テレビのチャンネルをまわしていたら、死刑なんとかの話が出ていたので、そのまま見入ってしまいました。
今までタブー視されていて、あまり知られることはありませんでした。
図書館の背番号326.41(社会-法律-刑法-死刑)のところに行けば、たくさん置かれているのですが、わざわざ手に取ってみる利用者はあまりいなかったみたいです。
ところが、2008年に鳩山邦夫元法相が在任中2ヶ月ごと執行を命じ、その都度マスコミに取り上げられるようになったり、さらに2009年5月から裁判員制度の導入により、死刑に関する本の貸し出しも増えてきたような気がします。
今回見た番組は初めから見たというわけではなく、チャンネルを合わせた途中から見たのですが、千葉景子元法相はもともと死刑廃止論者でした。
選挙に敗れた直後、法務大臣在任中に1度もサインしないとはどういうことなのかという世論もあり、最後まで任務を全うしたいと法務大臣の部屋にしまいこんだ2人の記録を読み、執行命令の決断に至ったそうです。
そして、自ら立ち合いを希望し、実際に執行される現場を視察。
その話を聞いたときは、女性だというのに、自分の命じた仕事を最後まで見届けるなんて度胸が強いなぁと思ったのですが、その理由が今回の放送で初めて知りました。
裁判員制度の判断材料として、今までペールに包まれていた刑場をマスコミに公開する前に実際にどのように執行されるか確認するためだったそうです。
・2010年7月29日の記事(異例の????(サヒョンチッペ~ン))
【サヒョン(韓国語)=死刑、チッペン(韓国語)=執行】
一般の人が「あれほど凶悪事件を起こしたものだから、死刑にすべきだ」と言うのは簡単。
しかし、執行に携わる拘置所の職員をはじめ、執行命令書にサインする法務大臣の立場からにすると、苦悩になってしまいます。
番組の最後に執行を命じられた33歳男性から処刑直前に書いたと思われる千葉法相宛ての手紙が一部公開されていました。
死は「逃げる」に等しく、被害者に対して一生贖罪や反省をせず死ねということでしょうか。という内容でした。
でも、被害者の遺族は死刑を望んでおられるし、死刑囚はいのちのある限り、生きて償いたい。その衝突がちょっと難しいなあと思いました。
今日の晩御飯。
メインはハン尚宮(母)のしょうがたっぷりの牛肉と大根煮。
サブは韓国風あさり酒蒸し。
小皿はヒジキの煮物。
あさりの酒蒸しだけ私の試作品。1回目はランチに出したけど、ちょっと失敗。2回目は夕食。
スーパーに行ったら、大粒のあさりが並んでいました。
小粒は酒蒸しにしても、小さくて食べるのがちょっと大変。
それくらいの大きさがちょうどよいです。
【材料】3人分で・・・
あさり 大粒 1人12~14個なので、35~40個
ニラ 1/2束
もやし 1/2袋
小ネギ
ニンニク 1片
コショウ 適量
塩 適量
料理酒 150cc (ここまでが日本の酒蒸し)
+ ごま油 大さじ 1 (これを加えると、韓国風に変わります)
【作りかた】
あさりは買ってきてすぐ料理にとりかかると、カチッ!と口の中で砂を噛むような食感になることもあるので、砂抜きしておきます。
山口の日本海側に住んでいた頃は、近くの海で汲んできた海水で一晩砂抜きをしていました。
ここは近くに海がないので、食塩でできるだけ海水に近い味を再現します。
青ヶ島のひんぎゃの塩だともったいないので、普通の塩で少しずつ調整しながら味を見ます。
あさりは明るいところが苦手。殻に閉じこもりになってしまいます。冷蔵庫の暗いところだと、リラックスし、管を出してくれます。ラップをかけておかないと冷蔵庫の中が吐いた海水だらけになるので、要注意。
1.ニラは食べやすいように4センチ程度に切っておき、もやしはひげを取っておきます。
ニンニクを1片、みじん切りにします。
2.砂抜きしたあさりをよく洗います。
3.フライパンに油を敷いておき、みじん切りしたニンニクを炒めます。
4.かわいそうだけど、あさりをフライパンに入れて、2、3分しばらく炒めます。
5.料理酒とニラ、もやしを入れ、韓国風に仕立てるのに、ゴマ油大さじを入れます。コショーと塩を少々まぶしておく。
6.刻んでおいた小ネギをまぶし、蓋をして、蒸しておきます。時々蓋を開けて出来具合を確認してください。 今回使ったのは、ガーリックオイルと塩の代わりにハウス食品の香りソルト(4種のペパーミックス)。
近所のスーパーではなかなか見つけられず。
買い付け先はわざわざアクアライン高速バスの発着地、品川駅港南口のアトレですが、香りソルトは製造後2年なので、2、3本買いだめができます。
しかし、ガーリックオイルは製造後6ヶ月以内なので、なくなったら、その都度買わなければなりません。品川で見つけたものだけど、近くで買えるところがあればいいのに~と製造元を見たら・・・
福岡市中央区天神の株式会社ピエトロでした。
福岡で作られたものがなんで品川にあるんですかっ!?
