東京駅に着いても寄り道せず、帰路へ。
総武線、京葉線どちらも君津まで直通するんですけど、間もなく発車するのは地下の総武快速線なので、ここへ。
3月ダイヤ改正でデビューしたばかりの真新しいE235系が来ますようにと願っていましたが、残念。古いほうのE217系。これでも1994(平成6)年にデビューしているので、もう27年経ちます。
普通車両だとサラリーマンで混み合っているので、グリーン車。
モバイルスイカでグリーン券を購入して、座席上のランプにタッチすれば、あとで好きな場所に移動したりするのも便利になりますが、JR北海道さんに少しでも収入を増やせればと思い、わざわざ函館駅で購入。
赤いランプの座席にグリーンアテンダントのお姉さんが来て、検札。しばらくすると、「緑」ランプに変わります。となりに座っていた人、高崎 → 【山】東京山手線内 ¥1890の自動券売機で購入したきっぷ。グリーン券は用意していないので、車内料金で精算。平日50キロ以上1260円なーり。アテンダントさんにいろいろ話しかけていたので、ついでに乗り越しきっぷも要求していたみたい。乗車券も発行するのかと観察してみたんですけど、グリーン券のみだったので、乗り越しは着駅で精算してください、かも。
高崎駅の自動券売機で買える範囲は東京山手線内までだけど、例えば、木更津とか行くときにみどりの窓口で買えばよかったのでは。
高崎 → 東京山手線内 1,890円、東京 → 木更津 1,340円 計3,230円
通しで買えば・・・
高崎 → 木更津 3,080円 差額 150円になるんですけど・・・。
JR北海道のH5系で運行される「はやぶさ28号」は新函館北斗駅を12時48分に出発して、木古内、奥津軽いまべつ、新青森、八戸、盛岡、仙台、大宮、上野に停まり、17時04分東京駅到着。
ここで乗務員交替。JR北海道からJR東日本に引き継ぎ。
次は八戸駅停車。お乗り換えはJR八戸線、「青い森鉄道」。八戸線もNHK朝ドラのあまちゃんで大ブームになった、久慈方面。久慈で三陸鉄道に接続します。過去の記録を見たら、2014(平成26)年でした。
次は盛岡。秋田新幹線の「こまち」が連結するため、4分間の停車。「秋田新幹線」は在来線と兼用しているので、乗車券の経由欄は「田沢湖線」と印字されます。
東北最大の都市、仙台停車。車内の座席はほとんど埋まるようになります。仙台を出ると次は大宮。
ここから東京圏の住宅街なので、騒音が出ないように若干速度を落として・・・・上野に停車。
まもなく、東京。
17時04分ぴったり定刻通り到着。
せっかく東京に着いたので、H5系もしばらく休憩すればいいのに、すぐ車内清掃に取りかかり、17時20分発の「はやぶさ39号」新函館北斗行き。わずか15分間の休憩だけど疲れないんですかねぇ・・・。12時48分に出発して、東京。すぐ折り返して、21時44分、新函館北斗に戻ります。休憩無しで往復すれば9時間。片道862.5キロなので、往復にすると1725キロ。
木古内駅を出ると、ほとんどトンネルに入ります。青函トンネルは1961(昭和36)年に着工し、26年の歳月をかけて1987(昭和62)年に完成。JR北海道発足1年後の1988(昭和63)年に定期列車開通。当時は上野発札幌行きの寝台特急「北斗星」が3本も運行。北海道新幹線開票1年前に青函トンネルを通過するブルートレインは全廃。
JR北海道所有の車両なので、ドア付近はコーポレートカラーの萌葱色。
5号車はH525-402。
製造メーカーは山口県下松市で製造された、日立製作所。
床は北海道らしく雪の結晶がプリントされています。
この車両は東京まで行くんですけど、北海道区間はガラガラ・・・。
本州にあるJR北海道最南端の駅、奥津軽いまべつ駅停車。まわりは本当に何もないところです。
ここでも乗降客はあまりいません。仙台からほぼ座席が埋まるんですけど、道内区間でも多くの方々が利用できれば・・・。
新幹線の木古内駅ホームから見える太平洋の海。ずーっと向こうには、千葉県の外房や青ヶ島、小笠原につながっています。北海道の日本海側なら山口県の山陰海岸までずっと。
4時間後には、東京都心のビルに囲まれたところへ。
やってきました。東京行きの「はやぶさ」。ラインカラーの色は!?
