夕食はハン尚宮(母)のお得意料理、韓国の???(韓国語読みでピビムパプ)。
本当は石焼ビビンバの?? ???(読みはトルソッ ピビムパプ)が美味しいですが、わが家では、石焼用の器を買い揃えていませんし・・・。買うとしたら、1皿あたり 3万ウォンもしますので、貧乏な我が家ではなかなか買えません(笑)。わが家では、日本円、韓国ウォンどちらも通用。
ドックおじさん(父)は糖尿病の予備軍のため、糖質制限食実践中。朝夕だけは、炭水化物がたっぷり含まれている御飯や小麦が原料のお好み焼き、麺類は避ける。
私もお昼のみ、御飯を心掛けているのに、ハン尚宮(母)いわく、炭水化物を除いたメニューをなかなか思い浮かばないときは、ビビンバにするそうです。
「夕食に炭水化物はダメだってば!」とそう思いながら美味しくいただきました。
アサリの身がしょぼすぎるスーパーは避け、遠くのスーパーまで行った甲斐があると思えるほど、身がプリプリしています。
大きなアサリは噛みごたえがあり、美味しいですよ~!
キジバトちゃまが「やもお」(※妻に先立たれた夫)になったのに気づいたのは5月18日。駅前で何者かに襲われ亡くなったキジバトを見かけても、「それはうちのキジバトちゃまじゃない!」と拒絶反応をしてしまいました。最近になって、どうやら、亡骸は私が飼っていたキジバトちゃまだったようだと気づきました。
いつも仲良く夫婦で来ては、仲良く毛づくろいする光景を何度か見かけたというのに、最近はお父さんキジバトちゃまが単独で来るようになりました。
再婚相手を見つけ、以前のように仲良く夫婦で来てくれたらいいな~・・・・。
島じまん2012に行かれた方、tanoshimasanさんのリポートです。私は青ヶ島ばかり取材しすぎてしまい、他の島は疎かにしてしまいました。本当は伊豆大島から小笠原まで特産品を1つ1つずつこまめに取材すればよかったのに、1日だと時間に制約があり、なかなかできません。
利島ブースに行くと、4年前の島自慢ではなかった、新商品の「うつぼ」ばかり目立っていました。何でだろうな~と思ったら・・・なんと2012年から製品化されたとのこと。
初めて青ヶ島に行ったのは1999(平成11)年。私が中学生のとき、地図帳に載っていた小さな青ヶ島に興味を持ち、およそ10年目でやっと念願がかないました。その頃はインターネットがまだ普及していなくて、乏しい情報のさなか、上陸するのにかなり不安でした。その頃の私は好奇心旺盛なので、実際に行ってみて、この目で見てやろうと思っていたかも知れません。
船が三宝港に近づき、上を見上げると、険しい断崖絶壁。ジェットコースターのような都道。初めて見るものにカルチャーショックの連続。
その後5回も行っているので、こんな風景でも「やっと好きな故郷に帰れた」という気持ちに浸るようになりました。
リポートに書かれているとおり、「何でもパワフル生産」の島です。船が1週間来ないときがあっても、どの家でも自給自足でまかなえるように島で生産できるものなら何でも・・・という風習があるようです。何でも工面できてしまう、青ヶ島人に脱帽。
今度は新島。えええーっ!新島って、玉ねぎの名産だったのですかっ!?新島ブースへ行かずに申し訳ございませんでした・・・。
マグロ丼。八丈島の島寿司と同じく、酢飯に島ダレで漬けた天然のマグロを乗せています。酢加減もちょうどよく、まるで料亭の味。御飯に使われているお米も高級ブランドが使われているようで、ものすごく美味しいです。
それなのに、ワンコイン(500円)でいいですかいっ!?800円~1000円が妥当かも・・・。
青ヶ島小中学校の大人気メニューのマグロ唐揚げ。
衣もちょうどよい味に仕上がっています。どうやって作るか、秘伝レシピを教えてもらいたいな~。
青ヶ島のマグロを味わうと、スーパーで売られているものはもう食べられなくなってしまいます。
島男たちがひんぎゃの塩で焼いてくれた、クジラヨの塩焼き。
クジラヨは内地では滅多に食べられないものなので、とても珍しいです。
食べてみると、激流の黒潮を泳ぎ回ったのか、ふか~い潮の匂いがプンプン。青ヶ島では「めちゃ臭い魚」と言われているみたいですが、いったん焼いてしまえばそんなにおいはしませんでした。
最後に紹介するのは、和牛ステーキ。青ヶ島ブースで出されるグルメだからと深く考えずに注文してしまいましたが、これは
青ヶ島の郷土料理ではない!!