このガーリックオイルでパスタにするのも美味しいです。
2月25日。いつものとおり寒い日だろうとダウンジャケットを羽織って出かけたというのに、急に暖かくなりました。
2月にしては東京都青梅市では23度を記録したとか・・・。
青梅市の様子がテレビで映し出されましたが、アイスクリームを美味しそうにほおばっていました。
今日は珍しく、暖房器具を使わず。
関東地方に春一番が吹いたらしく、強風の南風でした。
この強風だとすると、青ヶ島の還住丸はきっと欠航なんだろうと思いきや、25日は1週間ぶりに就航できたとか!!
(25日と書いてしまいしたが、春一番の吹いた前日24日でした。ここで訂正します)
手紙、はがき、比較的軽い定型外、ポスパケット、レターパックはヘリコプターで運ばれるのですが、荷姿が箱の「ゆうパック」は原則として、船で運ばれるので、待ちきれないほど待っていたかも知れません。
欠航続きだと追跡情報を照会しても、「新東京支店通過」のみ数日間はデータ更新されず。
その間は八丈島の新東京支店三根集配センターでしばらく保管されます。
還住丸が動いたとすると、「新東京支店青ヶ島集配作業所 到着」その数分~数時間後に「お届け先にお届け済み」。
しかし・・・・翌日の26日は25日の暖かさがウソみたいに寒さがぶり返すそうです。 ハン尚宮(母)のお得意料理、韓国の???(ビビンバ)。
コチュジャンも純正韓国製。
偶然、面白い記事を見つけました。
友人も韓国にはまっているようで、???(サムゲタン)を味わったときの様子がブログで綴られています。
・女心と秋の空 (韓国顔とサムゲタン)編
冬のソナタに演じた、ヨングクにそっくりなので、「ヨングク」というあだ名を名付けたところ、ヨングクさん本人はお気に入りのようでした。
ヨングクさんは「あなたは韓国人ですか?」と間違われるほど、韓国顔なのは確かです。(笑)
かろうじて文字が見える、「石狩当別(いしかりとうべつ)」駅。
豪雪に慣れている、JR北海道はほぼ定刻とおりです。
滅多に雪が降らない首都圏だと雪が降っただけで大騒ぎ、運休になったり、間引き運行になったり・・・。
札幌~稚内、ほぼ400キロを5時間で疾走する特急の「スーパー宗谷」号も豪雪の宗谷本線も何事もないかように走行していると思われる。
下の動画は夏の間に撮ったものだが、冬は真っ白の原野が広がる風景になるでしょう。
昨日アップしたばかりの画像です。
隣の駅、「なかとっぷ(中徳富)」駅は利用者が1日1人未満と極端に少ないので、2006(平成18)年3月17日をもって廃止されました。
「しんとつかわ」の文字の上にあるものは雪で覆われて見えないのですが、「学園都市線」と書かれています。
1日3本しか来ないのに、「学園都市線」なんてつじつまがあわないような・・・?
今度は札幌。
2001年当時のデジタルカメラはコダック社製の230万画素、DC280J。
2000年に購入したもので70万ウォン(≒5万円)も大金を果たして買ったもの。
夜景モードにしては、美しく撮れています。
今使っているデジカメは2008(平成20)年製の1010万画素の高精細なのに、夜景を撮るのに難しい。
DC280Jはどうしたかというと・・・、電源を入れても起動せず。残念ながらお亡くなりになってしまいました。
昔のデジカメにしては、きれいです。
コダックは大手写真メーカーのはずなのに、量販家電の店頭ではあまり見かけません。
さすがに北海道。
氷彫刻の中にカニ、鮭、ホタテが・・・。
今はなくなっている、ボンネット型の特急485系。
「ボロ国鉄」は語弊かも知れませんが・・・その古めかしい電車が廃止になる前に1度全区間乗っておこうと思いついたのが、なんと!!
