いますが・・・。
特急のりばに昔ながらの改札ラッチが・・・。特急券を持たずに空席に着席するキセラーがいるかも知れないので、乗客を信用して通すわけではなく、ちゃんと特急券に記載されている発車時刻や区間を確認して入鋏すべきなんですよ。
山奥から東京の副都心、池袋までわずか1時間15分で連れてもらえます。
まるで未来のスペースシャトルを連想してしまいそうなデザイン。JRはそういったデザインをまねすることは出来ないだろう。
側面の窓もとても広い。ラビューに込められたネームは「贅沢なリビングのような空間」、「矢のような速達性」、「大きな窓から移りゆく展望」とのこと。秩父鉄道で大昔活躍していた蒸気機関車を楽しんできたばかりだというのに、急に近代化された車両。かなりギャップを感じます。
西武秩父駅のオリジナル駅名票。
ずっと昔、西武鉄道ユーザーだった頃、ロゴマークはきっぷの地紋とともに球団の西武にちなみ野球ボールのデザインだったのは覚えている。今の新しいデザインはご覧のとおりに変わりました。調べてみたら、新しく変わったのは2008(平成20)年頃。今さら気づくなんてまるで浦島太郎の気分です。
池袋までわずか1時間をちょっと過ぎたなんだけど、新しくてものすごく快適な移動になりそうだとワクワク。
西武バスの塗装は1951(昭和26)年から使われている「笹カラー」。平成のはじめころ、東京の西側に住んでいた頃、駅までは雨が降っていればバス。晴れていれば自転車というふうに何度かお世話になりました。2020(令和2)年より、新しい塗装が施された新しいバスがデビュー。
西武秩父駅。
ずっと昔は西武線からJR線への連絡きっぷとして山手線各駅までの運賃マップが掲示されていましたが、現在は券売機で購入できなくなっています、調べてみたら、連絡運輸は廃止しておらず、山手線内なら購入できるはずです。JRのマルス端末でも、西武線への連絡は自動で計算してくれず金額入力なので、駅員さんの発券スキルによります。
特急券と乗車券を購入。池袋まで76.8キロもあるのに、800円なーり。(ICは796円)運賃がバカ高い小湊鉄道沿線に住んでいる私からみれば、800円は安すぎる・・・。(ちなみに西武新宿まで80.9キロ、同じく800円)
本州のJR3社(東・海・西)の幹線だったら・・・池袋までの76.8キロは1340円、新宿までの80.9キロは1520円。
特急の発車案内。元町・中華街方面と書かれています。西武秩父から横浜の中華街まで直通なんて、昔はちょっと考えられなかったこと。
各駅停車はほとんど飯能止まりです。
動輪の大きさはどのくらいなのか、ホームから見てもよくわかりませんでしたが、人間の身長と比較してみると、かなり大きいことがわかります。
熊谷からちょうど中国ウイルスの「コロナ(56.7)」キロはここですよ、とアピールする看板。そういえば、中国ウイルスが5類に引き下げてから感染者数などあまりニュースにあがるようなことはなくなりました。
秩父鉄道で御花畑駅に戻って、西武線に乗換える方法もありますが、この時間帯は西武バスに乗っていけば、うまく接続ができます。
バス停から見た駅舎全景。すると、乗る予定のバスが目の前で素通り。ちょっと待ってー!!わたし、乗りますよ!と追いかけるも、追いつけず。チッ!次の電車を待つしか・・・?と思い、バス停の時刻表をしげしげと眺めると・・・。
「バスは一度、回転場で折り返してこちらへ参ります」とのこと。なんだ、ちゃんと戻ってくるんじゃないの!?なんと、まぎらわしい。予定とおりバスがやってきて、乗車。
バスの車窓からでも、このような光風明媚な風景が見られます。
改札を出て、左側へ進むと踏切があります。そこを渡ると転車台公園に繋がる遊歩道があります。
ここで回転して、蒸気機関車の方向転換。蒸気機関車最盛期の頃、全国各地にこのような転車台がありました。
バックで転車台に入り、方向転換。転換したあとでもバックで出ていって、今来たばかりの客車の熊谷方面に連結。電車は両端に運転席があるので、運転士さんが移動するだけで動かせますが、蒸気機関車はかなり大変な作業が入ります。