青ヶ島の和牛だからといっても、地元の人たちは食べないものなんですよ!!
これを見たときに、一瞬・・・・青ヶ島で出会った可愛い牛ちゃんをよぎってしまいました。
可愛い牛ちゃんをこんな姿に変えてしまうなんて・・・。青ヶ島の牛さんはもう食べられなくなってしまいました。
買わなくてよかった、本当にごめんなさい!と合掌し、いただきました。焼き方はミディアムで、ひんぎゃの塩加減もちょうど良いです。
飼い主さんにとって牛さんは自分の子供のようなもの、大きくなったら、どんな思いで内地送りをしているでしょうか・・・。
のどかな自然環境で悠々と育てられた牛さん。ある日突然、貨物船に乗せられ、食肉市場へ。自分はどんな運命になるか、道中は恐怖におののいたに違いない。
ここは竹芝出張所なので、青ヶ島の和牛として提供しているようですが、青ヶ島の牛さんはもう2度と食べることはないでしょう。(と言いつつも、他のところで生産された牛さんは食べてしまいます)
1個下の記事に豊島と利島のことを書いたら、コメントが寄せられました。昨日は、あまり深く考えずに適当に書いてしまいました。
日常会話で出てくる「豊島」は頻出がとても少ないです。ほとんど「池袋」。
もう少し詳しく調べてみたところ、豊臣秀吉の兜に剣のようなものがたくさん刺さっているので、首の後ろから両手を左右に広げながら開く表現です。次に来るのは「島」ですが、省いてもよいかな。
御蔵島村竹芝出張所は今までひっそりしていたのに、今年はすごく派手でにぎやかになってしまいました。各島の中でひっそりしてしたのは、利島村でした。
「利島」と書いて、読みは「としま」です。音声で「とうきょうと としまむら」(手話だと「東京都」+指文字で「と」「島」+「村(田舎を表す表現)1つ目は畑を耕す表現、2つ目は親指を鼻に当て、田舎っぺを表現」と話すと、「副都心池袋を擁する豊島区だというのに、村じゃねーよ!」と突っ込まれそうです。
「豊島」「利島」どちらも同じ読み、「としま」です(笑)
「村」という手話表現が2つあり、畑を耕す表現のほうが上品。親指を鼻に当てる表現は下品になってしまいます。「村」の付く姓名の方には、前者の表現にしたほうが良さそうです。
手話の「豊島」は「豊臣秀吉の鎧、特に頭部の針のようなもの」を表現し、それから「島」。
「利島」は豊臣秀吉と同じ漢字ではないので、指文字の「と」+「島」。
音声は同じでも、手話だとちゃんと区別してあります。
利島は今から12年前の2000年に1度だけ行ったきりです。
青ヶ島と同じく、「そうだ、利島へ行こう~!」と突然の思いつきで、さるびあ丸に潜り込み、翌朝利島へ。
朝早く着いても、朝早くから開いている食堂や商店などありません。
昨夜竹芝で調達しておいたパンを朝食代わりに・・・。当時は民宿が2軒しかなかったというのに、新しくもらったパンフレットでは、古くからやっている2軒に7軒も追加し、全9軒も!?
利島といえば、椿とサザエが有名。
最近は、ウツボが名産になっているようです。
確か、青ヶ島もウツボは獲れるのに、商品化は利島がお得意のようです。
おそるおそる試食してみたところ、美味しいですっ!!
ウツボチップスは乾物だけど、半生状態で加工したモノでもポン酢をかけると美味しくなります。あの恐ろしい怪獣のような顔をした魚だというのに美味しいなんて信じられない。
超バカでかいサザエ。1個700円也。
写真だけでは、どのくらいの大きさなのかわかりません。大きさを比較するため、100円玉を置いて撮影すればよかったかも・・・。
このサザエは直径15センチくらいかな・・・目玉が飛び出すほどでかいです。
帰宅すると、奇しくもわが故郷の山口県から多量のサザエが届きました!!
こんなにたくさん・・・本当にありがとうございます!!
山口県の日本海側で獲れるし、東京都利島村も!!