大阪から青森まで1023.4キロを12時間ぶっ通し。
大阪を10時12分に発車して、青森に着くのは22時59分到着とキップに印字されています。
グリーン車でもなく、普通車でよくこんなに乗れたな~と我ながら感心。
10年前の昼行特急で日本一長距離はこの「白鳥」だったと思います。
長距離は「新幹線」にバトンタッチし、東京から新山口まで1000キロもあるのにわずか4時間半で着いてしまいます。
あれから10年、今の長距離特急はやはり、新幹線の走っていない日本海側の「いなほ」、青森から新潟間、7時間かかってしまいます。(458.8キロ)
千葉6時38分発南小谷(長野県)行きの特急あずさ3号も長距離。終点南小谷には11時42分に着くので、およそ5時間の旅になってしまいます。(341.6キロ) 大阪から12時間ぶっ通しで青森に到着!!
車両は青の「JR」マークがついているものなので、JR西日本所属です。
JR西日本が最果て地までやってくるのは思いもしませんでしたね~。
豪雪地帯を通過したため、白鳥は2、30分遅れでした。
それでも、青森発札幌行きの急行「はまなす」号は待ってくれました。 翌朝6時過ぎ、札幌到着~!!
2月 9日 東京 23:43発
2月11日 札幌 6:07着
計算してみたら、54時間乗っていたことに。
東京~小笠原間の「おがさわら丸」は25時半なので、小笠原まで往復した計算になります。
ゴールは札幌駅ではなかった。
この先もまだまだ旅が続き、札沼線に乗り換え。
終着駅の新十津川までやってきました。
1日3本しか来ない、終着駅の新十津川駅。
札幌から78.1キロかけて最果ての新十津川。
首都圏の感覚からにすると、信じられないほどの時刻表。
1日に1本!!というところは今はなき奥白滝駅。
東京都の青ヶ島も1日に2本!!その内訳はヘリコプターが1便、船が1便。
青ヶ島に駅があるとしたらの時刻表は次のとおりになります。
当駅発 行先 到着時刻
9:45 八丈島 ヘリコプター 9:40
13:30 八丈島 船 13:00
新十津川駅遠景。
北海道らしい冬のたたずまい。
今日、返却のあった本の中で気になるものを見つけました。
「死んだらおしまい、ではなかった」。
日本図書十進法では、188.66(本の背番号)なので、180番台の「仏教」、188は「各宗」に分類されます。
この本を書いた人は千葉県船橋市の大念寺の僧侶、大島祥明氏。
故人の死後まで見守るのが、僧侶の役目。2000人の亡くなられた方を見送っているうちに故人とお話しができるようになったとのこと。
病気で亡くなられた方、突然の事故で亡くなられた方、自殺で亡くなられた方、それぞれ感じるメッセージが異なるとのことでした。
魂だけは永遠に生き続けるものであり、亡くなった直後だと自分が死んだとは思っていない。死んだことを認識せず、生きているときと同じ感覚なので、お葬式を執り行われるのは、亡くなった方に対して、「あなたはもう本当に亡くなりました」と自覚してもらうためだそうです。
自覚してもらったあと、どこに行ったのかは本書では触れず。
あの世に行って、生き返った例は1度もないので、その手記がないのは当然ですが・・・。
人間はどこに行くのかはっきり明記しているのは聖書だけのようです。書いたのは天地創造主(宇宙や地球、惑星など人間の力では到底できない)の「神」の弟子たち。
日本語の「神」は神道と聖書と混同しがちですが、韓国語はちゃんと区別されています。「神」は???(ハナニム)と? (シン)の2つあり、前者は西日本で多く使われている最初の「ハナから」を意味します。「ニム」は・・・「様」、直訳すると「最初様」ですが、「一番はじめから存在しておられる方」というニュアンスになります。
目次を読んでいると、5章の中に「盲聾の場合は?」という文字を発見。
目の見えない方、耳の聞こえない方を見送る念仏を唱えたことがあり、亡くなった方のお姿やお気持ちを聞き取れたそうです。
先天性の方は、亡くなるまでは光が見えません。
亡くなると、その障害が取り除かれ、見えるようになります。
参列者の顔が見えるようになり、喜びに満ちていました、と書かれていました。
今度はろう者です。亡くなった方の身内も聞こえない方がいらしているので、手話通訳者も呼んでもらいました。音のない沈黙のお葬式でしたが、本人は突然聞こえるようになり、念仏の声やまわりの騒音も初めて聞こえているようで戸惑っているようです。
念仏を唱えるときに故人の名前を読み上げても、反応が全くありませんでした。
目の見えない方は見えるようになり、喜びに満ちたと書かれているのに、ろう者は読み上げられても反応がなかったとは、かなり矛盾。障害が取り除かれたのなら、音声でも理解できるようになるはずだと思うのですが・・??