JR北海道所有を示す、ラベンター色のラインでした。JR東日本はピンク色で区別されていますが、ラベンダー色の「はやぶさ」はわずか4編成しかなく、非常にレアなものなんです。
北海道のエンブレムが東京駅に入り、JR西日本の北陸新幹線W7系やJR東海の「のぞみ」につながります。JR九州の「つばめ」800系が東京駅まで顔を出せば、JR九州から西日本、東海、東日本を飛び越えてJR北海道の車両に乗り継ぐことも可能になります。
北海道新幹線木古内駅の時刻表。終点の新函館北斗駅は1日13本が発着していますが、木古内駅はわずか8本。
人間の温もりがする有人改札でももう十分なはずだけど、新幹線駅のプライドなのか、フル機能自動改札機が設置されています。
この乗車券と、
特急券を2枚重ねて挿入。すると、乗車券のほうに「-3.29 12:48 木古内 入場」と赤いスタンプが刻印され、この特急券はパンチ穴で入鋏。
がらーんとしていて、どなたもいらっしゃいません。
エスカレーターでホームにあがると・・・
隣接している、いさりび鉄道線のホーム。そして、向こう側は海。
駅員さん詰所からの案内放送がないときは、しんと静まりかえっています。JR北海道のH5系をねらい、13時01分のを選んだけど、はたして本当にH5系がやってくるのか。JR北海道の車両が木古内や奥津軽いまべつを通過してしまうと、自社を蔑ろにするに等しいので、13時1分発はきっとH5系に違いない。
転落防止のため、ホームドアが設置されているので、予約時にリクエストした5号車のところで待機。
栄えている表口は「いさりび鉄道」の駅。向こう側は「JR北海道」。
JR北海道から経営を分離するとともに、表口は「いさりび鉄道」に譲っているので、JRへは連絡通路と表示。
エスカレーターであがり、
いさりび鉄道の入り口を通って、向こう側へ。
階段を降りたところに、新幹線の改札口。
しんと静まりかえっている駅構内。
みどりの窓口もあります。きっぷに「北」地紋が入る最南端の駅は青森県にある「奥津軽いまべつ駅」。北海道の大地としてはここが最南端の窓口。
もうすぐ東京行きの新幹線が来るのに、誰もいない・・・。
JR側の全景。こんなに立派な駅ができているのに、駅前の風景は・・・
これです!なんと寂しいところ。
マンションのようだけど、東京行きの新幹線が目の前に。マンションから徒歩数分で木古内駅。新幹線に乗れば4時間後は東京駅。便利な立地なんだけど、北海道新幹線の料金が高すぎるなのがネック。
そろそろ発車時刻が迫ってきましたので、改札口へ。
木古内駅といえば、真っ先に思い浮かぶのは「駅前飯店 急行」。北海道新幹線開業に伴い、立ち退きがあったんですけど、喜んでくれるお客様のために、と200m先に移転。1956(昭和31)年に駅前飲食店を開業し、2017(平成29)年営業中に倒れ、御年88歳で帰らぬ人となりました。「急行」というネーミングは開業当時「急行」は通過していたため、停まればいいのにという思いを込めて。音威子府駅の名物そばも、1933(昭和8)年に開業し、店主さんは3代目、2021(令和3)年2月、病気療養中に逝去されました。御年84歳。現在も「急行」が営業中だったら、間違いなくあそこに行っていたはずだけど、仕方がなく駅前に新しくできた「道の駅きこない」へ。
新幹線駅前開発のため、新しくできた建物。
いろんなジャンルの飲食店があり、今食べたい気分はパスタ。
知内はとなりの駅だけど、現在は併設する「道の駅しりうち」を残して、駅は廃止。この付近で採れたものなので、迷わず、これ。
店内の雰囲気はお洒落。
お得なセットで頼んだので、まずはスープが運ばれ・・・
その次はサラダ。