その日の夕食。ツボ焼きを殻のままで出せばよいのに、身を取り出したものだけに・・・。
サザエと一緒に送られてきた鮮魚。
青ヶ島の島ダレは刺身に合います。
ブリも山口県かと思ったら、ハン尚宮(母)の話によれば、山口県から届いたものはサザエと水イカ。ブリは近所のスーパーで買った山形産。
「でも、味は山口産かと思った」
母「スーパーで買ったものでも、山口産を思わせるような裏技は、柵のまま買い、ボールに氷を入れ、塩も入れておく。氷の冷たさで身を引き締まってくれます。今度はキッチンペーパーでよく拭き取る。それをやっただけでも鮮度もすごくあがります」とのこと。
おまけ。我が家では放し飼いする、ペットのキジバトちゃま。
できれば、キジバト語をお互い理解し、家の中で一緒に暮らしたいですねぇ~。
青ヶ島のことを書くとエンドレスになってしまいそうです。還住太鼓はこの先になりそう・・・。
青ヶ島でよく見かける、タニワタリの苗。
竹芝出張所で販売中というのは、内地でも育てられそう??
4年前はロベちゃん(正式名称はフェニックスロベレニー)の苗を購入し、冬の間は屋内で越冬。現在は玄関の外に置いていますので、我が家の顔になっています。
一緒に育てようかな~と思いましたが、タニワタリさんはシダ科なので、ある程度湿気が必要になります。ここでは冬の間、静電気が発生するほどすごく乾燥しています。育てられるか、ちょっと心配。ずいぶん迷いましたが、購入は断念。
会場のステージもすごくハイテク化に・・・。
スクリーンのような大きな画面がついていて、出演者の表情が遠くから見てもよくわかるようです。
今度は3階の青ヶ島レイ作り体験コーナーへ。
ハワイでレイのメイキングを学び、その土地で育ったレイを使って花飾りを職人とするUMAHANA先生です。
飾り付けするのは、青ヶ島のレイとカラフルなお花たち。
お客さんの顔を見て、イメージに合うようなメイキングをしてくれます。
もちろん、女性が対象になっていました。それも無料なんて、青ヶ島村はサービスがすごいですな~!!
髪飾りをつけてもらった女性たちは、すごく満悦でした。
うっとりしてしまうほどきれいな飾り付けなので、撮影してしまいました。少しだけですが、出張所の様子と、髪飾りの様子を動画でアップします。
はい、青ヶ島の島男はちょい無愛想なのがほとんどです。国立国会図書館に所蔵してある、青ヶ島に関する古い資料などで自分なりに分析してみました。
島女はすごく社交的で明るい方、母性もあって、面倒くさからずにまめに書いてくれます。
昭和30年代の青ヶ島は想像を絶するほど、過酷な秘境でした。青ヶ島教師を募集しても、「島での生活は勘弁だ」と次の船に来る船で姿をくらますのがほとんどです。当時の青ヶ島行きは年4~5回。今だと考えられないアクセス手段。
東京~八丈島の定期船が青ヶ島まで延伸する日は、島の若者が総出で大型客船から小型船に乗り移すはしけ作業に出かけます。島男は褌姿に「エイサ、エイサ・・・」と掛け声とともに漕ぎます。
そんなお父さんの後ろ姿を見て育った世代は女々しいことは一切しない「島男」。それが今の40代から60代の間かな。魚をさばくのも得意。男が作る島料理もすごくてんこ盛り。大雑把な味付けでも美味しい。
30代はちょうど三宝港に「港」が完成し、はしけ作業が見られなくなった頃です。本土からテレビの電波が届くようになり、島に居ながらも本土の情報を収集し、島言葉を話さなくなったのはその世代から。
20代は1993年にヘリコプターが365日毎日来るようになり、2000年頃から島にインターネット接続可能。2004年からは本土と変わらないブロードバンド導入。言葉も東京と変わらない標準語。障がいを持つ人と出会っても、柔軟な対応もできるのは、その世代。
10代は・・・本土と同じ基準になった頃なので、「出身は青ヶ島です」と言わなければ東京の子と全く見分けができません。
青ヶ島の郷土ブースで並んでいるときに売り子さんをちらっと見たところ、テレビで落ち着いた口調で青ヶ島の見どころを解説していた中学生(今は高校生)、2年前の青ヶ島旅で同じ船で乗り合わせた高校生でした。
「メニューに出ている、4種類全部くださいな」とメモに書いて、そっと差し出すと、自らのポケットから筆記道具を取り出し、「かしこまりました。13時から発売になります。チケットを渡しますのでその時間になりましたら、取りにいらしてください」。「今のは予約なんですか?」「はい、その通りです」青ヶ島は聞こえない人に対するコミュニケーションリテラシーは合格。
若い子だというのに、よく気が利きますね~!!