お寺の僧侶さんなので、自分の妄想話を本にするわけではないので、信ぴょう性はどうなんだろうと思える本でした。
前回は韓国製のコチュジャンや醤油を使った、韓国風のパスタ。
今回は中国の豆板醤を使った、チャイナ風味のを作ってみました。
中華料理は美味しいはずなのに、中国から来た食材は農作物を育てる際に不適切な農薬の使用が懸念されているので、ちょっと警戒してしまいます。
韓国から来たコチュジャンに「?????・・??(コチュウォンサングク・・チュングク (唐辛子原産国・・・中国) 」と表示されていれば、アウト。
唐辛子も国産(??・・・韓国内で作られたもの)のパッケージを選んでしまうほど、韓国に拘ってしまいます(笑)
今回使った豆板醤は調布市で作られた、ユウキ食品なのでどうやら日本製のようです。
【材料】3人分
・パスタ麺 300g ・にら 1/2束
・ぶなしめじ 1/2パック
・豚と牛のミックスひき肉 200g
・しょうが (小皿に盛る程度のみじん切り)
・豆板醬 (小さじ1は普通の辛さ。中さじ1はちょいピリ辛、大さじ1はピリピリ辛)
・オイスターソース 中さじ2
・しょうゆ 中さじ2
【作り方】
1.ニラは3センチ程度に切っておく
2.フライパンに少々のオリーブオイルを熱して、しょうがを炒める。
3.豚と牛のミックスひき肉、ぶなしめじも入れて、炒める。
4.パスタ麺をゆでる。(パッケージに書かれたとおりの茹で時間)茹で釜に塩を追加。
5.ひき肉の色が変わったら、豆板醬とオイスターソース、しょうゆを追加しながら炒める。
(豆板醬の量で好みの辛さを調整します)
6.パスタの茹で湯を小皿に取り、フライパンに追加。
7.ニラを加え、炒める。
8.茹であがったパスタ麺を加え、和えておく。
今回は中国、今度は韓国といったように、パスタの味を変えると面白いかも知れません。 もう一品も追加~!!ベトナムの生春巻き。
ライスペーパーの包み方がちょっと難しい。
何かのコツでもあるのですか??
「断捨離」に関する本を読んでからはモノを買うのをやめるようにしました。
ふと思ったのですが、たとえば、湖。
湖の中に魚が住んでいて、魚のエサとなる海藻や微生物のプランクトンも生息しています。
魚がエサを食べるから、プラクントンや海藻が増え続けることはなく、自然の摂理が取れています。
モノに例えるとしたら、入ってくるものがいっぱいあって、消費できないモノがあふれかえってしまう。それが湖の中だとすると、魚またはプラクントンが一方的に増えてしまい、生態のバランスが崩れてしまいます。
うちの父は渡り鳥のように、何もモノを持たず。衣服は官給品なので、実質的に「自分のモノ」はないのです。
モノが増え続ける原因は、毎日次々と新製品を開発し、モノを生産するメーカーですねぇ・・・。
モノを処分してくれるのは自分の住んでいる市町村のクリーンセンター。
ゴミやガラクタをいっぱい集めて、いずれ「無」にしてくれる有難い存在です。
見られるのはJR東日本の首都圏のみだと思います。
この広告看板を目にしたとき、真っ先にお父さん犬の「カイ君」を見つめてしまいます。
テレビのコマーシャルで何度か見かける、国民アイドルのワンちゃん。
コマーシャルでは字幕が付かないのですが、ソフトバンク社は聞こえない人でも内容を理解できるようにと字幕付きをネットで公開しています。
・ ソフトバンクのコマーシャル
デラックスも出ていますね~。健康診断で血液サラサラ、数値は正常であったそうです。
何ででしょうかねぇ??何か食生活に秘訣でもあるのですか!?
