新大阪駅にあったポスター。うちの「ふてニャン」2(ツー),3(スリー),4(フォー)は連日の暑さなのか、最近あまり見かけなくなりました。涼しくなったら、また遊びにおいでよ・・・。
新しいN700S系で運行されるのをあらかじめ調べ、前日に座席予約。
新しい、といっても、N700S系は中国ウイルス真っ盛りの2020(令和2)年7月デビュー。世界中にパンデミックを起こした中国ウイルスのせいで、半導体不足などもあり、なかなか量産化が進まず、新しい車両がやってきたらラッキーという感じでしたが、あれから2年経過した2022(令和4)年は新しい車両で運用する本数が若干増えているようです。
初めて乗ったのはいつ頃でしたっけ・・・?飯田線秘境駅旅の帰り、豊橋から「こだま」に乗ったとき、たまたまN700S系がやってきたので、嬉しかったのはおぼろげな記憶が・・・。
あのときの記事は、こちら。デビュー1年後の2021(令和3)年8月8日でした。
オレンジ色のロゴなので、JR東海所有。
東京までおよそ2時間半です。この日はなにかのアクシデントを起こしたのか、定刻よ約20分遅れで発車。
久留米から【区】東京都区内ゆきの乗車券は新大阪で途中下車が出来ても、新幹線特急券は東京まで購入しているので、途中出場不可と印字。新幹線改札の外には出られませんが、改札内なら可能です。
乗換えタイムまで時間があるので、改札内でランチ、と思い、目星をつけたお店は・・・
ここでした。
京都の九条ねぎスペシャルチャーシュー麺をオーダー。値段はマノン1枚と、チョノン2枚な~り。(₩12,000)。2023年8月14日為替ルートで計算。お店のネーミングのとおり、「塩分」の濃度が高い。もう少し塩分控えめにしたら、食べやすかったのに。
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九州新幹線久留米駅の自動改札機。
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JR最西端の駅、佐世保駅発行の久留米から【区】東京都区内ゆきのきっぷと。
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東京までの特急券を自動改札機に挿入。久留米駅の指定席券券売機、ちょっと印字カスレ入り。
東京都内でも「東」を冠した、東久留米市があります。手話も本家の「久留米」と同じく、東京のは「東」を冠して久留米。
東久留米市は本家の地名、久留米をパクったわけではなく、もともとその地域は1889(明治22)年、市町村制施行時に神奈川県北多摩郡久留米村誕生。本家の福岡県久留米市もその頃から制定されています。
1956(昭和31)年に久留米村から久留米町に昇格。
1970(昭和45)年に、「町」から「市」に昇格する際に、本家の福岡県久留米市と行政的な混同を避けるため、東京の「東」を冠して「東久留米市」発足。
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東京までの特急券に途中で分割するので、こちらは金額抜きの指ノミ券。料金無しで座席を指定するのみなので、鉄道業界では「指ノミ券」。
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「さくら」のネーミングとおり、行き先表示はLEDフルカラーのピンク色。
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JR西日本所有のN700系がやってきました。
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西鉄久留米駅からJR久留米駅までおよそ2.3キロ離れていて、バスは市街地のたくさんあるバス停に止まりながらの移動なので、およそ10~15分で到着。車体の配色はずっと昔から変わらずなので、どこか懐かしさを感じます。
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西鉄久留米駅はにぎやかなんですが、こちらJRは閑散・・・。
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五郎丸駅停車。「ごろうまる」と言えば、真っ先に思い浮かべるのは、2015(平成27)年のラグビーワールドカップで有名になったラグビー日本代表選手、五郎丸歩(ごろうまるあゆむ)と同じ名前なので、この駅に訪ねるファンの方、観光客がどっと押しかける様子がテレビで報じられていました。
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ごろうまる、という姓名があるんですね。
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学校グラウンドの風景が見えてきて・・・
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今度は体育館が見えてきて・・・
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学校前駅に停車。調べてみたら、1901(明治34)年開校の久留米市立宮ノ陣小学校でした。
先に小学校が出来て、西鉄甘木線の線路が敷設されたのは1915(大正4)年でした。
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先に開校した学校は近代的な建物に生まれ変わっていますが、駅舎は昭和のレトロっぽさ雰囲気が漂います。次は、五郎丸駅です。
つぎは、がんちゃや と読んでしまい、どんな漢字になるのか気になったところ。
正しくは、こがんちゃや でした。漢字にすると、「古賀茶屋」です。鹿児島本線に「古賀駅」があり、福岡県古賀市の中心駅です。こちらは「こがぢゃや」ではなく、「こがんちゃや」といったように、「ん」が入ります。なかなかの難読駅。
古賀茶屋駅舎。
次は、学校前駅です。
金島駅。
大城と書いて、「おおき」と読みます。
北野駅舎。
ここまではめぼしいところはなく、ありきたりな風景でした。次は、「がんちゃや」駅です。がんちゃや !?