いつもお世話になっている方も、私が来るのを想定し、ポケットにメモ帳と筆記道具を忍ばせ、さっと取り出してくれたのに感激~!!
13時。青ヶ島ブースに行くと、「申し訳ありませんが、13時30分になりました」。
島のスローライフなので、時間きっかりというわけではないので、まあ、なんとなく理解できます。 ちょっと腹が減ったな~と「小笠原弁当」で行くか!と思い、小笠原ブースに行くと「小笠原弁当」がないっ!!4年前の島じまんでは小笠原の食材で詰まった弁当が売られていたのに~!!
今回はメガシキのコメハンバーカー。
なるほど、小笠原はもともとアメリカの植民地(終戦後~1968年6月26日)なので、沖縄と同じくチャンプルー文化。
小笠原のメガシキをハンバーカーにしたものでした。
メガシキは魚のはずなのに、鶏肉っぽい風味。 八丈島の島寿司。私にとっての八丈島は青ヶ島へ行くための踏み台にさせていただいています。(八丈島の皆さん、本当にごめんなさい)
でも、八丈島の島寿司はすごく美味しかったので、懐かしさもあり、買ってしまいました。
次の記事は・・・青ヶ島です。
4年前の島じまんではなかなか気づきませんでしたが、今年やっと気づきました。
村の小さな出張所だというのに、ちゃんと3つのゾーンに分かれていました。
私は犬の鼻のようで空気にすごくシビアなんです。例えば、檜原村はマイナスイオンの空気が漂っているとか、海に行けば潮の香りがするとか、そう感じ取れます。
小さな出張所からは、3つの異なる空気が漂いました。
1つ目のゾーンは三宝港の香り。
このあたりです。
島のグルメを販売するコーナー。行列ができているときは、まだ準備中なので、何も匂わなかったのですが・・・ 4品すべてが完売した夕方あたりになると、三宝港と全く同じ空気が漂いました。
浜遊びのときは獲れたての魚を炭で焼いているので、その空間をそっくり青ヶ島から竹芝に持ち込んだという感じです。
(参考画像:2002年夏・三宝港)
2つ目のゾーンは居酒屋。
なんだか、美味しそうな焼酎の香りが漂うな~と思ったら、置かれている「あおちゅう」は試飲用なので、瓶を開けると芋の香ばしい香りが漂います。
青ヶ島の民宿はどれも夕食にボリュームたっぷりなので、食後、居酒屋にはしごすることはなかったのですが、あの焼酎の香りはまるで居酒屋のようです。
3つ目のゾーンは島民たちの憩い 青ヶ島の人たちは人が集まれば、獲れたての鮮魚を肴にして酒盛りが大好き!!
今回は他の島から持ち寄ったグルメにお酒の瓶。そして、島男たちのタバコ。
竹芝出張所でもこの空間だけは青ヶ島の日常をそっくり垣間見ができます。(笑)
(参考画像:2002年夏・民宿)
「島じまん」は2年ごと開催されます。2年前の2010年はホンモノの青ヶ島へ行く計画があったため、竹芝の一角で小さく設けられた出張所より現地のほうがよいに決まっていると出かけませんでした。
若かった頃は、「そうだ、青ヶ島へ行こう」とふらりと船に乗り、翌日気が付けば青ヶ島ということも平然とやっていましたが、歳を取ると行き当たりばったりで「仕事お休みしまーす」とか、そういうことができなくなり、なかなか難しいです。
会場に着くと、案内図で青ヶ島の位置を確認し、おのずと足を運んでしまいました。
島で見かけた懐かしい人いっぱい!!
厚かましくも、青ヶ島ブースの厨房に潜入!!
これは鯨ではありませんが、「クジラヨ」と言います。
「ヨ」って、青ヶ島方言で「魚」を意味します。 クジラヨ担当は、やはり、島男たちです。炭から焼いているので、黒潮のほのかな香りがする塩焼きが出来てしまいます。
ネットではお世話になっている方です。すみません、勝手に撮ってしまって・・・。
島でマグロが多量釣れたときに小中学校の給食メニューに出る「マグロの唐揚げ」。島の子供たちも大人気です。
給食のメニューをここで食べれるのは滅多にないことです。
唐揚げの衣も、マグロ向けの秘伝レシピらしい!?