カイくんの凛々しい顔。
何度見ても癒されます。(笑)
千葉の田舎暮らしだというのに、アクアライン高速バスの恩恵もあり、東京がぐーんと近くなりました。
東京駅、品川駅、新宿駅、羽田空港からほぼ1時間程度で最寄りのバスターミナルに着いてしまいます。
羽田空港からの首都高速が断続的に渋滞が発生することもあるので、品川駅または東京駅で新幹線に乗り継ぐ予定がある場合は、もっと早めに出たほうが良さそうです。
友人から久しぶりに新年会でもやりませんか?とメールが入りました。
どんなメンバーになるか、全くわかりません。当日のお楽しみとのこと。
全く知らない人と飲み会になるはずではないとわかっているので、誰か来るのか楽しみにしていたら・・・・
なるほどでした。およそ10年ぶりの旧友でした。ずっと昔、北海道から九州まで、しかも故郷の対岸、韓国や小笠原へ一緒にぶらりと旅した友達ばかりです。
本格的な千葉の田舎暮らしをするようになってからは遠さがってしまいましたが、それでも声をかけてくれたAさん、ありがとうね~!!
幹事さんの選んだお店はココでした。
九州料理 桜藩というお店。
あの有名な江尻エリカさんのお兄さんが店長になっています。 熊本郷土料理の馬刺。
小倉の親戚の家で出されたときはお皿でか盛りでした。
滅多に食べられない、熊本から仕入れた超高級食材。 もつ鍋といえば、博多。
ずっと昔、幹事さんと飲みに行ったときのこと。
さつま揚げ(鹿児島の郷土料理)をよく頼んでいたのは覚えているので、もしかしたら、九州が好きなんですかっ!? 桜藩は2時間限定なので、別のお店へ。
今度は沖縄です。
新橋界隈に琉球料理のお店がいっぱいあるとは知らなかった・・・。
金曜日の夜だということもあり、居酒屋の客引きがあまりにも熾烈すぎました。
「1500円で飲み放題です!いかがですか~」
「飲み放題はいらないです」
琉球料理「美ら海」の看板を持っているのを見かけたので、今度は沖縄にしよう~!!と
「沖縄料理を食べたい人がいるからね・・・」
「1500円飲み放題に泡盛(沖縄のお酒)が含まれていないのですが、今回は特別に~!」
沖縄料理に入ったところ、さっきの客引きが沖縄料理の店に入り、「店長出せ!!お宅が割り込んだな~!」と騒いでいたみたい。
お店を選ぶのは、こっち側の権利ですよ。
オキナワといえば、ゴーヤーチャンプルーが定番です。
もずくの天ぷらも美味しかった~!!
部屋の中に使わないモノがいっぱいあって、お困りの方がいっぱいいと思います。
幼い頃から「モノを大切にすること!」と教えられてきた世代の方々はきっとモノに囲まれているでしょう。
物質に乏しかった戦時中の教育が今に引き継がれているように感じています。
本棚に本がいっぱい溢れているのは、古本として処分すると、知識として吸収されることがなくなり、自分が無能な人間になってしまうと恐れるからでしょう。
キッチンも調理道具があふれかえっているのは、とても美味しい料理を作りたいからといらぬものまで買ってくるでしょう。
友人や人からもらった「モノ」は自分のニーズにあってしまえば、喜んで受け入れるのですが、自分の欲しがっていたモノではなく管理が面倒なものもあります。それを捨てるのは、もらった人に悪いからといつまでも取っておくでしょう。しかし、「モノ」は相手の分身ではありません。お気持ちだけは受け取って、「モノ」は必要な人にあげたりするのも大丈夫。
引越しのときに「使わないもの」が山ほどあり、クリーンセンターに何回も往復して処分したという経験もあるので、これ以上、モノを増やすことはしたくない。かといっても、誘惑に負けていらぬものを買ってしまうこともあります。
この本はうまくモノが捨てられる方法が書かれてあるので、納得しながら処分できるかと思います。
伊豆諸島の島々も高速インターネットが導入されているので、島ではなかなか買えないインターネット上にも「何円以上の買い物は送料無料!」とか買いたくなるような仕掛けがいっぱい。
送料無料になるまで一定の買い物をして、クリックボタンを押せば船に積んで配達されます。簡単に買い物ができると、次々とモノがあふれてしまいそうですね。
そうやって無制限にモノが入ってきて、片づけや掃除、収納に困る毎日を送るハメに・・・。