どんな漢字の駅名になるのか!?続きは今度。
次は本郷駅に停まりました。「本郷」の付く駅名は全国でいくつかあります。まず、私の故郷、山口県下関市にある山陰本線の「宇賀本郷」。国鉄時代、ディーゼル機関車が牽引する長編成の客車がホームの端から端まで入りきらないという理由で、一部の列車は通過。徐行しながら通過するのではなく、全力疾走で通過するので、流れすぎる駅の様子を見てすかっとするので、下関からの帰りに急行「ながと」に乗るためわざわざオレンジカードから500円もの大金を投じて急行券購入。急行の要所時間50分、各駅停車65分。わずか15分の差に「急行券」のメリットはあるのか。急行料金を取らずに快速にすればよかったのでは。今の時代、JRは「急行」の付く定期列車は消滅しています。
「宇賀本郷」の他に、広島県の山陽本線にも「本郷」、小浜線の「若狭本郷」、東京都文京区の東京メトロ丸ノ内線にも「本郷三丁目」、総武線の「幕張本郷」。
次は大堰駅に停まります。久留米までの道のりはまだまだ長いです。
甘木発大牟田行きですが、終点まで乗り通すのではなく西鉄久留米駅まで乗車です。
次の駅は馬田と書いて、「まだ」駅。他に千葉県の久留里線にも馬来田と書いて「まくた」。あとは・・・浜田から出雲市行きの汽車に乗ったとき、途中の駅にあったような記憶があり、調べてみたら「馬路」(まじ)駅。もう1つ、えっと新潟県の磐越西線の「馬下」(まおろし)。国鉄オリジナル首都圏色(※タラコ色)のキハ47に差し込まれた「新津 ー 馬下」のサボ、山陰本線と同じキハ47に乗りたい気持ちが勝り、「新潟 ー 馬下」と読み間違え。あの頃の記事は こちら 。2019(平成31)年の1月なので、もう4年前になります。JR東日本のローカル線(磐越西線、男鹿線、五能線、津軽線、只見線など)では、2021(令和3)年をもちまして、キハ47での定期運用は終了となりました。JR西日本だと山口県内の山陰本線でバリバリ活躍中です。
(※)昭和50年代、赤字に苦しむ国鉄が塗装代節約のため、ディーゼルカーはタラコ色のみにした配色を相模線で最初に導入したことから首都圏色となったそうです。JR民営化後は、地域ごとのカラーバリエーションがたくさんありましたが、現在は国鉄オリジナルに戻しているところが増えました。小湊鐵道も首都圏色のキハ40を2両在籍。千葉でこの風景を見ると、なぜか故郷を思い出します。
次は上浦駅です。
甘木から久留米までのきっぷです。西日本鉄道は福岡市の中心地、天神から大牟田までがメインルートです。しかし、バスは北九州市内全域営業エリアなので、「にしてつ」は馴染み深い鉄道会社です。
私が子どもの頃、初詣は太宰府天満宮へと、連れてもらった記憶はありますが、鹿児島本線と西鉄大牟田線は競合しないようにかなり離れた場所で並行しながら敷設されています。例えば、久留米もJRと西鉄はかなり離れた場所にあります。あの頃はインターネットのない時代だというのに、ジローさんってよく行き方を理解できていたんだなと感心。
国鉄の二日市駅に降りて、数分は歩いて違う駅から乗っていったという、おぼろげな記憶があり、グーグルマップで確認すると、二日市駅から紫駅まではおよそ300mなので、おそらく、このルートなのかも知れない。
