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後藤寺線の彦山行きは11時7分、田川後藤寺停車。4分間停車して、11時11分、下り日田彦山線に直通。
日田を9時47分に発車した、上りの小倉行きは後藤寺に11時11分到着すると、下りの信号が「青」に変わる。7分停車して、11時18分発車。もともとは「後藤寺駅」、となりも「伊田駅」。田川市内なのに、田川を名乗る駅名がないとか、「後藤寺町」と「伊田町」が合併し、田川市が誕生。「どちらが中心駅なのかわからない」。市民アンケートで慎重に検討した結果、田川市役所の位置は後藤寺駅と伊田駅の真ん中にあるので、どちらも「田川」を冠し、決着。マルスの経由欄は線名と同じ駅があるとは混同を避けるため、〇〇線と印字。後藤寺線と印字する理由は、旧駅名の名残でしょう。
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懐かしい、国鉄のキハ47です!!志布志線、指宿枕崎線など、九州南部の末端区間で活躍している同じ汽車が本社地域でも見られるとは思いもしなかった。
12月10日は土曜日。2学期期末テストから解放され、都会へ出かける若い学生らしき人もたくさん。このあたりは田舎だから「都会に行きたい」。その姿はまるで自分の若かった頃に重ねる。何もない小さな漁村だから、買い物はいろんな商品を手に取って比較できる街にしょっちゅう出かけていた。下関や小倉では物足りないからと、博多へ。さらにエスカレートし、今度は東京。しかし、数年で挫折し、田舎暮らしに逆戻り。わざわざ街へ買い物に行かなくても、インターネットで品定めし、ポチッとすれば、届けてくれる。
街に出かける楽しみは田舎の書店では置いていない本や雑誌がたくさん読めるし、当時のOA機器はワープロがメイン。展示品をいじって機能を比較したりとか・・・。富士通はオアシス、東芝はルポ、NECは文豪、シャープは書院だった。よく見かけるのはこの4社。当時は貧乏なので、片隅に置かれていた1番安い三洋のサンワードを購入。金銭的余裕が出たときは富士通のオアシス。Windowsと互換性があったのか、フロッピーにDOS形式で保存すれば、パソコンでも使えたような記憶が・・・。今みたいにカラーではなく、モノクロトーンでもよく満足して使えたな~と我ながら感心。
今の時代、消滅してしまったのはワープロ、オレンジカード、改札鋏、検札パンチ(「い」「ろ」「は」など文字が浮き出るもの)、缶切り、蝿取り紙、製氷皿などなど・・・。
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「小倉」はもう我が故郷のエリア。山陰本線のキハ40、47はこのようなサボが使われなくなり、2色LEDに変わったというのに、JR九州の国鉄車両は昔ながらの「サボ」健在!!
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キハ147 58(旧キハ47 58)。当時の國鐵は赤字が膨らんでいて、これ以上お金をかけられないという理由で標準仕様では貧弱なエンジンを取り付けていた。当時の美祢線はノーマルのキハ40。急こう配が長い区間もあるのに、苦しみもがきながら走っているのかものすごい響いていた。長門市から厚狭まで46キロなのに、要所時間1時間20分くらい。今はキハ120なので1時間に短縮。
國鐵設計の貧弱なエンジンを交換すると改造したとみなされるので、キハ147に改番。
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後ろもエンジン置換済のキハ147 1057。
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1980(昭和55)年、新潟鐵工製造。1999(平成11)年、小倉工場で改造。
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指宿枕崎線では12月なのに扇風機回していたのに、九州北部はさすがに使わないのか扇風機にカバー。
キハ47の車内、子どものころ通学で何度も乗った風景なので、これを見ただけでも懐かしい。山陰本線は改造をしていないものはオリジナルのまま、3000番台は改造済。躯体はしっかりしているのに、エンジンがボロだからという理由でまるごと廃車にするのはもったいない。パワーアップしたエンジンだけ取り替えれば経済的。