本日の青ヶ島ゆきの船は海上状況不良のため、欠航です。
このまま池袋線で戻るよりも所沢で新宿線にのりかえ。フリー切符なので、所沢での途中下車はできます。しかし、有人通路でQRコードが表示されたスマホを見せながら通過しようとすると、読み取り装置にかざすようにと指示があり、かざして通過。日付が小さくて確認できないので、音で有効なのかどうかの判断していると思いますが、これがちょっと面倒。
JR九州では、無人駅に設置されていた自動券売機や乗車駅証明書発行機を撤去し、駅に表示されたQRコードをかざし、スクリーンショットで乗車駅証明取得。下車駅でこのスクリーンショットを提示し、精算する仕組み。スマホを持っていない人や、操作に不慣れな人にとっては不評のようです。
平成初め頃の平屋建ての所沢駅をよく覚えていて、今のように複合施設付きの駅ビルに生まれ変わる激変っぷりに驚愕。
最後にひばりヶ丘駅で入鋏してもらって、駅員さんにスマホの画面を見せながら「トートバッグプレゼント」にタップ。「交付済」の表示に変わり、
プレゼントされました。4駅で使われていた鋏痕(きょうこん)がついています。平成の初め頃、首都圏のJR線にはじめて自動改札機が導入され、券面に切り込みを入れる改札鋏は磁気情報の一部を欠損する理由でそれに代わるものとして、チケッター(改札スタンプ)がデビューされたのも、その頃です。
昭和の遺産を令和になって復活するのはよかったものの、硬券も復活させ、鋏を入れるとか実現すればよかったかな。実際、硬券を自動改札機に挿入して詰まらせる問題もあったので、実現は難しいかも。
2024(令和6)年6月11日のひばりヶ丘駅北口の様子。四半世紀の昔、ここから何度も通勤に通っていたはず。当時の記憶では、所狭しといろんなお店があってにぎやかだったのに、今はご覧の通り。西武池袋線の急行が停まる駅、駅前はこんな田舎ではなかったはず。複合施設の台頭により、駅前商店街は衰退してしまった可能性があります。
ひばりヶ丘駅も、ちょうど100年前の1924(大正13)年6月11日に武蔵鉄道の「田無町(たなしまち)」駅として開業。西武新宿線の「田無駅」は1927(昭和2)年開業。
2001(平成13)年に田無市と保谷市が合併し、「西東京市」発足しました。このあたりは旧保谷市域です。
もう四半世紀の昔、私もこの駅の利用者でした。あの頃は昭和っぽい雰囲気の駅舎だったというのに、今はすっかり近代の洗練された駅舎に生まれ変わっています。
北口の様子。四半世紀の昔は、駅前に路地、ラーメン屋さんなどいろんな飲食店がごちゃごちゃに建ち並んでいたような記憶がします。今はごちゃごちゃが一掃し、ロータリーを設けられています。ごちゃごちゃになっている街の中に「ひばりヶ丘駅」の看板がかけられている階段があって、そこが駅の出入口。
あれほどたくさん店舗があったのに、土地区画整理でも行われたのでしょうか。
6月24日月曜日。本日の青ヶ島行き「くろしお丸」は海上状況不良のため、欠航となりました。次回就航予定は明日(25日)です。
清瀬駅はなぜか自動改札機の横に有人通路を設けておらず、インターフォンを押して通話するシステム。ろう者の場合はどうするんですかね?たまたま、インターフォンの横に駅員さんがいらしていたので、スマホに表示されたフリーきっぷのQRコードを提示。ゲートを通してくれて、出札窓口へ。
西武鉄道は本数がすごく多いので、あっという間に3駅目をクリア。
出口は1971(昭和46)年からずっと変わらずだけど、橋上の改札口は令和風にリニューアル。
副都心の池袋から準急や快速で25分前後で到着してしまうのに、周辺はまだ畑が残り自然豊かなところ。また、医療のまちと言われているとおり、高度医療機関や研究施設などが多く点在しています。
今度はゴールのひばりヶ丘駅に移動します。
3代目。その頃は旧字体の「清瀬驛」ではなく、「清瀬駅」。今のような橋上駅舎に生まれ変わったのは1971(昭和46)年なので、写真もその頃だと思われます。モノクロで残念ですが、1969(昭和44)年にデビューしたイエローの電車なのかと思います。デビューして2年後なので、当時にとって最新電車なのかも知れません。
その頃はまだ喫煙天国なので、ホームに灰皿スタンド設置。国鉄時代ならどこに行っても、大型の灰皿スタンドをよく見かけました。国鉄が日本専売公社と組み、税収増益につながっていたかも知れません。そのため、1976(昭和51)年、初めて新幹線0系に禁煙車を設けたのは16号車の1両のみ。しかも自由席なので、タバコの煙を避けたければ、1番端っこの禁煙車両に行け、という感じでした。禁煙車両が少しずつ増えていき、1997(平成9)年頃は禁煙と喫煙、半分になりました。禁煙の割合を増やしていき、2007(平成19)年にデビューしたN700系は全席禁煙にして6か所に喫煙ルームを設けていました。いつの間にか6か所から3か所に減ってしまい、ついに2024(令和6)年3月ダイヤ改正から災害時のストックスペースとして喫煙ルームは全廃。
詳しくはこちらのニュースにあります。 駅100周年記念で大ヒット2曲が発車メロディに
来賓席。左から4番目のお方、中川礼二さんかと思っていましたが、西武鉄道の制服姿なので、そっくりさん?あとでネットで調べてみたら、本物の中川礼二さんとのこと。
黄色い服の方は、清瀬市出身の女優、釈由美子さんでした。
詳しいニュースは こちら。
6月22日(土)の青ヶ島行き「くろしお丸」は海上状況不良のため、欠航しました。次回の就航予定日は6月24日(月曜日)です。
6月21日金曜日。本日の青ヶ島行き「くろしお丸」は1時間早めて条件付き出航しました。予定では9時30分ですが、8時30分に出航します。条件付きなので、海上状況により八丈島に引き返すこともあります。
初代の清瀨驛は木造駅者。2代目は鉄筋コンクリートに変わりました。でも、漢字は「清瀨驛」のままです。駅前に停めてある車のナンバーは日本のものではない。終戦直後、日本を指導したGHQの影響で昭和20年代のものかと思います。
写真は「赤電」と呼ばれていた、ツートーンカラーの推測451系(?)かと思います。西武といえば、イエローのはずだけど、昭和時代は赤色にクリーム色をまとっていました。
初代は1924(大正13)年開業。2代目はALWAYS 三丁目の夕日の映画みたいに1955(昭和30)年代のものかと思います。
つまり、上と下は同じ時期に撮影したものではない、と判断。