メインが運ばれ・・・
パンもついていました。食後のコーヒーもついていて、ごちそうさまでした。こってりするような味付けではなく、さっぱりとした食感で美味しくいただけました。
2016(平成28)年3月、北海道新幹線開業に伴い、在来線は経営分離。沿線の自治体(函館市、北斗市、木古内町)の出費により、第三セクターの「道南いさりび鉄道株式会社」に引き継ぎ。ディーゼルカーのキハ40や駅の設備などはJR北海道からそのまま譲渡されました。
向こう側にみどりの窓口があったんですけど、現在は撤去され、きれいにリフォームされています。
いさりび鉄道といっても、昔懐かしい国鉄色を採択。
もともとキハ40はタラコ色でデビューしているはずだけど、国鉄急行のキハ28や58を模した塗色。
外へ出てみます。
「北海道最南端の駅 木古内駅」。JR北海道の駅としての最南端は青森県内にある「奥津軽いまべつ駅」だけど、北の大地にある駅はここが最南端。青函トンネルが開通した直後は道内最南端の「吉岡海底駅」、トンネルを抜けて最初の駅は「知内駅」だったけれど、現在は両方とも廃止。知内駅は信号場に格下げされました。
いさりび鉄道側の駅舎。ちょっと奥に旧木古内駅の三角駅舎が見えるんですけど、建て増し。
昨年(2020年)8月の都内における中国ウイルス感染者は1日平均300人程度なのに、今は桁違いになっています。連日のように4千や5千人。全国各地で過去最多の数字が出ましたと相次ぐニュース。バイデン大統領の指示により、中国ウイルスの発生源を突き止める報告書は8月24日が期限。中国は必死に隠蔽工作をしているようだけど、アメリカではいろいろ分析し、証拠を集めるのに成功しているので、今後の動きに注目。
いさりび鉄道の木古内駅ホームから見た、新幹線駅舎。工事中だった頃は骨組みだったのに、今はもう立派な駅舎に。
ワンマンと表示されていますが、女性の車掌さんが乗務。運転士さん横の運賃箱のところで収受。記念に持ち帰ってもよろしいんでしょうかと話しかけ、記念にお持ち帰り。ほとんどの乗客は五稜郭から木古内まで1日乗り放題のフリーきっぷのほうが安いので、紙のきっぷを提示したり、スマホの画面を見せたり・・・。あとで調べてみたら、スマートフォンでも1日ふりーきっぷを購入することができ、画面がきっぷ代わりに使えるとのこと。
旧江差方面のホームにつながる階段。江差駅に向かうときにこの階段を通りました。懐かしいです。
改札口方面。
昔は真ん中あたりに長いホームがあったはずだけど、今はもうすっかり跡形無くなっています。それでも線路を残しているのはJR貨物が利用中。青函トンネルの線路は新幹線用の1435ミリと在来線の1067ミリの三線軌条。架線は新幹線用の交流2500Vに切り上げられたため、新幹線開通前に使われていた青函トンネル用のED79型の電気機関車は使えず。現在は交流2000Vや2500Vどちらも対応なEH800形が貨物を牽引。
旧江差線時代は、みどりの窓口があって改札もやっていた。現在はいさりび鉄道に移管し、「みどりの窓口」は新幹線改札前に移転。
待合室では旧江差線時代に使われていた現物などを展示。まだまだ続きます。
コロリンピックを強制的に開催した影響で全国的に制御不能。感染者の数がすさまじくなっています。鉄道や飛行機、高速道路が動いている限りは外出自粛を要請されても応じられるはずがありません。高校野球も中国にやられてしまって、せっかく宮城県、宮崎県代表として甲子園まで進出したのに辞退するチームが・・・。検査で陰性と出ても、突然陽性になるケースがあること。