甘木駅のホームから見た駅舎。築74年の木造です。
電車は大牟田行きです。天神方面は西鉄久留米でお乗り換えになります。旧国鉄線と並行しながら同一駅名での乗換えができなくなった理由は歴史をひもといてみないとわかりません。
甘木鉄道の甘木駅から西鉄の甘木駅までの距離はおよそ100m。大きな建物の下が西鉄の駅です。
イオン系のスーパーもあります。
距離を測ろうとGoogleマップを開いたところ、このホテルの評価が出てくるわけですが・・・見た目きれいな建物なのに「コクヒョウ」ばかりです。
甘木鉄道の駅舎も1939(昭和14)年建築だけど、西鉄の駅も同世代なのか、年代物の木造建築物です。Googleマップで知りましたが、甘木鉄道の甘木駅前の道路は国道500号線。500というキリのよい数字。1号線から507号線まで、欠番もあり459路線あるとのこと。
甘木駅の改札口。基本的に全駅無人駅、ワンマンなので運賃の収受は運転士さんが行います。左側に「近畿日本ツーリスト」の旅行会社窓口があります。休業日は火・木・土・日・祝なので、この日は開いていませんでした。
月・水・金の10:00から17:30までは開いているので、ここでJRの指定席が購入できるかもしれません。旅行会社向けのマルス端末はあらかじめ断裁された通し番号付きの磁気券をプリンタにセットされているMR51型。駅の窓口はMR52型と言い、発券の都度ロールタイプの磁気券が断裁されます。
昭和14(1939)年建築の駅舎が現役です。古い建物に旅行会社の近畿日本ツーリストが入居するなどミスマッチな風景ですが・・・。
甘木駅前のロータリ。およそ200メートル先には西鉄の甘木駅。
終点甘木駅に到着すると、運転士さんが運賃収受。終点どちらも無人駅だったのは納得しました。国鉄甘木線時代は赤字ローカル線だから、もう廃線だと言われていた路線です。甘木鉄道に引き継いだあとは経営努力が実り、毎年黒字計上しているとのこと。
駅舎は日本国有鉄道の前身、鉄道省時代の1939(昭和14)年建築のもの。
ここは福岡県朝倉市内。ここに卑弥呼がいたのではということで「卑弥呼の里」となっているようです。およそ8~9キロ離れた秋月地区も「筑前の小京都」と呼ばれ、観光地となっています。
甘木鉄道の本社はここでした。
無人駅の代わりに機械の券売機が稼働中。
甘木駅到着。向こう側の汽車は昭和30年代にキハ20がデビューしたときに朱色とクリーム色の2色を使用。この配色は1959(昭和34)年に普通列車用のディーゼルカーの標準塗装として制定されました。(急行列車用は窓の部分に朱色。ちょうど普通列車用の配色を反転させたものです)
キハ10、キハ20、昭和42年デビューのキハ23系で使われていましたが、1970(昭和45)年以降、塗装コスト削減のため朱色1色(首都圏色)が標準塗装になりました。最初に朱色1色に塗り替えられたのは相模線のキハ30、35なので、たらこ色を首都圏色と呼ばれるようになったそうです。
誰も居なくなった車内。
ここは終着駅なので、隣の駅は片方のみです。