絶対にモノを買わない!!ではなく、モノがないとどうしても困ってしまうモノに限って買い物すれば、節約につながるし、毎日の暮らしが豊かになるのでは・・・、と思います。
たとえば、ホテルでもらった1人分のシャンプーやリンス。来客に備えてとっておこうと思いつつも1度も使わずにため込むケース。「使うかも知れない」が1度も使わなかったということも多いですね~。
使えるモノでも2,3年以上使っていなければ、ガラクタに等しい。一度まとめて捨てるのに抵抗感がするなら少しずつ出せばよいかな。
1番不思議なのはドックおじさん(父)。ハン尚宮(母)は山口の田舎からここに転居する前に半年かけて「転居先に送るモノ」と「使えるモノでここに残しておく」「廃棄処分」といったように少しずつ整理をやっていたそうです。
ところがドックおじさん(父)は「自分のモノ」とはいえるものは少なく、衣服などはハン尚宮(母)の管理する官給品だからと、何も持たず鳥のように移住して来ました。自分の所有する「モノ」があまりないから「捨てようかな?」「どこに収納しようかな?」とか考えなくて済むので、本当にラクです。
故郷は山口県なので、初めての地下鉄は福岡市営地下鉄のはず、初めて乗ったのは東京でした。
何もない日本海側の小さな漁村なので、どうしても日本の首都、「東京」にあこがれてしまいます。
あこがれていたはずなのに、数年間で挫折し、田舎暮らしに戻ってしまいました。「大都市」の正反対、山奥の檜原、絶海の孤島・青ヶ島や小笠原母島とか、秘境暮らしにあこがれています(笑)。
初めての銀座線は昭和61(1986)年頃だったかな、ステンレスの新型01系、昭和34年に作られた2000系、さらに古い昭和20年代に作られた1300形も交互に活躍していました。
銀座線や丸ノ内線はトンネルの断面を小さくするため、架線ではなく線路から集電しています。1300形は駅に進入する前に停電、しばらくの間は車内の常備灯に切り替わります。1300形は戦後しばらく作られたものなので、物珍しげに乗った記憶があります。
これらの車両は銀座線のオレンジ色でしたが、来年の2012年から新登場する車両は昭和2(1927)年開業時の車両をモチーフにした全面黄色の電車が復活するそうです。
私が子どもの頃は首都「東京」に憧れていたうえに、田舎では滅多に乗れない地下鉄も都会の象徴なので、これも好きでしたっけ・・・。
当時、全線乗車しないとスタンプを押せない「メトロスタンプ帳」なるものがあり、1日中地下鉄に乗りまくりということもあった。
今、考えてみると「車窓も楽しめない真っ暗な地下鉄に1日中、乗って何が楽しい!?」ですね~(笑)
子どもの記憶力は抜群。地下鉄が大好きだからと、学校の勉強そっちのけで東京地下鉄の路線図を記憶、どんなマイナーな駅でも何々区の何々線とか言えるように・・・。
地下鉄じゃなくて、もっと社会に役に立つ英語や韓国語とかの語学や憲法などに力を入れればよかったのに。大人になって、記憶するのは大変なので、子どもの頃の記憶能力を利用して覚えておけばよかったと思えることがたくさん・・・。
この本も2011年2月15日に発売されたばかりの新刊本です。
この本を手に取ってみると、時間が経つのを忘れてしまうほど最後まで読んでしまいました。
「小指のおかあさん」
著者:玉田さとみ
発刊日:2011年2月15日
出版社:ポプラ社
ISBN:978-4-591-12265-5
価格:1300円+税
表紙にこう書かれています。
次男が1歳9ヶ月のとき、
耳が聞こえないと診断されました。
しばらくすると・・・・
次男が小さな手で話しはじめたのです。
手話では、人差し指で軽くほおに触れ、
小指を立てると「おかあさん」です。
そっと見ていると、右手で左手の小指を立てようとしています。
何度も何度も・・・。
でも、右手をはなすと小指はすぐに曲がってしまうのものです。
突然、左手の小指を右手でギュッとつかんでほおに当て、
そのまま走ってきました。
「おかあさん!」
小さな手で、はじめて呼んでくれた「おかあさん」でした。
さらに本の帯では、
「マイナスをプラスに変えて! 子どもたちの未来のため、走り続けた親たちの思いが、手話の学校「明晴学園」設立の夢をかなえた奇跡の物語!」