終点、木古内駅。北海道新幹線開業にともない、並行する江差線はJR北海道から第三セクターのいさりび鉄道に移管。青函トンネルが開通される前はシンプルに函館から江差までの単線非電化。青函トンネルの線路が木古内まで連結すると、函館まで架線を取り付け。木古内から江差方面は電化する必要はなく、非電化のままでした。
北海道新幹線開業前に函館や青森方面の江差線ホームがあそこにあったはずだけど、今はもうすっかり撤去されています。真ん中をよく見たら・・・
ど根性のふきのとう。線路のバラストから生えてくるなんて・・・。
JR北海道時代からそのまま使われているのであろう駅名票に「いさりび鉄道」様式に変更。
旧江差方面は非電化なので、ホームはそのまま残して、左側のホームは撤去。右側は立派な新幹線の駅舎が建っています。
まもなく泉沢駅。いさりび鉄道はほとんど海岸沿いを走行。JR時代の旧江差線時代は深夜や早朝時間帯に何度も通過していたんですけど、こんなにゆっくりと景色を見られたのは初めて。
駅名票。
縦型駅名票はJR時代のまま取り残されていました。
次は札苅駅。さつかり の文字を見ただけで「お札を狩る」を連想。
今はもう廃線となってしまった札沼線の於札内駅も、読みは「おさつない」。お札無いと読めて、財布の中のお札はもうすっからんという状態。「札内」(さつない)駅は今も現役。帯広駅の1つ隣にあり、所属する路線名は根室本線。
1つ前の泉沢駅に似ていますが、縦型駅名票は撤去されていました。
次はもう終点、木古内駅。
本日(8月13日)の中国ウイルス感染者は全国で初めて2万人を超え、過去最多。
東京都 5773名(過去最多)、神奈川県 2281名(過去最多)、埼玉県1696名、千葉県1089名。2週間前はコロリンピックなので、それが終わると爆発的な感染が拡がる。このような結果になると誰もか予測していたこと。旅行や帰省を自粛してくださいと言われても、国境をまたぐコロリンピックをやったし、説得力なし。みんな自粛疲れなのか、旅行や帰省をするでしょう。それよりも、それらの原因を作らせた中国め、武漢研究所の流出説はもう白黒はつけたのかね。バイデン大統領の約束を果たして欲しい。
渡島当別駅の向こうは海。
ここでもまた海岸沿いを走行。
日高本線を思い出すんですけれども、お父さん犬(白い北海道犬)の故郷、鵡川から様似間の116キロは2015(平成27)年1月の低気圧通過により、線路を流出するなど甚大な災害を起こしてしまいました。復旧に要する費用を投じ、営業を続けるのは困難とし、今年(2021)年4月1日をもちまして、廃線。
釜谷駅舎。貨物列車のコンテナを改造されています。
ここは谷。岩手県でも「釜」の付く路線名や駅名はあります。「釜石」。次は泉沢駅です。
五稜郭から上磯まで市街地なので、駅と駅の間がとても短い。上磯を出ると隣の駅まで長くなります。
五稜郭から上磯まで8キロだけど、上磯からとなりの茂辺地までも8キロ。
さっきからずっと函館山が私を追いかけてくるような錯覚がします。
道警のパトカー。北海道は市街地を出ると、道路も広くて、道もまっすぐ、交通量も少ない。知らないうちに速度オーバーになりがちなので、目を光らせているようです。北海道で赤切符をもらいたくなければ、常に速度メーターを見ながら自制するしか・・・。(前のクルマ、おせぇーんだぞ、こらっ!!とイライラすることがあっても、深呼吸をして、落ち着かせましょう)
ここまでの距離が長かったでした。五稜郭から上磯までの8キロはいくつかの駅があるのに、こちらは上磯から1つ隣の駅だけど、8キロ。
JR北海道時代からそのまま引き継ぎ。
また海岸を眺めながら・・・