お湯のようなものを排水し、給水。給炭する様子は見ていませんが、蒸気機関車が1キロ進むのに、必要な経費はどのくらいなのかちょっと気になるところ。油を差しながら異常はないか、しっかり鉄槌で確認中。
原動力は電気や軽油でもなく、石炭でお水を沸かした蒸気の力。1872(明治5)年、日本で初めて新橋(現在の汐留)~横濱間で鉄道が開業されましたが、蒸気機関車は国産ではなくイギリスから輸入されたもの。当時、蒸気をエネルギーを変えられると発明できたのはすごいことだと思います。
JNR(こくてつ)のきっぷは地紋に動輪のようなデザインが入っていました。JRに引き継いで1年過ぎたあたりの1988(昭和63)年頃から動輪からJRのロゴマークに変更。山口県の何もない田舎の滝部駅では自動券売機設置。1日あたりの発券枚数が少なく、国鉄地紋のきっぷを使い切るのに2年くらいかかり、平成に入ってからもJNRこくてつ地紋だったのはおぼろげな記憶が・・・。
パスモの簡易改札機が設置されていても、駅員さんが立って簡易改札にタッチしているか、きっぷの方はここまで有効になっているか券面を確認し、回収。昔はきっぷ売り場が2つありましたが、現在は半分ふさがって、1つだけ。
自動券売機設置駅です。真ん中にある機械のようなものはパスモをチャージする機器?と思いましたが、三峰口が無人になる時間帯、遠隔のお問合せに使うようなもの。何でもリモートで済ませるんじゃなくて、生身の駅員さんのほうが安心するのでは・・・。
三峰口は1930(昭和5)年開業なので、駅舎もその頃から変わらないかと思います。日本一最も古い木造駅舎が現役で使われているところは愛知県のJR武豊線にあります、亀崎駅です。1886(明治19)年開業なので、今年で築137年目。
今度は駅の反対側にあります、SL転車台公園へ行ってみます。終点に到着した蒸気機関車の向きを変えるための転車台や、駅からの遊歩道を整備した公園。SL運行日には、蒸気機関車の整備作業や転車作業を間近で見学できるので、次の電車(またはバス)の待ち時間を利用してのんびり眺められるスポットです。
まもなく三峰口駅です。熊谷駅から三峰口駅中心地までの距離は56.8キロ。100m手前で「熊谷から56.7(コロナ)地点」といったような看板が・・・。なるほど、56.7は中国ウイルスの語呂合わせ。2020(令和2)年1月16日、年末年始の帰省で中国からの帰国者に国内で初めて中国ウイルスの患者が出ました。瞬く間に全国に拡がり、2023(令和5)年10月現在、亡くなられた方は累計7万人以上。
後ろにぶら下がっていた、電気機関車。主役は蒸気機関車のSLだけど、万が一の故障に備えているかも知れません。
現在は秩父市になっていますが、もともとは「秩父郡大滝村」。風景が「村」にふさわしく、のどかなところです。
12系客車が4両だというのに、ここから見ると何両も連なっているかように見えます。
すぐ客車から切り離して、機回し。バックで転車台に入り、方向転換。最後尾だった車両に連結し、熊谷へ戻ります。
国鉄時代、転車台は全国各所でも見られました。山口県の長門市駅でもまだ残っているような気がします。
SL蒸気機関車で来て、すぐこの電車で帰ってしまうお客さんは大半だけど、機回しの様子とかをじっくり見たいので、およそ30分後の西武秩父駅行きの路線バスを選択。
秩父鉄道のC58363や牽引する12系客車はもともと国鉄。真岡鐵道(栃木県)もC1266は鉄道省から国鉄に引き継ぎ、50系客車も昭和の車両。今度のターゲットは・・・昭和の日常を再びの大井川鉄道(静岡県)。戦前の旧型客車を特別な料金無しで普通列車として運行します。オハ35やスハ42とか、自動ドアではない古めかしい客車ですが・・・・私が子どもの頃の山陰本線汽車通学で利用したことがあるので、大井川鉄道のキャッチフレーズとおり令和の時代の昭和の日常を味わいたくて計画中。運航予定のカレンダーを見ると、ほとんど平日の普通列車に割り当てられています。最近仕事が多忙になり、今日も22時過ぎ帰宅。有給休暇取得は労働者の権利なので、忙しくない時期を見て平日に乗りに行こうかな。
武州日野駅通過~!!