厨房の様子をビデオ撮影しておきました。
ドックおじさん(父)は洋食レストランで必ず注文するものがあります。
それは・・・オムライス。
「どうして、オムライスばかりこだわるんですか?」と聞くと・・・
「私が小さいとき、父に連れられた下関駅前のレストランでは、お決まりのオムライス。だから、その味が忘れられない」とのこと。
祖父は父が8歳のときに事故で亡くなりました。その直前、父にごちそうしてくれた「オムライス」が忘れられないそうです。
わが家では普段オムライスを作らないし・・・。写真のような卵ふわふわに作るのに相当なコツがいります。私も作れたらいいですが・・・。今度研究してみます(笑)
桃源台ビューレストランはセルフサービスですが、とても美味しいです。
るるぶに載っていた、今回宿泊したホテルの詳細データ。
温泉や部屋、接客サービスはすごくよかったのに、食事はあまりぱっとしませんでした。価格相応じゃない。高すぎる。正直に言って、「ええっ、食事はこれだけ!?少なすぎる」でしたからね・・・。
今度の箱根は長年も憧れている明治時代の「FIJIYA」にしたいな~。まだ泊まったことはないけど、明治のクラシカルな雰囲気を味わってみたいです。
職場の西日とエアコン節電対策として、去年から「緑のカーテン作り」が始まりました。
ゴーヤー作りに関しては全く素人だというのに、お手伝いメンバーとして指名されてしまったので、参加しました。
去年は初の試みとして1階だけでしたが、今年は2階も設営することになりました。
2階は土がないため、プランター育ちです。
1番張り切っていたのは、鉄道が大好きな「鉄子」さんでした。
職場の人には私がブログを持っていることは伝えていません。
ブログに載せるための写真と伝えていないため、顔にモザイクをかけました。
今回のプロジェクトで指導者だった、「ゴーヤー係長」。
ゴーヤーの苗を植え、ツルがネットをしっかりつかめるようにヒモで結んでいるところです。
見た目は都会のお嬢様という「鉄子」さん。
少し掘って苗を地面に移すときに、まるごと埋めたら「ちゃう、ちゃう!!苗から地面に移すときは、このままだと根が思うように張らなくなる。少しほぐして埋める!」
「あなたは都会のお嬢さんという感じだけど、農業に詳しいですね。どこで学ばれたのですか?」と聞くと、彼女の実家は市内内陸部の田舎でした。田舎だから、田んぼ作業も畑もこなせるようです。なんだ、そういうことでしたか!
全くの素人であった私でも、今回のゴーヤー設営は少し勉強になりました。
わが家の庭でゴーヤーを植えても、高いネットがないため、伸びたツルが空中をさまようだけ。この状態だとゴーヤーが実るわけではありません。いつも失敗に終わってしまいます。
2階までネットを張り、ゴーヤを植えたプランターを置けば確実に育てられそう。
「青ヶ島村竹芝出張所」は単なる私の造語です。伊豆大島から小笠原まですべてが竹芝に集い、各島じまんの郷土料理や特産品の販売、太鼓などの郷土芸能を披露するところです。
大島や利島、そして大好きな小笠原に行っても面識のない方ばかりだというのに、なぜか・・・青ヶ島のところに行くと、そこに顔見知りがいっぱい!人口170名の日本一超ミニ自治体なので、私みたいな変な人が青ヶ島に行くと地元のみなさんに顔を覚えられたというのが原因のようです。だから、青ヶ島ブースだけは「青ヶ島村竹芝出張所」と名付けてしまいました(笑)。
2年前も「竹芝出張所」がありましたが、この年(2010年)は青ヶ島に行く計画があったので、竹芝の一角に小さく設けられた「出張所」より本物の青ヶ島のほうがスケールがでかいという理由で参加しませんでした。
今年は青ヶ島に行く予定がないので、「出張所」で暫し青ヶ島気分を味わさせていただきますね・・・。
いつも写真付きでメールを送っていただく方も出張所へ。
23日はすごくよいお天気でしたとのこと、今日もこのような天候なので、無事出島を終えたと思います。
たぶん、出張所のみなさんも「2年前、見かけた変な人が来た~!」と気づくと思います。
そのときは、よろしくです(笑)。