渡島当別駅。この駅舎は渡島当別郵便局と合築されていますが、局員さんがきっぷの販売や改札をしていれば、「業務委託駅」になるんですけど、郵便局員は鉄道業務にノータッチなので、「無人駅」。千葉県鴨川市の内房線にある江見駅は老朽化した駅舎の建て替えを機に江見郵便局を駅に移転し、「江見駅郵便局」開業。窓口にPOS端末が置かれ、発車時刻などを案内する業務も兼任しているので、業務委託駅。次は釜谷駅です。
これから上磯駅へ戻ります。
駅前通りの左側にあった飲食店。仕出し弁当と書かれているので、出前もできるみたいです。上磯駅周辺は北斗市の中心地なので、各事業所にお届けかな。
本日の日替り とんかつ390円でした。うちの出前屋さんも、とんかつ弁当450円なーり。とんかつの下にキャベツ千切りを敷いてどんぶりで提供なので、「とんかつ丼」という名前がぴったりなのかも知れない。いつも、ひいきにしていた出前屋さんが閉店してしまって、その分注文が増えているので、とんかつ弁当を出してくれる、おばちゃまも大変。岡持ちでポンと置かれていれば、配達先の伝票をスマホのカメラで撮影。その伝票は壁に貼って、私が持ち出し。スマホの画面を見ながら配達。岡持ちはどんなに重たくても運びやすいんだけど、折りたたみ式のバスケット(かご)だったら、両手で持つだけでも重たくって体力が消耗する。バスケットで来たから、持ち運びやすくするため台車に乗せて配達しようと思ったら、あとから来たおばちゃまが多量積まれているバスケットをまるごと持ち出し。(うわっ!!すごいな。怪力っ!!)と目玉が飛び出すほど。
待機中のキハ40。いさいび鉄道はいろんなカラーバリエーションがあるので、どんな色で来るのか楽しみもありそうです。
国鉄末期から民営化直後の東京山手線とか記憶のある方といえば、年齢層は・・・。昭和62(1987)年で小学生だった人は昭和55(1980)年以前の方。その頃の山手線案内表示はほとんどこの様式だったのは覚えています。
例えば、このようなデザイン。いさりび鉄道が国鉄色のキハ40を出しているので、おそらく国鉄末期から民営化直後を意識して新しく作成していたかも知れません。
今日は3月の終わりにしては、北海道は暑かった。駅の自動販売機で冷たい北海道の緑茶「うらら」を購入。
そろそろ木古内行きの汽車が来るので、階段を降りてホームで待つことにします。
南口は市街地で北口は住宅街。
JR貨物の長編成列車が通過するときがあるので、大変危険だと促す看板。
青函トンネルを開通させると、江差線も電化開業。
レール規格も高速運転に対応している立派なもの。
1本につき25m。10本だと250m。100本2.5キロ・・・。摩耗したレールの交換工事は全然見かけたことはないんですけど、列車が運行されない深夜時間帯に行われることが多いようです。裏で支えている鉄道員の皆さん、いつもお疲れ様です。
朝、東久根別駅ですれ違ったときと同じ汽車でした。1810。この汽車で終点、木古内まで向かいます。
さっきまで乗ってきたキハ40は上磯止まりなので、次の汽車まで周辺を散策。
ここまでの汽車が圧倒的に多く、右側の木古内行きは1日10本。
みどりの窓口があったと思われる場所が塞がっていました。
出入口や階段は防雪のため、屋根で覆われています。
駅前の風景。まっすぐ歩いて行けば、海岸に突き当たるので、あそこまで行ってみました。
ここは北斗市なので、北斗郵便局。この大きさからにすると集配局かと思いましたが、時間外のゆうゆう窓口を開設しない「函館中央郵便局集配センタ-」。
ここで手紙などをポストに投函すると「函館中央」の消印。
国道228号線を渡って、海岸へ。
向こうの島のようなものは、昨日登ったばかりの函館山。
あそこからも対岸が見え、いさりび鉄道と気づくことはできます。