武州日野駅舎です。1930(昭和5)年開業なので、駅舎のその頃からそのままなのかも。レトロっぽさ雰囲気が漂います。
次は白久駅です。真夏なので「緑」は映えています。今だったら、黄色く変わっているかも。
このあたりまで来ると、線路は結構高いところを走りますが、人造物の鉄橋ではありません。自然にできたものに線路を敷設。
最後尾の車両なので、カーブに差しかかかると、先頭のC58363が見えます。石炭を燃やした蒸気のエネルギが動輪に伝わり、私たちを牽引。軽油や電気でもなく、昔ながらの機械式。戦後の高度経済成長期に入ると、電気やディーゼルカーなど無煙化が急速に進み、1974(昭和49)年を最後に消滅してしまいました。次は終点、三峰口駅です。
線路は高架を走っているわけではなく、山の斜面です。
浦山口駅通過。裏の山口ではなく、「浦」山口。ここは海辺や湖のない山奥なのに、なんで「浦」が付くのか謎です。
このあたりまで来ると、景色もぐーんと美しくなります。
C58363号は、線路がアップダウンしても動輪は動かし続け、ひたすら三峰口まで目指します。
ここまで来ると、完璧な田舎なんですけど、他の田舎風景に比べると、なんだか和むような風景。
今度は武州中川駅通過しました。三峰口まであともう少し。
秩父市の中心駅、12時12分、秩父駅に停車。4分後の12時16分に三峰口行きの電車が入線。SLは若干速度が遅いので、先行は電車に譲り、SLは12時20分に発車。
秩父駅を出たかと思ったら、あっという間に御花畑駅停車。秩父からとなりの御花畑までわずか700メートル。ここは西武秩父駅へのお乗り換えです。
秩父から御花畑までは市街地だけど、御花畑を出ると郊外になります、
影森駅通過。
このあたりから山深く進むようになります。
開けてみたら・・・・「うわー!すご~」と思わず声を上げてしまいそうな、豪華ないろどり弁当です。それぞれのごちそうがぎゅっと凝縮されています。
このお弁当を味わいながら、このような光風明媚な風景を堪能中。7月下旬の夏真っ盛りなので、あの透明度抜群の川でひと泳ぎしてみたくなります。
皆野駅停車。SLのC58363号機は振動もせず、静かにすーっと停車し、すーっと大人しく発車。かつてのブルートレインを牽引する機関車の機関士に匹敵するほど。
皆野駅を出ると、次は秩父駅に停まります。
メモを片手に「お弁当をご注文された方ですか?」と聞かれ、頷き。
いろどりの秩父路という豪華なお弁当です。
まず、製造地を確認。長瀞駅で積まれたものなので、長瀞町内で製造されたものでした。
長瀞駅を発車した直後。大勢の人達が手を振ってくれたので、観光地だということがうかがえます。
長瀞駅から徒歩10分のところに、ガーデンハウス有隣(ゆうりん)というレストランが沿線の秩父鉄道向けにSL弁当開発。
お品書きが出てきましたが、100%地産地消のお弁当でした。秩父地域産は椎茸、味噌、柚子、玉子、ミニトマト、野菜、舞茸。深谷ねぎ、小鹿野町のこんにゃく。
樋口駅通過。秩父鉄道は単線のため、電気機関車牽引の貨物列車がSLパレオエクスプレスが通り過ぎるまで待機。
ここはもう秩父郡長瀞町に入りました。長瀞町といえば、長瀞渓谷のライン下りなど様々な観光名所があります。
まもなく長瀞駅に停まります。今日のSL機関士さんは、ずば抜けた運転技能を持っているのか、徐々に速度を落としながらスムーズに停車位置にぴたっと停車。アナログの機械式だというのに計算ずくめなんでしょうか。
ここでネットで注文しておいた豪華なお弁当の積荷があります。
おそらく、段ボール箱はお弁当?かも。弁当屋さんのお兄さんが車内販売のお兄さんに引き渡し。