裏面は・・・
「きらきら星のような「手話の拍手」が鳴り響く学校。日本初!手話で学びことができる私立のろう学校「明晴学園」誕生までの感動秘話! あきらなければ、夢は叶います!」
私の両親はろう者であり、手話も当たり前、社会に出ていれば音声の代わりに文字の日本語といったようにバイリンバルに育てられたため、自分がマイナス面を抱えている障害者だということは全然思ったことはありませんでした。
ろう者のことを全く知らない聞こえる人が生まれてきた子供が耳の聞こえないろう者だと知るとショックは計り知れないと思います。
ろう者の母語は当然のことながら手話になります。
本書で初めて知りましたが・・・
「Good morning」を自然な日本語に訳すると「おはようございます」。
英語の単語の順番をそのまま日本語に当てはまると「良い、朝」になります。
ろう者にとって自然な日本手話は「おはようございます」。日本語対応手話は「良い、朝」と同じ感覚になるとのこと。
ろう者の子どもたちも、聞こえる子どもたちと変わりない教育環境を確立させるためには自然な日本手話を話せる先生が必要になります。
それなのに、ろう学校では手話を存じない先生方が大半で、聞こえない子ども達に大声で指導する矛盾的なことが行われているのが現実です。
本書でろう者のことや、聞こえる人とは生活様式がちょっと異なるろう文化を多くの方々に周知できていればいいなと思っています。
・~こども未来財団賞~ 「小指のおかあさん」 玉田さとみ
(↑クリックすると、受賞作品のエッセイにジャンプします)
新刊の選定やチェックをする仕事なので、自分の多趣味に出会う本は少なくないです。
今回は「郵政」亡国論~1枚の切手から見える 日本沈没のシナリオという本にはまってしまいました。
最寄りの配達を行う支店や近所の郵便局では昭和3、40年代のデザインが古めかしい切手ばかり貼っているとか、私のことはもう有名になっているみたいです。郵便局株式会社や日本郵便事業にとって収入にならない官営時代(郵政省)の切手ばかり使う変わり者としてレッテル貼られているみたいですが・・・。
昭和3、40年代の切手でも、郵便料金を支払った証票として、現在も有効のはずです。
文具券が2011年3月13日を過ぎると、タダの紙切れになるので払い戻しは早めにといったようなニュースを聞いたことがあるので、郵便切手がただの紙切れになってしまわないか、ちょっと不安になり手に取ってみました。
昭和3、40年代の日本は記念切手を集めるコレクターが多く、記念切手にプレミアムが付くのを期待しながら、発売当日に郵便局で並ぶ風景はよく見られました。
当時の郵政省はコレクターの手元に残し、郵便に使うことはないだろうと見込んでいたのか、次々と記念切手を発行。
郵便に使われるのを想定していなかったため、全国各地の家庭で死蔵している郵政省時代の切手を使うと、今の郵便局の職員や日本郵便事業の社員がタダ働きになるので、郵政亡国論にまかり通るらしいです。
戦前までは貯金台帳に郵便切手を貼付すると現金と同じく貯金ができたそうです。のちほど、法律が変わり、切手の用途は郵便のみになってしまいました。
今も切手で貯金して、現金の引き出しができるのなら、山ほどある大昔の切手を貯金したいくらいです。
もし、これが可能ならば、ゆうちょ銀行は破綻するに決まっているでしょう・・・。
自動改札機にタッチするだけで乗車できるsuicaの利用頻度が増えたためか、国鉄のオレンジカードがいっぱい死蔵。
なぜか1万円券(おまけ700円)が未使用のまま眠らせているものが・・・。
国鉄も郵政省みたいに使われることはなくコレクターの手元に残すことを想定しながら販売していたと思われる。
オレンジカードが使えるのは千円券と3千円券のみで、5千円、1万円はみどりの窓口で千円券と3千円券に交換することができるみたいですが、首都圏でのオレンジカードは滅多に見かけなくなったし、窓口の若い担当氏もJR世代の人が増えているので、今さら国鉄やJNRのロゴマークが入っているオレンジカードを交換して欲しいという申し出はやはり気がひけてしまいます。
この本でいろいろ考えさせられましたが、郵政省時代の切手がただの紙切れにならないことを祈るだけです。